とんだエッセイ目次

とんだエッセイ 5月下旬号

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広島シリーズ1「不戦の誓い…」
 20日(日)午前3時過ぎに起き、シンポでの報告(草稿)の手直しをやっと終え、朝8時前の新幹線「のぞみ」で、一路広島まで行く。 狭い座席で、隣は大きな若い男性、窓際だが窮屈な姿勢のまま、草稿を読み直す。
 15分以内で、読み終えられるかと時計と睨めっこするが、もとより声は出せない。見直すたびに赤字が入り、長くなるばかり…。 ええい、ままよ、本番次第と開き直る。差し込む日差しは強いが、外を眺めるうちに、睡魔に襲われ、しばしまどろむ。 他の客もたいがい眠っている。
 何年ぶりかで、広島に降り立ち、市電で原爆ドーム前まで行く。広い道路を何路線も走る市電は、ある意味で懐かしいが、 車内の広島弁によるオバサンパワーの元気かつ賑やかなこと。
 いま3選目の市長は、"原爆"だけで再選されたというが、人だかりのドーム前を通り過ぎ、平和公園に入ると、 たしかに一種独特の雰囲気が漂っているように思われるから、不思議だ。これを"聖域"というのだろうか。
 正午少し過ぎ。会場の原爆資料館東館を探すのに、修学旅行生を"引率"してきたガイド嬢に尋ねる。 地方の彼女らは、馴れたもので明快に教えてくれた。礼を言い、ふりむくと、慰霊碑「過ちは二度と繰り返しませぬから」の前に整列していた数十人の小学生の中から、 「語り部さんの言葉を決して忘れません」などという声が聞こえて来た。
 「うーん、旅行前から言葉まで準備しているのか」と、彼らに同情する一方、以前長崎だったかで、中高生が語り部に向って、 つばを吐いたなどというのに比べれば、小さいころから"歴史を学ぶ"よい機会となるのではないかと、彼らの将来に期待したものであった。
 翌朝、帰り際に改めて、平和公園に入り、朝のジョギングがてらの女性のあと、慰霊碑の前で手をあわせ、ふと見ると、 添えられた花の中に、彼ら小学生が献花したらしい、新しい花束が三つもあった。

広島シリーズ2「オリに入った折り鶴」
 21日(月)清々しく、気持ちのよい朝7時前、微風に肌寒さを感じながら、平和公園内を歩いていると、折り鶴"館"の前に出た。 よく見ると、無数の折り鶴がガラス張りの箱というより、「檻」に入れられた感じで、窮屈そうだ。 9箱それぞれ一杯に吊るされ、外側には「監視用ビデオ作動中」などと書かれた看板がぶら下がっていた。
 こんな無粋な看板をぶら下げざるを得ないのは、03年8月1日に、観光旅行中だという関西学院大の4年生が留年して就職が決まらず、 むしゃくしゃしてと、14万羽の折り鶴に火をつけたことが発端ではなかったか (拙稿03年8月上旬号(8・6)「出来すぎた話(新・ツルの恩返し)」参照)。
 ともあれ、折り鶴を仔細に見ると、それぞれにメッセージと学校名等が記されている。比較的新しいのでは「平和な世界を…」 (岐阜県高山市立北稜中学校)、「世界の平和を守り続けます」(やままえ小学校六年生一同)、 そして、ホラクニ小学校3年生(ハワイ・ホノルル)などとあった。
 彼らを代弁して、私のひとり言、「ああ、大人になりたくないなあ、美しい国の子どもとしては?!」

広島シリーズ3「シンポジウム、余聞」
 20日午後の「梶山季之記念事業」…「時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す」の講演会とシンポジウムは、無事に済んだ? ようだ。
 梶山の友人、藤本義一氏による講演では、三つ年下の藤本氏は、梶山に「脚本に盛り込むせりふの書き方を教えてほしい」といわれ、 説明すると熱心に聞き入っていたという若き日のエピソードや、かつて話題となったスプーン曲げ少年に対し、 梶山がこんなことをやってちゃいかんと、こんこんと諫めた話などを披露した。
 一方、私も加わったシンポでは、生まれ故郷朝鮮、原爆(広島)、移民、そして最新刊の「梶山季之と月刊『噂』」に関連して、 その創刊の意図などが、それぞれ4人から披露された(詳細は21日付の中国新聞に掲載)。
 さて、"余聞"な話について…。
 シンポの打合せを開始30分前にやるからといわれて、時間前に行ったのに、それはやりませんという。なんのこっちゃ?!  辛うじて、名刺交換だけはすんだが、これでは先が思いやられると案じた矢先…、コーディネーターが最初にしゃべる私を紹介した。 「はしもと・ごろう」さんと。私は思わず立ち上がって、机の前に貼ってある名前を確認しましたね。 たしかに、この日、「ごろう」さんも出席していたが…。終った後、受け取った謝礼の袋には、ごていねいに「橋本健吾」さんとあった。
 ついで、6時ごろから簡単な食事会があった。世話役が、今日は日曜日で、行きつけの店が空いてませんでねといい、 泊まる予定の全日空(ANA)ホテル内の店に入った。同席した男女5人は70代、60代、50代に30代が二人か、 反省会でもないその席ではさまざな話が出た。(ビールを飲んだりすると、トイレが近くなる)
 料理を追加しましょう、何にしましょうかというので、私は小声で「ワシントン・クラブ」というと、 今日は休日で店は休みだとか「そんな店、あったかなあ」と、50代の世話役がいう。いや「WCです」といいなおすと、 「だぶりゅしー?」とけげんな顔をする。
 この間、どの世代からも発言はない。広島ではこの表現は使われなかったのかな、もう死語なのかと思ったが、 (「自然が私を呼んでいる」状態も、限界まぢか)トイレのことですよ、といった時には男二人が既にトイレに向っていた!!
 もう一つ、世話役が何かの話のついでにおどけて、「穴があったら入りたい」というので、「このホテルはANAですよ」と、 だじゃれてしまいました?! オソマツ!!

番外「体験コース」
 21日、再び朝早い「のぞみ」で、広島を出て、新大阪で下車、親戚に寄り、しばし歓談。ついで京都に出て、名古屋で下りる。 兄と飲食をともにし、夜7時半には無事、東京に着いた次第。
 さて、本題。京都駅で、少し時間を潰していたところ、目についたのが大勢の中学生。 5月、6月は修学旅行のシーズンとかで、若い駅員に聞くと、「昨日は、6千人でした。学校数は分かりませんが」という。
 ホーム下のコンコースには、三つの中学校の男女が数クラスずつ座り込んでいる。引率の教師も添乗員も、喧騒の中で大声を出して注意しているが、 どの学校生徒も大人しくはしていない。"疲れを知らない子どものように…"
 数分おきに、次々と入れ替わる。団体専用の列車の場合もあれば、そうでもない選択もあるようだ。
 これはホームに上がっても同じで、直ぐに坐らされる。見ると、男子は白いシャツをだらしなく着、ズボンはずり下げてと、 東京も地方も変わらないのは、やはりテレビのせいかしらん。女子は、おおむね制服(スカート)であるが、平気で地べたに坐っている。
 関東の、かなり人数の多い中学校がホームにあがって来た。あるクラスの男子は袴姿である。剣道か何かの大会でもあったのかと思ったが、 道具は持っていない。つづく女子は町娘? 風の着物姿でぞろぞろと来るではないか。
 何だろうと、担任の女性教師に質問した。彼女はよくぞ聞いてくれたというように、笑顔で答えてくれる。 「体験コースといって、クラスごとに選ぶんです。この組は、着物を着てみようという体験で、"家まで着物を着て帰ろう"というところです」とのこと。
 時代は変わったなあと我が青春時代を偲びつつ、親の出費も大変だろうなと思ったり、迎える側の商魂いやアイディアもさすがだなと感心させられたが、 皆うれしそうだったのが印象的だった。

(以上、07年5月22日の執筆)


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