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とんだエッセイ 9月下旬号

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「シャッター通り…」
 いつのころからだろうか。あちこちで見慣れた商店街の、店じまいし終日シャッターが下りたままの商店が目立つようになった。 だれが言い出したのか、「シャッター通り商店街」とは、言い得て妙というより、あまりにさびしさを誘う光景だ。
 わが住む町も例外ではない。団地のある号棟の一階にある商店は酒屋、食料品屋、そば屋に八百屋、肉屋、魚屋に靴屋、 パーマ屋に花屋など10店舗ばかりあった。途中でいくつか入れ替わっているが、長年どの区画も店舗が開いていた。 それがいま、酒屋は閉じたまま、八百屋は親父さんが高齢となり閉鎖、魚屋が退いたあと数か月して、別の八百屋が入ったものの、 まだ2軒ばかり空きのままだ。これは明らかに、近くに複数の大スーパーができたことに基因する、典型的な例といえる。
 先日、その名も「シャッター通り商店街」という青年劇場による演劇を観た(作:高橋正邦、演出:松波喬介)。 深刻な現実の問題がテーマだが、シリアスなストーリーにもコメディタッチとでも言おうか、あまり演劇に馴染みのない私だが、 随所にくすぐりがあって楽しめた。商店街会長のショッピングセンター構想化を目論む思惑とそれに反対する二人の女性商店主の抵抗と創意に加え、 物語が繰り広げられる喫茶店の主人と二人の子供との葛藤、インドでカレーの修行をして帰国したその次男と恋人の悩みなどが織りなす舞台は、 さまざまな新と旧が綯い混ざる展開だが、軽い手品の場面は意外性があり、フィナーレの和太鼓の連打は、相当に年季が入っていそうな感じだった。 終って、出演者がはっぴ(法被)を着て並んだ姿を見て、つい「はっぴ(ハッピー)・エンド!」と一声かけたかったが、 礼を失してはいけないと黙っていたのは心残りであった?!
 次の日、文章教室で披露された年配者の一編は、ご近所の様変わりした「シャッター通り商店街」が主題だったのは、 何かの偶然であろうか。
 こういう下りがある。「(30年ほど前)母の買物は、たとえば味噌汁の豆腐はスーパー、冷奴は豆腐屋でと使い分けていた」そうで、 何でもコンビニや大スーパーでまとめて買う今とは大違いだったことを物語っている。
 閉じたシャッターがもう一度、開くことはあるだろうか?

「子どもにケータイは凶器?!」
 人は発育に応じて、さまざまな知恵や知識を身につけ徐々に成長し、そして共生=社会生活を営むことができるのであろう。 しかし、戦後の経済成長とテレビの出現など文化的発展の"悪影響"を受けて、知恵や教育を授ける大人と、それを受ける子どもの"差"が急速に縮まってしまった。
 そして、親殺し、友だちいじめがエスカレートする原因の一つは、"友だち親子"を是認する親や、給食費を払わないとか学校に文句をいう「モンスターペアレント」などの顕在化ではないだろうか。
 であるならば、未熟な親たちに育てられた子どもこそ犠牲者といえよう。マンガは想像力を駆り立てるが、アニメで育った今の子どもたちは即物的というか、 想像力に欠けるという。テレビゲームがそれをエスカレートさせ、人は死んでも生き返る(リセット)と思っている子どもが多いのもうなずけよう。
 いまや国も推進するインターネットとケータイの普及であるが、その子どもに与える影響など、だれも考慮しなかったのだろうか。
 04年に長崎で起きた小六女児のカッターナイフによる同級生殺害事件は、テレビドラマ「バトル・ロワイアル」の似たような場面がヒントになったとか、 その後放映中止になったことなどが話題となったが、それよりも大人が悪用したり、させたりするインターネット利用の悪弊のほうが大きいであろう。
 ケータイはさらに問題といえる。少女買春のツールとして、小学生も"稼ぐ"手段となって久しいが、カメラ機能も無視できない。
 「『罰ゲーム』/ネットの下半身写真/神戸高3自殺 教師もいじめ認識か」(東京07・09・20)は、陰湿すぎる事件であるが、 加害者側は恐らく"面白半分"でやっただろうし、"決めたルールだから"などと、悪びれるところはない?!  先に触れたように、そんな写真をネットで公開すれば、相手をはじめどのような影響が出るかなどの"想像力"が働くだけの知恵がなかったであろうから、 またやりかねないではないか。
 そして、親は他人事と思うのではなく、自分の"便利さ"を棚に上げ、あるいはメーカーに踊らされて、子どもにケータイを持たせるのは愚の骨頂であることを悟るべきだ。
 他の国の話題だが、インドのカルナカタ州では、「16歳未満の携帯電話使用や販売を禁止する」と決定したそうだ(東京07・09・13夕)。 日本も、一考に値することではないか。
 さらに、まかり間違っても、上からの押し付け、"道徳"を教科に組み入れようという目論みは "バンザイ"安倍首相のおかげで一頓挫したが、 その考えは筋違いであり、同じやるならば、子を持つ親だけでなく、そのまた親の世代から再教育すべきであろう。

「老いては子に従え?!」
 教育評論家の斉藤次郎(68)さんはそれなりに著名な人である。毎週掲載される東京新聞の「子どもなんでも相談」は長く続いていた。 質問を寄せる親の悩みはさまざまで"深刻"であるが、それに対する彼の回答は何がしかの勇気や安心感を与えていたのだろうと想像する。 また、あるところでは長年、内外の絵本を教材に「児童文化論」と題して講義をしており、"癒し系"で若者に人気があったという。
 ところが、あろうことか、「教育評論家の斉藤次郎容疑者/大麻10グラム所持し逮捕」され、「(大麻を)普段から吸っている」と容疑を認めた、というのである。 今年2月、埼玉県警朝霞署に匿名の通報があり、捜査されていたそうだ(東京07・09・21夕刊)。
 彼は放送倫理・番組向上機構の「放送と青少年に関する委員会」の委員を務め、その下部委員会、放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)の副委員長も務めている。
 大麻所持で現行犯逮捕なんて、言い訳も何も通らない最悪の事態ではないか。子供評論家として、彼を起用していた新聞社やテレビ関係者はびっくり仰天したであろうことは想像に難くない。
 はたまた、彼を講演者として招いていた各地の"善意"の関係者も同様であろう。『気分は小学生』(岩波書店)などという著書があるらしいが、 世の多くの、小さな子供を持つ親たちにもこれ以上の打撃はないであろう。"倫理"を説く立場にある人間は、身辺をきれいにしておかないと、 その言説に説得力がないばかりか、信用を一度に失ってしまう。
 なぜ、大麻なのか。しかも、40歳近い息子に勧められて吸っていたらしい。昔から言う、「親は親なら、子も子だ」ではなく、 「老いては子に従え」というところが、悲劇といおうか、何といおうか。
 彼は99年夏から"子ども応援マガジン"「子ども+(プラス)」という季刊誌を創刊している。 その特集に「子どもはいま、そんなに危ないの?」とあるが、07年の「いま、大人は・・・?」という、深刻な状況にあるのではないかしらん。

(以上、07年9月25日までの執筆)


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