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「まだまだコラム」 2008年9月下旬号

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「終焉?! を迎えるのは新聞だけか」その1
 先日、「『朝日』ともあろうものが。」という、若いとき記者だった人の懺悔あるいは内幕暴露の本を読んだ(烏賀陽弘道・徳間書店2005・10)。 本の帯には「聞いてビックリ、見てビックリ。朝日の記者生活は、『驚き』の連続だった! 『捏造は当り前』『偏向は常識』?!  元朝日新聞記者の苦闘の青春期」とある。
 在社17年というから、その時期は1986年から2003年まで、つまり23歳から39歳までであろうか。 もっとも、91年から2001年は同社発行の週刊誌「アエラ」編集部に属し、その間アメリカに自費留学したり、 ニューヨークに駐在もしていたという。
 さて、"捏造"について、これは同社のお家芸といっては何だが、戦後間もなく、共産党員の「伊藤律架空会見記」というドえらいものをやった前科がある(1950・09・27夕刊)。 たしか、縮刷版ではそのスペースが空欄になっていた。また、記憶に新しい?のは、本書でも取り上げられている「サンゴ汚したK・Yってだれだ」(1989・04・20)で、 潜って写真を撮った記者自身がサンゴに傷をつけたというものだった。スクープには違いない?!(なんだか、若者ことば"KY"の元祖のようですねえ)
 捏造するのは、記者の功名心からか、時間に追われているからか、上司の指示が過酷だからかは知らないが、困ったもので、 それらに対して長年購読する朝日"信奉者"は本誌タイトルどおりの、苦情を言うそうだ。
 ついでに言えば、近ごろは、他社(他人)の記事や書いたものを拝借する"盗用"が横行しているが、これはひとり新聞ばかりか、 学者や政治家にもあって、レポートにほぼ同じ文章を"コピペ"(昔の表現で言えば、ハサミとノリで書く)して恥じない学生諸君も顔負けの恥知らずがまかり通っている。 (この国では、いつまで経っても"著作権思想"は普及しない?!)
 公平さを欠いてはいけないので、テレビの場合も論じなければならないが、これはあまた日常的に行われている"やらせ"を思い起こせば事足りるであろう。 たとえば、放送時間に合わせて決着をつけるテレビ黎明期からあるプロレス中継なんぞは、その元祖かもしれないが、 それ自体がショー(見世物)だから、視聴者も承知のうえであったはずだ。
 街角でのインタビューもその局にとって都合のいいものしか出さないのは当然であろうし、プロ野球の解説も巨人に偏っていたり、 バレーボールの中継に代表されるように身びいきばかりの報道が目立つ…。おっと、これは"捏造"というより"偏向"であったか。
 偏向といえば、夏の高校野球は県予選から報道が過熱していると、著者はこれにも文句を並べているが、 いかんせん朝日に限らず新聞社は興行主の片棒を担いでいるのだから、仕方がないであろう(ホンネは、拡販の手っ取り早い手段ではないか)。 念のために言えば、毎日は春の選抜(と社会人野球)を扱っており、一人遅れた読売は「職業野球(いま、プロ野球)があるじゃないか」と、 アドバイスされて始めたと、神宮球場の元球場長から聞いたものである。
 もう一つ、同じ活字媒体の雑誌はさまざまだが、講談社「現代」や朝日「論座」など硬派の雑誌ばかりか、 かなりの雑誌が部数を減少させ、休廃刊の憂き目にあっている。
 よく挙げられる理由は、インターネットの普及によるというのもので、これは新聞の部数減にも通ずるが、 テレビ自体も広告離れが深刻さを増しているようだ。
 話は脱線して来たが、メディアは何を目指して、だれに向って発信しているのか、原点に返って考えるべきではないだろうか。

「終焉?! を迎えるのは新聞だけか」その2
 (承前)「第2章 みじめでまぬけな新米記者」に、こういうくだりがある。
 新聞記者時代には「読者はどんな記事を読みたがっているのか」を考えたことがとうとう一度もなかった。 また、上司も先輩も、そんなことはまったく教えなかった。職場で話題にすらならなかった。 せいぜい「記者クラブばかりにいないで、街ダネを探して歩け」という人がいれば、それは良心的なほうで 「読者は何を知りたがっているかを考え、記事にしろ」という人にはお目にかからなかった。 …たまに街ダネや独自ダネを書くときでも、優先されるのは「記者の関心」であって「読者の関心」ではなかった。 /週刊誌なら、いま読者の関心事は何なのか、…必死で探る。毎週、その号の売上げ「実売率」が発表されるからである。 (中略)週刊誌を例にして「読者の関心」あるいは「商品」ということを主張すると、露骨に軽蔑感を表す人が、 ぼくの周囲には多かった。会議で雑談で「読者の低俗な関心に迎合しちゃいけないよ」などと本気で言う人も、 実際に何人も目撃した。彼らは知らないのだ。読者の関心を引き、同時に社会性が高く、しかも読んで知的に楽しい、 という企画は成立することを。難しいが、可能だ。/が、朝日新聞はそれをしない。できないできないの一点張りで、動こうとしない。 自分ができない領域を「低俗」と軽蔑したそぶりさえ見せる。できないことを認めるのが悔しいので必死で価値を否定しているかのようだ。 そして自分たちから離れていった読者には「活字離れ」というレッテルを貼る。

 これで思い出したのが" (読者の)ニーズ論争"である。
 私は1982年秋から13年余、日本雑誌協会という団体に勤めていた関係上、年に一回秋に行われるマスコミ倫懇全国大会(各県の持ち回り)に参加していた。 そこで、何年前のことだったか、上記にあるような「読者の関心」を先取りして誌面を作る、つまり"読者のニーズ"に合わせると雑誌側が言えば、 いやそれはおかしいという新聞関係者と論争になったと聞いたことがある。
 私は別の分科会(メディアと青少年)に出ていたので詳細は分からないが、いま思えば90年ごろのことか。 ちなみに、この大会の出席者の多くは、現役の記者・編集者というより、誌面審査や倫理関係を扱う部署の年配者が多く、 現場の声が反映し難いという面もあったから、勢い「読者の低俗な関心に迎合しちゃいけないよ(=ニーズに応えてはいけない)」というような、 議論が出てもおかしくはないようだ。

 ある年、私も全国大会で耳にしたが、警察が犯人いや容疑者の名前を公表しなくなった(人権上の配慮からか)という話題から、 若い記者の取材力が落ちたということが報告されていた。つまり、どうせ警察が発表しないのだから、取材してもしなくても同じだという論理構成だったか。 その一方で、地方の狭い地域での犯罪は匿名にしたところで、だれのことかと住民が容易に推測できる、という問題もあったようだ。 私には、その多くが東京発信という雑誌にはない悩みであったとも受取れた。
 もう一つ、先の「『朝日』とも…」に批判的に書かれている「記者クラブ」制度は悪しき特権を守る、 別のことばで言えば"抜け駆け"をしないという仲良しクラブでもあったが、ある公取委の役人はその弊害を「どの新聞も中味は同じだ」と喝破していた。
 さらに、新聞の"同調的値上げ"を苦々しく思っていた彼らの中は「新聞はインテリが作って、ヤクザが売っている」という御仁もいたが、 烏賀陽氏の論理でいえば、インテリというより役人といったほうが現実的ではないか。

「終焉?! を迎えるのは新聞だけか」その3
 ちかごろ、NHKテレビへの苦情が増している。8月は北京オリンピック報道の過熱さであり、 今月は自民党総裁選の候補者の扱い方に、視聴者の批判が厳しかった。
 東京新聞テレビ欄08・09・19「五輪放送で『不満』民放連会長/『NHKと大きな差』」によると、 「…五輪というとNHKが圧倒的で、民放の影がかなり薄くなる」と、視聴率10位以内には民放は女子マラソンが入っただけで、 後はみなNHKの放映だったと恨み節が出たそうな。しかし、取れもしないメダルを過剰に期待して放映権を買う"バクチ"であるから、 運不運もあるだろうに。
 そのテレビ放映については、このコラム前月下旬号で取り上げたが、 想像するに"国営放送"NHKは中国に借りがあると私は以前から睨んでいるのだが、果たしてどうか。
 ついで、同じような現象が自民党総裁選のそれで、同19日付によると、NHKニュース7(13日)では「自民党総裁選が告示された日、候補者五人を出席させて、 まるで自民党演説会の様相であった。視聴者の大半は総裁選に投票することはできないのに、これがニュースなのかと思う。 一党に電波を提供しただけではないか」と、中野区の無職の男性(74)はなかなか的確な指摘をしているではないか。 (茶化すつもりはないが、後期高齢者の方たちこそ、声を大にしてオピニオンリーダーになるべきだ!!)
 これは、民放でも似たようなものだった。
 やはり東京09・13日「反響」欄…「サンデープロジェクト」(7日・朝日)「自民党総裁選がテーマとはいえ、 "反民主党宣伝番組"のようであった。衆院選が近いといわれている今、野党側の出席または公平な第三者の意見を取り入れて番組を作るべきではないかと思った」と三鷹市の無職の男性(78)はいい、 つづいて川越市の主婦(52)は「サンデーモーニング」(7日・TBS)は「金子勝さんが自民党の現状を『幕末の徳川家のお家騒動のよう…』と評したことに今の政治の危機を痛感した」と評価するが、 その冒頭で「首相が辞任表明して以来、テレビはまるで自民党の広報のようで不快だった」と"偏向"に厳しい目を向ける。
20日同欄「サンデープロジェクト」(14日・朝日)「民主党幹事長が出演したが、 メーンキャスターは終始茶化している感じだった。その後自民党総裁選候補者が勢ぞろい。一転、キャスターは政策に関する質問に出て、 全体に緊張感が走った。この与野党に対する落差は何なのか。…」と横浜市の無職の男性(68)は、歯がゆさと憤りで気分が悪かった、 と気持ちが収まらないようだ。
 賢明な方は、すでにお見通しであろう。先の朝日新聞の例ではないが、「聴衆の関心」よりも「NHKの(自民党への)関心」が強いからであろう。
 ところで、途中で、こんな番組もあったそうだ。同17付同欄「ラジかるッ」(11日・日本)「自民党総裁選立候補者の『麻野原茂子』の"原"は誰?というクイズで、 アナウンサーの卵の人はちゃんと答えられたのに、司会の女性アナが答えられなかったのはあまりにひどい。…」と豊島区在住の家事手伝い女性(33)は、 さらに「アナはニュースを読む仕事でしょ? 知識は必須。"バカ"を売り物に知るアナなんて、ありえませんね。同局の見識を疑います」と、 これまた憤っているが、なに、同じ見識を疑うならば、「麻野原茂子」などというクイズの問題を考える局の方を攻めたほうがよかったのではないかしらん。
 話変わって…大新聞もテレビキー局も大手の出版社も、社員の年俸は千万単位とかなりのものである。 さらに、今はそれほどでもないだろうが、交際費に交通費(ハイヤー・タクシー利用)は、おおっぴらに使われていた。
 "庶民の味方"を標榜する彼らがどの程度国民の痛みや苦しみを感じているのか、昨日めでたく自民党総裁となった大金持ち麻生太郎クンとどれだけ違うのか。 バカなアナウンサーやタレントたちの騒ぎぶりに、大口開けて笑ってばかりいてはいけない。さあ諸君、どうする?!

(以上、08年9月23日までの執筆)


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