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「ミニ自分史」(79)「結婚・長女誕生のころ (白い本より)」 20080715

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 "白い本"という真っ白な本は今でも売られているようだが、これはわれら夫婦が結婚して長女が誕生するまで、 二人が思い思いに記したものである。だれでも自分で書いた直筆の"本"を持てるという意味で流行っていたころだったかと思う。

 結婚・長女誕生のころ (白い本より)

  雪・酒・おんな
       恋人

  白―雪
    花嫁

      1973.1.15(上荻にて)

(第1頁、タイトルのつもりで)

  花 嫁

 1/24 未だ 来ない
    写真、雨に濡れてさびしそう…
    お年玉だという 二人の写真、誰に見せよう
    寿司屋のおばあちゃんが 喜んでくれた
    (おばあちゃん、最近、長男を
    失って、寝込んでいるんだよ)

1973.2.3 高田馬場・レストラン「大都会」にて"人前"結婚式

  3月21日(春分の日) Mちゃんの結婚式です

その日は朝から私は大奮闘です
なんせカメラウーマンをおおせつかったのですから
私がいないとさびしいと彼がいいます
お友達をよんでマージャンをするそうです
お酒のさかなをいっぱいつくっておかなければなりません
その事で今から頭をなやませています
今日は3月4日です 昨日はひなまつりです

  きのうの話 3月3日ひなまつり

やっと1月たちました
すごく長かったと彼はいいます
私はあっというまだったと思います
どうしてそんなに感じ方に差があるのでしょう
1年まで無事にもちますように
           祈りをこめて さち子

  涙をこらえて―タイトル

反省―余り多くて、いちいち思い出せないもの
夢―見るのはただの夢 見ないのは悪夢
愛―確かめられなくなった時 その深さが判る
酒―こればかりはサケられぬ
手紙―書くこと程に 心がこもらない
妻―要求することのすべて 涙こらえて泣くもの?
            一年後もかくありたいもの
            ひなまつりの次の日 けんご しるす

  

大きく書いても 小さく書いても 妻は妻
愛情も子供も(夫も) 宇宙も全部
自分の掌中におさめていないと
落ちつかない存在

 Я вас люблю.(私はあなたを愛しています)
 さち子へ 健午より 1973.3.4 

  1973.3.27(火)

E子 来たる
少しだけチェス教える
最終のバスをおくる
帰ってから だんな様とチェスをやる
45分かって 勝利をわが手に!
ただいま11時45分
とても暖かい一日でした

  1973年4月1日 APRIL FOOL`S DAY

今ここに"APRIL FOOL`S DAY'62"と
その裏に書かれた
青いポリエチレン製の洗面器がある
やや色あせてはいるが、これは東京へ出てきて
早稲田大学へ入学した年の、この日に
鷺宮の、医者の家の離れを借りたときに買ったものである
医者の不養生を地でいったような
汚い二階の部屋だったが
当時の私には文句は言えなかった

それから丸十一年経ったわけだが
ある時は早く ある時は遅く感じられた時の流れも
さまざまな思い出や苦い経験を盛り込んで
三十歳に至っている
"物書き"を志してから何年経っのだろうか
結婚して まだ二か月にしかならないが
余り幸せになると
ほんとうに一行も書けなくなりそうだ
一個の洗面器も 物こそ言わね長持ちするが
私も初志貫徹すべく 頑張らねばならない
          暑い、夏を思わせるような一日
          上荻の自室にて  健午

  今日は4月の19日

今、午後9時50分
夕食のしたくはできているのに
まだ帰ってこない
電話もかかってこない
どうしたのか心配しているのに
昨夜は熱があって早く寝たのに
だいじょうぶかしら
今日の朝は気分よく出かけたけど…
遅くなる時は電話してねと何回も
言ったのに連絡ないなんて
まさか事故でないでしょうね
早く帰ってきて
おなかすいちゃった

  1973.6.7〜〜

昨日はめずらしく早く帰ってきましたけど(8時40分)
2日続けて早いなんて事ないだろうな、と思っていたら
電話
今から帰りますというので あらあらと思って
急いで最後の仕上げにかかった
電話のあったのが8時10分過ぎ
どんなに遅くても9時頃かなと思っていたら
10時になっても帰ってきません
出ようとしたら仕事が入ってきたのかな
まあ1,2時間はしょうがないと思っていたら
11時、12時になっても帰りません
本当はとっくに会社を出て、事故にでもあったのではないかと
気が気ではありません
何度も外へ傘をさして出てみました
今日は一日中雨が降っています
12時過ぎても何の連絡もなし

外に出たあいだに電話があったのかもしれないと
心配になり、家にもどり、でも落ちつかず
立ったり座ったり、歩き回ってしまいましたけど
せまい部屋の中
いらいらして泣きたくなって
悲しくて、思わず泣いてしまいました
外にでた方が気が休まるようです
いつの間にか雨はやんでいます
遠くの空に向かって思わず手をあわせました
もう泣くのも疲れてしまった頃
2時10分過ぎに電話
どきっとして すぐ受話器にとびつきました
彼の声!
安心して声もでません

思わず 早く帰ってきて! と泣き声を出してしまいました
外に出ました カギをかけて
そして帰ってくるまで外で待っていようと思いました
彼を見つけた時 とびついていきました
だいぶお酒を飲んでいるよう
お仕事だとばかり思っていたのに
すごく疲れているみたい
ビールも半分しか飲まないで
三時すぎにお食事にしましたけど
ごはんは全然食べません
眠たいというので 私は食事が途中だったけど
すぐかたづけて おふとんをしきました
よく寝ているようです
私は食べかけたごはんをたべました、台所で
昼の食事を昨日の三時に食べただけですから

もう12時間たっています
あまりおなかがすきすぎて食欲がありません
かたづけをして着かえました
あまり泣きすぎて頭が痛い
つかれているのにねむくないのです
気がついたら外が明るいので窓をあけました
もう白々と空が明るくなってきています
四時すぎていました
寝たのは四時半頃
不思議と 7時半前に目がさめました
いつものように 7時半に目覚しが鳴ると思ったので
後ろのボッチをおさえて音がしないようにしました
あまり良くねているのでおこしてはかわいそう
もう少しねかせてあげよう

  8/21

Y子ちゃんへ電話しました
お手紙いただいたのです
電話がついたからと知らせてくれました
赤ちゃんがお昼寝かなと思って
タ方までまちました
なつかしいお声
N子ちゃんの泣き声が聞こえてきます
来週伺うことを約束しました

今 夜の9時35分
彼は速記原稿をリライトしています
食事がおあずけになっています
私は手があいているので
今これを書いています
今日やっとHNさんにお返事出しました
おくれちゃって申し訳ない
Hさんからも旅先から絵はがきいただいたので返信しました
スヌーピーのアメアメフレフレ スズシクナアレ
ただいま雨ごい中 の絵をそえて

  一九七三年十月十六日、夜

だいぶ寒くなって来た。
さち子は時々、冷たいことを言う。
本心ではないのだろうけれど
(私もそうかもしれない。)
何となく、気が滅入る日だ。
私に四季を感ずる気持ちがまだあるのだろうか、
(見込みありだね、)

さち子の場合は、余りにも考えすぎ…。

何となく落ちつかない心の、
何となく不自然なこと。
いやな訳でもなし、困った訳でもなく、
とはいっても、誰にも判らない、
私自身にも判らない、漠然とした心。
ふさぎ込んでいても、何にもならないのに、
どうしてかそれにひたり切りたい
甘ったれた気分、いつからそうなんだろう?

  1973.10.30

紙が高い、サンマは安い サバは買えない、
寿司はうまいがなかなか喰べに行けない
さち子の嘆きは私の嘆き

思い切って髪を切ったさちこ、よく似合う形
可愛い、いつまでも乙女のようなのは、
我がままのせい(?)
何を望まなくとも、今のままでいい、ほんとうに!

  遅れて届いた年賀状 1974.1.3

よいお天気の日が続く
雨が降らないのはよいが、
水のなくなるのは困る

一年はまたたく間にすぎた
いろいろなことの起きた一年だ
さち子にとってはどうであろう

一年は早くても、一日は長い
一日を大切に生きることの
何とむずかしいことか

あまり多くを望まない
つつがなく、平和に、健康に
生きることが大切だ

さち子は私にとって大切な宝だ、
放っておくとどうなるか判らないような
頼りない"石"だけれど
愛してるよ
    さち子へ健午より
今年も元気に行こう!

  早稲田 優勝!!(ラグビー)

   貴ノ花 白星(大相撲初場所)
   輸 島 完敗(〃)

   昭和49年1月6日(日)
   さち子の予想大当たり

昨日は井出さんのお宅に伺った
お土産にしょうゆ2本、サラダ油2コ
みかん2K位、オールド1本
ビール券3本×4枚
こんなにいただいていいのかしら
私たちの持っていったのは特急酒1本、
ケーキ7コだけ
1/27日にいらっしゃるとき何のご馳走に
しようかしら

  1月7日のちょっとした反省 1/8

酒、ばかりでなくストレスか何かでやや疲れている。
少し休まなければと思う。
近ごろいつも旨いとは、思わないのがいけない。
今年は大変な年になりそうだ。
まず自分の体から大切にして行かないと、
取り返しのつかないことになってしまう、

  昭和49年1月9日(水)

昨日8日はとても早く帰ってきました
未だ7時30分にならない前に、
電話もなく突然帰ってきたのでびっくり
前の日が遅かったので今日も遅いだろうと
タカをくくっていたので大あわて
たらのお鍋にしたからすぐできたけど、
それにピーマンの肉づめを添えました

今日9日はお風呂に入らなくちゃ
8時30分すぎても連絡なし
頭の毛を洗う予定なので先に入ろうと
思ってお湯を入れました
いざ入ろうと思ったら電話、9時15分
これから会社を出るというので1時間の間に
お風呂へ入ってしまおうと少し急いで入りました
そしてお部屋が寒いので風邪を引かないように
5枚も重ねて着てパジャマの上にズボンをはいて
靴下もハイソックスを2枚重ねて
髪の毛をよくふいてかわかして、おぜんをならべて
今か今かと待っていたのにちっとも帰ってきません
台所には下ごしらえもでき、煮物を温めたり
あとトリのモモを焼いたりすればいいようになっているのに
おこたに入って本を読んでいたら眠くなってきたので
これはいけないと思ってもう寝ることにします
12時すぎました おなかペこぺこだけど
おふとんしいていざ着物をぬごうとしたら
電話、今、荻窪ですって
12時30分ですよ、もういや、心配して待っているのは
今日はお昼も食べていないし
また不規則なことになってしまって
帰ってきたら、不平、不満、グチをいっぱい
ならべてやるんだ

  昭和49年1月21日(月)

今日は私の誕生日です 27歳になるのです
自分のことなのに信じられない、なんていったら変かしら
25歳から先はあまり年をとった気にならないのです
結婚しているからかしら
Mちゃんから電話あり おくやみをいわれる
いいよ 私も3月2日になったら おくやみをいってやるから
夜、外で食事をしようと約束したので、朝から大掃除
どこかヘ出かけようと思うとあちこち目について
ふだん手をつけない所まで掃除をはじめるのだから
我ながら変な人間
押入れそうじして、おふろも
おけを動かしてうしろがあかで汚れていたので洗う
そしたらおふろの足がとれちゃってボンドでつける

午後から急に寒くなったと思ったら雪が降り出してきました
どうせそんなに降らないだろうと思ったら
どんどん降り続いて夕方には大雪になりました
異常乾燥が一転して大雪警報
電話が掛かってきました
一度はこの雪で出かけるのを取り止めにしようと思ったのだけど
思い直して、まだまだ降り続く雪の中を
うんと暖かくして出かけました
荻窪で待ち合わせ
花を買ってくれるというのでカーネーションを買ってもらった
お花をもらったのははじめてよ
それから西荻窪へ行ってこけし屋でケーキをかい
前に一度行った焼肉屋さんへ
今日はすごく食欲があってお肉おかわりしちゃった
あんまり食べたのでびっくりしていたみたい

外へ出たらもう歩けないくらい雪が降りつづいて
本当は雪の誕生日を家まで歩いて帰るのを
楽しみにしていたんだけど、とても歩けそうもないので
西荻窪からバスに乗って八丁まで   今日一日終り

  1974.2.19(火)

電話なしで突然ご帰還 7:45
お酒のさかながなかったので、すぐお食事にしちゃった
あまり文句もいわず食べました
ブロッコリーとカリフラワー(両方冷凍)をゆでてサラダに
べーコンをいためてコーンとグリンピースをまぜたご飯
大根と人参のかすみそ汁
9時前にお食事が終わっちゃってびっくり
こんなことはじめて
時間があるのでおふろに入ろうといいました
今日は頭を洗わなくちゃ

昼は母と妹と伊勢丹へ行きました、12時待ち合わせ
今度の日曜日に藤原さんがいらっしゃる予定なので
お正月にいただいた座布団カバーのお礼に
赤ちゃんにお人形か何か買おうと思って
E子に卒業と就職祝いもしなくちゃ

28日に『噂』のパーティがあるので受付を頼まれ
そのときの洋服をどれにしようか、派手でなく
ある程度ちゃんとしたものだって
その時マフラーをしようかと思って マフラー売場へ
それから洋服生地売場
べ一ジュのスカートの布をE子とおそろいで買う

おもちゃ売場でうさぎのぬいぐるみをかう
おちゃわんも彼とおそろいで買う
呉服売場でE子の着物を見る
下着売場でE子と母の意見対立
食料品売場でも買い物して帰る
足がいたくてとても疲れてバスで八丁へ
6時帰宅

  49.6.5

今日もうっとうしいお天気です
きのう名古屋のお義母様から浴衣が届く
ちょうど母がきていて、開けてみる
彼のと私のとそれにきしめん(2)、こぶ茶(2)、
ようかん(3)、ピーナツ、味の素のほんだし
もう来年は出来ないかもしれないという
お義母様のお電話が朝、ありました
ありがとうございました
お礼のお手紙をいま書いています
今日はTさんにお電話、Kさんが退社とのこと
Sさんがおめでた 電話をしてみる
8月19日が予定日とのこと、結婚式は咋年の11月4日
早いなあ、ほとんど新婚気分を味わうひまもなかったよう
5か月くらいまでつわりがひどくて実家に戻ったとのこと
深大寺の少し手前のところの社宅
吉洋寺南口から深大寺行バスで北ノ口下車
                   <"草花"の絵あり>

  1974.6.9

若狭の青く澄んだ海のような
素直な、汚れのない、
健康で、
おとなしいのであれば
ごく平凡な
過不足のないものであれば
それだけで充分だ
まもなく三十二歳
責任の出てくる年齢でもある      健午

  1974.10.14早朝

一昨夜、「ユーゴー」と
さち子の頭にひらめいたという。
男の子なら"遊午"がよかろう
という話になった。
(名前負けするかな)

昨日とはうってかわって、よいお天気になりそうだ。
ひょんなことから、これから十日間のヨーロッパ旅行に
行くことになった。
何もかも初めてで多少の不安はあるが、
行ってみなければその良さも悪さも、
わからない。
まあ無事に帰ってくるのがなによりの
おミヤゲであることはたしかだ。
さち子、しばらく辛抱してね。 Ken Hashi(サイン)

  1975.1.12(日)

さち子が女の子を無事産んだ、ごくろうさま。
午後6時半という。
予定日よりやや早いが、順調なのだという。(2970グラム)
何はともあれ、母子ともに健康であるのは何よりだ。
朝、一度病院から戻っているとき、
名古屋の母から"知らせ"があったという電話、
(義母には判らなかったようだが、その意味が)

朝6時ごろ、病院へ電話を入れていた。
10分おきの陣痛が5分おきに変われば、病院に来いということ。
それからうとうとしたらしく、9時ごろ突然、
さち子が病院へ電話してくれという、破水したのだそうだ。
病院は、男が電話したものだから、何の用事かという。
そうこうしているうちに、タクシーを呼びに八丁まで行く。
寒いがよく晴れていて気持ちがいい。
ちょうど来たタクシーの運転手は、
察しがよく、出産ですかという。
O病院まで、ものの5分とかからない。
少し前に、やはりだいぶお腹の大きい女性が受付にいる。
さち子はさほどでもなく、てきぱきと手続きをしている。
(こんなところがタノモシイ!?)
すぐ病室に入る、八人部屋だ。
通路をはさんで反対側に新生児室があり、ピンクの毛布を
掛けてもらった生まれたばかりの赤ちゃんが何人も並んでいる。
私は自分の子供の場合も馴れておこうと思い、
それぞれの赤ん坊をのぞく。
これでは間違いが起きないかなと心配にもなる。
それにしても可愛いものだ。

9時15分ごろから授乳の時間らしく、あちこちの部屋から、
母親たちが、のそのそというか、そろりそろりというか、
ガウン姿、浴衣を着た人、素足の人、靴下の厚いのをはいた人、
思い思いの格好で集まってくる、
母親の顔はみな違うが、赤ちゃんはどれがどれか見分けがつかない。
また、そのわが子を見る満足げな顔、うれしそうな表情、
さち子も間もなくそうなるのだろうかと、ひとりで考えている私。

出産は夕方だと、二度目に病院へ行ったとき教えられる。
用がない私は所在ないので、すく帰される。
何かあったら連絡しますと義母はいうが、
家で待っていてもいっこうに連絡がない、
四時、五時、六時、大相撲の初日も終って貴の花は勝ったが、連絡はない。
夕方の面会時間は8時までなのに。
行ってみようか、どうしようかと思っているうちに、7時10分前に電話。
6時30分、女の子だという。
行くべきかどうかを聞いてほしいと待っていると、またTel。
8時ちょうどに病院着。
少しどきどきしたが、何となく自分に似ていそうな
赤ん坊がガラス越しに見える。
もう目に涙をためて、泣いている。
母親のほうは少し疲れたのかほっとしたのか、
朝、また来てねというばかり…。

≪翌1月13日より4月にかけていただいた、約30件のお祝いについては省略≫

*このあと11月末まで続くが、ここでお終いに。2008・07・29橋本健午


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