とんだエッセイ目次

とんだエッセイ 9月上旬号

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「…といけない。」
 遠くシドニーにいた、わが安倍総理は「対テロ支援の一環で、インド洋に展開する海上自衛隊の米艦船などへの給油活動継続について、 『対外的な公約であり、それだけ、私の責任は重い』と表明」したそうだ。このように(給油活動継続を)対外公約と位置付け、 責任にも言及し、自らの退路を断って、帰国後の臨時国会に望む"決意"表明を行ったという(東京09/09)。
 その記事を読んで、安倍君は次のような"新語"を連発していることが分かった。 「この約束を果たすために、すべての力を出し切らないといけない」、ついで、給油活動については「活動の継続を重視しないといけない」。 また民主党とは話合いが必要だとし、「あらゆる可能性を考えないといけない」云々。
 ところが、衆議院の解散については、「いまは全く考えていない」といったそうだが、これは記者の聞き違いで、 「いまは十分に考えないといけない」ではなかったのだろうか。
 ついでに言えば、"すべての力を出し切らない"とか"活動の継続を重視しない"などという発言は、 「(本心は)どう考えていいか分からない」という印象を与えやしないか。
 シドニー編はまだあり、9日には、「給油継続無理なら退陣/首相『職を賭す』言明」となった(東京09/10)。 その心は「私の職責にしがみつくということはない」ということで、文脈的には「私は辞めないといけない」とするほうが、自然ではないのかしらん?!
 かくして、日本は平和になった、ではなかった。"私の"安倍首相の常套句に、あらたに「…といけない。」が加わった…。 といいたいところだが、どこかの殿様総理は、「辞めたくなるときもある」となど焼き鳥屋とかで洩らして、 すわ退陣表明かと大騒ぎになったことがあるからねえ。そして、その政権はわずか10か月で終った。 ひょっとしたら"坊ちゃん"宰相も、やりかねないか。
 さて、10日の所信表明では「政治と行政に対する不信を招いた。 退陣すべきとの意見があることも承知」と"深い反省"の意を表明したそうだが、たしかに、 この人ことばが浮ついているというか、本心からの発言とはいいがたいものがある。 「もっと、マジメにやらないといけない」とご忠告申し上げないといけない?!
 《追加:ついに本日、安倍君は退陣を決断した、つまり、予想通り? 投げ出したのであった。これを身勝手、無責任という。》

「介護から少子化まで」
 「私は政治家を志した動機の一つが母親の介護体験でしたので、安倍総理より『厚生労働大臣を』との指示を受けた際には感慨深いものがありました。 /また同時に『よし!』という強い思いも沸き起こりました。/また現在は子育てに追われる毎日を過ごしています。 保育園の供給不足を体験し、『子供を預けて働きたいが働けない親の苦悩』を肌で感じました。 /また『お受験幼稚園の過熱と公立幼稚園の閉鎖』というアンバランスな現実にも直面しました。 さらに、小さい子供と出かけるたびに街の『住みにくさ』を実感せざるを得ません。現在は徐々に改善されてきていますが、 公共機関での乗り換えですら、ベビーカーでの移動は『これ以上子供がいたら母親独りではどうにもできないな』と痛感せざるを得ない状況で、 こういった不満や不安が少子化の根底にあると思います」と語るのは、アンチ安倍総理の急先鋒だった、もと国際政治学者、 タレント、いま参議院議員、舛添要一厚生労働大臣、別名"またまた"大臣である ([大臣室から]●厚生労働大臣就任にあたり」…【安倍内閣】9月6日付メールマガジンより)。
 あれだけ、安倍降ろしをしておきながら、要請を受けると、ホイホイと受諾するとは何事だ、という意見もあれば、 就任そうそう、年金問題などで、早くも得点を稼ぎ、次期総理との声も高い、そうだ。
 ところで、もう週刊誌を読む気力も時間もない私だが、さいきんの週刊誌(広告)の見出しだけでも見てみよう。
 まず、今月4日発売の光文社2誌。写真誌FLASH"政界爆弾をくらえ!!"は「舛添要一厚労大臣/あっぱれ!『種馬人生』/ポスト安部に急浮上!」といえば、 女性自身も"永田町『不倫トラブル』渦中の人激白3連弾!"の筆頭は「改造内閣"目玉大臣"語られない私生活…フランス人妻→片山さつき→15歳年下妻『元愛人の子供は3人』」 「舛添要一厚労相(58)ハゲしすぎる『愛憎遍歴』『3人の妻』『2人の愛人』『5人の子供』」と、ハゲしく書きならべる。
 ついで、6日発売の2誌。週刊文春「舛添要一『消せない過去』/看板大臣には『四人の妻』と『三人の隠し子』が――。 元妻・片山さつきにサバイバルナイフを突きつけた男の『正体』」、「総力取材/内閣支持率を10%持ち上げた男」と、 前2誌と同じ内容のようである。
 一方、週刊新潮は"マヌケ身体検査で「次に危ない大臣」"の一人として「問題企業の広告塔で高額講演料の舛添厚労相」と別の観点からアプローチ。
 これだけ"扶養家族"が多ければ、そりゃ、歳費だけでは足らないでしょうなあ。
 《蛇足:女性の参議院議員も負けてはいない。"姫の虎退治"で初当選した姫井由美子サンも、週刊誌等をにぎわしている。 女性自身9・18号「『年下教師との6年愛』に見合いの夫は困惑 胸中1時間」や、週刊朝日「"不倫姫"の夫がかたる妻の素顔」は、 妻を支える夫の"美談"尽くしのようで、彼女にはいずれ男女共同参画(三角)関係担当相になってもらってはいかが…。 そして、日本は「一盗、二卑、三・・・」などという言葉を喪った?!》

「父、よみがえる…」
 それは、未知の方からのメールで始まった。
 戦前の中国における、ある学者について調べていると、その方あてのわが父八五郎(1888−1976)の書簡が複数出てきたという。 いったい、これはだれだろう、というご質問であった。
 亡父は取り立てて語るほどの人物ではないが、友人知人に、少年時代の私にも分かる人物が、何人もいたことは事実である。 その学者には、私も父に連れられてお会いしている。40年以上も前の話だ。
 当時、私は大学4年、ときたま日記をつけていた。 大学ノート「主人公の言葉」5(1965・4・14〜7・22)の5月25日の項に「父母から、便りが来た。父は、何年ぶりかの上京であろう、楽しそうだ。 私としても最初にして最後かもしれない、父への"孝行"、少し時間を取られるだろうが、充分満足してもらおう。…」
 ついで、5月31日「この月末は、ずっと父のお供であった。初めて、二人だけで話をしたが、それも悪くないものであった。 道々、腹の立つこともあったが、それは仕方のないことだ。色々の人に会った。就職のことで、どれだけプラスになるか知らないが、 これを機会に努めて人に会うことにしようと思う。今年はどこも不景気で、困難な状況らしいが、努力しよう。…」
 6月3日「父の印象 先にちょっと書いたように、やはり歳は争えなく、物忘れや記憶違いが多く、その点危なっかしいが、 体の方が元気なのは、何よりだ。/私は、今まで肉親と親しく話すということが余りなく(それは性格によるのであろうが…)、 今日までこうやって生活してきたのだろうが、時期的にも今度一週間父と行動をともにして、色々と話し合ったことは意義のあることだった。 /上に、"性格による"という文句を書いたが、これは多分に父から受け継いでいるらしいもので、如何ともしがたいが、 今さらそれを変えることも出来ないので、出来るだけ生かせる方向に持っていかなければならないと思う。…」
 さて、その学者に関しては、そのお宅の庭先にあった、しだれ柳の写真を撮り、あとで届けると、 「ほめられる」と手帳に記したのは同年6月13日のこと。同氏は「本の表紙にしよう」などと言われたように記憶する。 《つづきは、いずれ…》

(以上、07年9月12日までの執筆)


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