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とんだエッセイ 7月中旬号

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「なげ悲しい…」
 大型台風4号の行方を気にしながら、カミさんが借りてきた田辺聖子のラブストーリー集『愛のレンタル』文春文庫(1996・09)を昼、 寝転がりながら読んだ。純粋の大阪育ちではない私だが、大阪弁のゆったり、ほっこり感が何とも懐かしい。
 さて、最後の物語「ラストオーダー」に出てくる男女の会話で、"言いそこ間違い"いやちがった"言い間違い"として、 「あっけらかん」→「あっからけん」と、「ざっくばらん」→「ざっくらばん」の二つがある。 たしかに、ややこしい表現ではある。
 男女織りなす愛憎ドラマの中で、これらの会話は見事な効果を表していると思うが、それはともかく、いちど間違えて覚えた言葉は、 なかなか直せないものである。
 向田邦子の『夜中の薔薇』は、童謡「野ばら」の「わらべは見たり 野中のバラ」で始まる歌詞"野中"を"夜中"と聞きちがえて、 ずっとそう思っていた・・・というのは有名なエピソード。恥ずかしながら、これこそ,わが“ずっとそう思っていた”ことで、他人の話でした。陳謝!! 09・06・22》
 一方、近ごろ二人の女性の文章で目にしたのは「ふいんき」という言葉。すぐには分からないだろうが、文章に出てくると、 ただちに「ふんいき(雰囲気)」のことだと気がつく。しかし、そのように覚えてしまった人は、何度訂正しても、 また「ふいんき」と書いてくる。まあ、"ふいんき"がないとも言えませんがね。
 高校時代に、「嘆かわしい」をなぜか「なげ悲しい」と覚えている友人がいた。 後で聞くと、彼には"嘆き""悲しむ"ほどの出生の秘密があったという……。
 "英語"版もあった。中学時代だったか、別の友人はテキストを読んでいるうちに、「sometime」(いつか、そのうち)を"ソメチメ"、 「same」(同じ)を"サメ"とローマ字読みしてしまったから、もう頭の中は真っ白状態ではなかったかしらん。
 そういえば、やはり歌の文句「さりげなく」を「さげりなく」と覚えてしまった小学生もいた。 私の場合は、土俵上の相撲取りがまわしの間に下げているひも状のものを、ずっと「さなり」と思っていたが、 「下がり」だった、なんてシャレにもならない?!
 《蛇足:"言いそこ間違い"は"言いそこない"と"言い間違い"の合成ダブリ表現であろう!?  また、『夜中の薔薇』はエッセイ集のタイトル》

「余事熟語」
 他人のあら捜しばかりでは、片手落ち、いや"片落ち"であろう《これは、広辞苑の第5版だかに堂々と載っている言葉だが、 聞く人によっては「肩落ち」で、いずれは"差別(蔑視)的表現"とならないかしらん?! 余談だが、「手落ち」という言葉は健在である。 なお「片手落ち」は「片・手落ち」の意味であるらしい…》。
 さて、やはり眠れない夜に、岩波新書の『四字熟語ひとくち話』に付き合った。それなりに、知っている言葉も多いが、 初めてお目にかかったもの、間違った解釈をしていたものや読み違いも、かなりあった。
 では、読み違いの例を挙げると、「冷汗三斗(レイカンサント)」を「ひやあせ・・・」と読んでいたり、 "ジンカン"の読みは知っていたが、「人間青山」を「ニンゲン・・・」と思っていたり…。 「女人禁制(ニョニンキンゼイ)」を「・・・キンセイ」とも。ただし、禁制品は「キンセイヒン」と読む。ややこしいですなあ。
 この本には、「これも四字熟語か?」も含め、150例ほど載っているが、初めて知るものがかなりある。 たとえば、"やる気満々"ではない私は「惰気満満(ダキマンマン)」には、いままでお目にかからなかった。 厚顔無恥は知っていても、「厚顔忸怩」も同様である。
 それは、どんな"醜態"を露呈することになるか。たとえば、若い学生たちの前で、二文字の熟語を幾つか並べ、 「四字熟語を作りなさい」などといって、「雨天順延」などを"正解"にすると、ある学生は「それも、四字熟語になるのですか」と質問してくれた。 ハッとしたが、これは頭の体操ですなんて、その場をごまかしてしまったことがありましたなあ。
 思えば、反論のある教室は、今や懐かしいばかり。昨今の学生は、馬耳東風というか、馬の耳に念仏というか、 ケータイに忙しく、聞いていないのである。もっとも、私の場合はほとんどが、"余事熟語"だからかもしれない。

「教育、狂育?!」
 学校現場に、なぜか競争原理を持ち込もうというのが安倍晋三首相の"悲願"であるが、さっそく"効果"をあげた小学校が出てきた。
 朝日新聞「テスト集計 障害児除外/足立区立小学校『学力実態知るため』」(07・07・08)によると、障害児3人の成績を保護者の了解を得ないまま、 集計から除外したり、誤答を指し示したりした結果、05年に区内で44位(全72校)だったのが、06年度は1位になったそうだ。
 校長先生以下、何とかレベルアップを図り、優秀な児童を多く受け入れたいという気持ちはわかるが、やり方がいかにも下手ですなあ。 常に四、五番以内の学校ならば、一位になってもだれも不思議に思わないだろうが、とにかく、これまでのレベルが低すぎる。 せめて、はじめは30位ぐらいを目指すべく、工夫を凝らさないところに、アセリというか、功名心か、"補助金"ほしさか、 いやいや愛校心か知らないが、"禁じ手"を使ってしまったようだ。
 たしかに、"競争"というのは、出来る、早い、強い、巧いなどの要素が必要だが、教育はスポーツなどではなく、 いわば「金子みすゞ」(みんなちがって、みんないい)の世界である。
 それぞれの個性がともに生きていく"共育"でなければならないのだが、安倍首相は何でも競わせ、強者と弱者、 金持ちと貧乏人、勝ち組と負け組に分けたいようだ。
 さて、教育三法(学校教育法・地方教育行政法・教員免許法)が改正されたが、それらがもっとも教育に悪いということが分からない人のようだ?!
 教員免許法はこれまで終身制だった教員免許を09年4月1日から有効期間10年の更新制にし、更新には30時間の講習会に参加させ、 「不適格教員を教壇から確実に排除」したり、「資質と能力をリニューアル」するのだという。
 これには悩みますなあ。"終身制"のせいかどうかはともかく、別のニュースでは、受持ちの小学3年生に「男児の困った点を書け」といった奈良の50代女性教師や、 昨年1月のこと、小田原の小学6年生のように「僕は、女子更衣室に侵入しようとして失敗したおバカさんです」 と書いたA4判の紙を背中に貼って不登校にさせたという20代の男性教師(東京07・07・03夕)もいるように、世には奇矯、かつ不適格な先生がはびこっているようだから、 制度としては仕方がないか。
 先の小学校の話に戻るが、これも多分「どこでもやってるよ」という低レベルの次元で一件落着となるのではないかしらん?!  犠牲になるのは、いつの世も子どもたちであることに変わりはない、ああ。

(以上、07年7月17日までの執筆)


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