とんだエッセイ 8月上旬号
「定年の意味」
以前は「停年」と書いたが、今では大学とか自衛隊などの場合にのみ使われているらしい。
一般に、60歳をもって定年とするらしいが、出版界では解釈(運用)が三つあったという。
すなわち、60歳を迎える年の3月末日、60歳の誕生日の前日まで、61歳の誕生日前日までというもの。
儲かっているのか、組合が強いのか、会社によって、ずい分ちがうようだ。
私の勤めていたところは、はじめ55歳案、ついで57歳案のあと60歳となったが、私は53歳半ばで辞めている。
しかし、その少し前、9歳になったばかりの長男に、「定年って、なに?」と聞かれ、会社などを辞める年齢=60歳と説明すると、
「お父さんの場合は?」と聞くので、「自分で決める」といい、その年末に辞めてしまった。
サラリーマン(月給取り)の多くは、多少の転職はあっても、"会社人間"(佐高信は"社畜"などという)で、
後は年金生活に入り、第二の人生を楽しむ? というのが平均的なところであろうか。
近ごろはボランティア活動や、趣味を楽しむ向きも多いようだが、定年と同時に奥さんから離婚宣言される例も少なからずある。
反対に、ゴルフや旅行にと夫婦で楽しむ、幸せな家庭もあるだろうことは、友人の例を見ても分かる。
かつては、部長とか重役など昔の肩書に執着して、地域に溶け込めず、引きこもりになり、
何かと奥さんの後をついてゆくしかない"ぬれ落ち葉"状況の人もいたというが、すでに死語となっているのか、
最近はとんと耳にしませんなあ。
一方、作家や画家・音楽家など、また家業など"定年のない"つまり、終わりのない仕事をもつ人も多いことだろう。
それは生来好きなことであったり、生きるために続けたりと動機はさまざまであろうが、自分の意思で働き続けるという点では同じであろう。
どの生き方がよいか、幸せかというのは比べても意味はないが、私の場合は成り行きというか、それしか選択肢はなかった。
格好をつけて言えば、私の"美学"は姑息なことをしない、一つひとつ"けじめ" をつける、だけだった。
住宅や車のローン、子育て・学資のためなどという制約がなかったからかもしれないが、"お天道様はついてまわる"という心の支えがあったことはたしかだ。
辞める前、業界のある有力者に"相談"(辞職の申し出)に行った。
とても恬淡とした方で、「たいがい、俺がいなければ仕事がはかどらない」などと未練たらしくいう人間は多いが、
「なに、後がまはすぐ見つかるよ」と、辞職を快諾してくれたので、私は一気に気が晴れたものである。
別の責任者は、私の仕事振りを"評価"していたのか、辞めると知ったとき「痛手だ!」と叫んだそうだが、
私は彼のために働いていたのではなかった。
のち、略歴を記したペーパーに、「辞職」とあるのを見て、「退職」と書いたほうが無難だと忠告してくれた人がいたが、
私は今も改めていない。
「65歳・考」
33歳の時に長女が生まれ、44歳で長男が生まれた。次は55歳だ、などと冗談は言ったものの、すでに時間切れだった?!
長男が生まれたとき、ある人から「奥さんは二度目ですか」と真顔で聞かれて、口あんぐりとなったものだ。
彼は、身に覚えがあるのかしらん。
それはともかく、息子が20歳になるまで、つまり私は65歳まで親の責任として、がんばらねばならないとひそかに誓った。
この間、サラリーマン生活との決別、フリーでの不安定な収入、家族を含め事故や健康の問題など紆余曲折はあったが、
昨秋、大学生の息子が無事20歳となり、さいきん車の免許も自費で取得したという。
やれやれ、何とか自ら誓った20年間の"義務"を果たした解放感があるかというと、まだまだこれからだという感が深い。
この6月、65歳を迎えたその朝、色紙に「六十五歳/それなりの感慨はあるが/これからも長い……/何ごとも疎かにせず/日々精進あるのみ」と書いた。
一方で、世間的に扱われる問題も出てくる。このところ毎年、市の誕生日検診を受けているが、60歳まではただの"老人"で、
65歳から「介護」が加わった。
健康保険料も高くなり、「老化のサイン」というチェックリストが追加されている。
いわく「友人の家を訪ねていますか」「この1年間に、転んだことがありますか」「週に1回以上外出していますか」など、
正直に答えると誤認されるような項目がいくつもある。
ともあれ、少し血圧が高いだけで、内臓や胸など、ほとんど問題はなく、唾も10秒間に7回飲み込め(これは初めての経験で、
かなり難しかった。2,3回の人もいるという)、まずはメデタシであったが、これが"65歳"の証明でもあったか。
さて、1年ばかりかかわった仕事も一段落し、ホッとしたところ、エアポケット状態となってしまった。
そして、年貢の納め時かと思いもしないではなかったが、7月に入ると急に仕事が舞い込んできた。
嬉しくもあり戸惑いもしたが、気がついたことは常に情報を発信し続けることが必要ということだ。
すなわち、インターネット(ホームページ)の効用である。どこのだれが、何を探しているか分からないが、
アクセスされやすい表現とコンテンツの掲出を、これからも続けることだと悟った次第。
カミサンの読んでいた本のタイトルに、『老いることをどうして怖がるのか』(ひろ さちや)とあったのは偶然か?!
「後がま選び」
安倍晋三を後任に推した小泉純一郎前首相は、今どんな心境だろうか。
その昔、ある大手出版社の雑誌編集長は、「次の編集長を誰にするか、意外とむずかしいんだよ」と、
いつになく私に話しかけてきた。私が社員ではなく、フリーの身であったからだろう。
当時、彼はその雑誌の部数を伸ばし、役員になる寸前だった。つまり、後がまとして(現状の部数を維持する能力がなければならないから)優秀な人物を当てたいが、
(自分を凌ぐようであっては立つ瀬がないから)あまり優秀でも困るのだという。なるほど、"禅譲"も楽ではないわけである。
こういう例もある。後任はまだかと有力者に聞かれるたびに、「まだ育っておりません」と、部下の非力を匂わせながら、
地位に恋々としていた人物(1)がいた。
彼は自分の首に鈴がつけられているのは分かっているらしいが、ナンバー2(2)がその後を襲えば、必ず旧悪を暴露されると恐れていたらしい。
そこで、あまり力のない若い人間(3)を後継候補としつつ、時間稼ぎをしていたという。
さらに、「(2)が、キミが後がまを狙っていると吹聴しているぞ」とその男(3)をけしかけたため、
(3)は「ぼくは、後がまなんて考えていないですよ。変なことを言わないで下さい!」と、(2)に怒鳴り込んだという。
相手(2)は何のことか分からず、きょとんとしていたが、やがて嫌気がさして辞表を出していた。
そのとき、(1)は(2)に対し、「キミは、長(責任者)に向いていないからな」といったという。
そして、しばらく後、(2)は近くに行ったついでに、古巣に顔を出すと、(3)は「ナンバー2になれたのは、あなたのおかげです」といったそうな。
さらにしばらくして、(3)は前任者の姿を見ていたのか、「これから、バンバン金を使うぞ!」と言ったとか言わなかったとか。
総理大臣も、民間のそれなりの責任者も、その仕事と地位の"意味"を考えているのかどうか。
(以上、07年8月14日までの執筆)
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