とんだエッセイ 3月上旬号
「団塊の世代・考」
予防医学を、深く考えない国民性は、どこから来るのだろうか。一見、関係のないことと思うかもしれないが
(2月末、NHK「クローズアップ現代」を観て)、これは日本人の特性かなと思った。
その昔、たくさん雇った連中が、今年から大量に辞めていく。そのため、退職金で四苦八苦する地方自治体をはじめ、
企業でも困っているという報道が"深刻に"報じられている。
ついで、今まさに少子化の時代。さらに、好景気で人材難だという。だから、後継者がいない、どうすればよいのか、なのだそうだ。
そんな単純なことに、どうして気付き、早くから対応をしなかったのか。
私はある団体に勤めていたとき、毎月定例日にある委員会の開催通知を、事前に出すことを忘れる後輩に、
そんなこと百年前から分かっているではないか、と言ったことがある。"百年前"は大げさだが、分かりきったことを忘れるのは、
緊張感の欠如、仕事に対する熱意の足らなさであろう。
さて、自らを含め"団塊の世代"である女性たちは、どう思っているのだろうか、きわめて興味深い。
いやこの国はどうなるのか、私は今夜も眠れない?! 日本人は「先送り民族」と私はかねて言ってきたが、
さらに「目先民族」を付け加えよう。
ところで、どんな業種や職種でも、その人の能力や技術などを考慮せず、一律に定年は60歳という発想が分からない。
一方で、残業代カットなどという、矛盾した制度を導入しようとする政府や財界のお偉方は、やはり「目先民族」の代表と言えよう。
ところで、昨近たまたま、景気がよいらしく(そう思わない人も多いなか)、大学新卒も高校生も大量に雇うらしい。
そして数十年後、また大量の退職金に、悩むことになる?!
いやいや、その前にこの「美しい国」は、"美国"アメリカの一部になっているか、さもなくば"中国"に組み入れられているのかしらん!?
《注:中川昭一自民党政調会長は2月26日、名古屋市での講演で、中国の軍備増強に関連して「台湾がおかしくなったら、
ここ(日本)は中国の何番目かの省になるかもしれない」とのたもうたそうな(東京07・2・27)》
「美しい国」その1
2月14日の「言葉の力 図書館を考える集い」で、中川秀直・活字議連会長(自民党幹事長)曰く
「美しい国の基盤は言語力、言葉の美しい国に、その実現に努力したい」と、論理"不明確"に述べ、
この10月に設立する文字・活字文化推進機構を全力で支援すると表明したそうだ(雑誌協会報07・03号)。
まあ、これだけではどんな機構か判然としないから、今後どう展開してもよいという"祝辞"であろうか。
ちなみに、JPIC(財団法人 出版文化産業振興財団)のHPにある発言要旨によると「安倍内閣の目指す『美しい日本』は言葉の美しい国でなくてはと思います。
また、教育再生においても言葉の力が広い知識と教養、豊かな情操と道徳心を培う上でも、大きな鍵となります」となっている。
とはいえ、"言葉の力"こそ、いま問題にすべきものである。会社など組織での言葉によるパワハラや大学などのアカハラは言うに及ばず、
家庭や学校での言葉によるいじめは、この世に蔓延しているではないか。もっとも、"美しい"言葉で思いつくのは、おべっか、
追従、お世辞はともかく、"ほめ殺し"以外にない。
その昔(1968年)、ノーベル文学賞を受賞した川端康成は、その授賞講演での演題を「美しい日本の私」とした。
あの枯れたような特異な風貌の川端が、まさか「美しい、日本の私」と、"私"に力点をおいたとは思えないが、
人間は時にはウヌボレも必要ではないか。
安倍首相はじめ閣僚や、社会的に問題を起こした大企業の社長連中は、下手な言い訳をするより、
「それでも、私は美しい!」と言ったほうが、抽象的な「美しい国」より具体的で判断しやすいではないか。
そうすれば、下がり続ける安倍首相の支持率も、少しは持ち直すのではないか、などと"ヨイショ"するなんて、私らしくないか?!
「美しい国」その2
表面的には、外観整備であろうか。つまり、見た目に汚い・みすぼらしい・恥ずかしいと思うものは遮蔽するか排除する論理がまかり通るのである。
そういえば、大阪万博(1970年)の際、大阪梅田の地下街で市営地下鉄だかの切符を切り売りするオバサンたちは、
「みっともない」と排除されたと聞く。大阪ではその後も、90年の「花と緑の博覧会」を控え、地下街の新聞のスタンド販売業者を撤去させたという。
ちなみに、88年のソウル五輪では街から煤煙が消え、空がとてもきれいだったと取材記者から聞いたものだ。
ついでに言えば、"職業の自由"を奪われたのは、オバサンばかりではない。東京五輪が開催された1964年の4月末、
売春対策審議会は内閣総理大臣に対し「売春対策の強化に関する要望」を出した。いわく「オリンピック国民運動のさなか(中略)、
また、一般国民の売春問題に関する認識も極めて不十分であり、中には必要悪として復活を論ずるものさえある。
このような風潮のもとにオリンピック東京大会が開催されることは、日本国民として憂慮にたえないことである」とした。
その後の臭いものにフタ式の"お達し"を見ると、先述の大阪万博の際に「日本万国博覧会開催を近々に控え、
政府は売春防止策になお一層の努力をされるよう要望する」とある。
ついで、75年の沖縄海洋博の際にも「性病対策の強化及び沖縄海洋博覧会に伴う売春対策の強化についての要望」が出されている。
いずれも、来日する外国人に対する売春そのものを問題視していたのは、敗戦直後にはびこったG I 相手のパンパン等の生態が頭をよぎったからだろうか。
さて、10年先に再び東京でオリンピックをという。日本橋に再び空を、などと浮かれていてはいけない。
これは前にも書いたが、土木建築関係はじめ関連業界やそれに群がる政治家などの懐が潤うだけであって、
一般庶民にはほとんど関係のない話。いやいや、いまホームレスの撤去、その住民たちの"雇用促進"策であろうか?!
(以上、07年3月13日までの執筆)
kenha@wj8.so-net.ne.jp