トピックス/更新の履歴と近況 2011年〜

トピックス/更新の履歴と近況 2008〜2010年
トピックス/更新の履歴と近況 2005〜2007年
トピックス/更新の履歴と近況 2002〜2004年


2021/02/18 お知らせ
父 橋本健午 儀、かねてより病気療養中でございましたが、2021年2月14日に膵臓癌により永眠いたしました。故人が生前中賜りましたご厚情に深く御礼申し上げます。(管理人・記)
2021/01/29 お知らせ
2021年1月28日で長年使用していた、So-netの「U-Page+」サービスの提供が終了したため、サイトを移転いたしました。(管理人・記)
2013/09/27 「久しぶりのバス旅行」
9月17日(火)、久しぶりにカミさんと日帰りバス旅行をした。数か所の“待合せ場所”から次々と乗って来る見知らぬ方々20名足らずと、朝の7時半から夕方6時ごろまで、ご苦労さんなことである。
とはいえ、何となく“世情の一斑”を垣間見ることができたのは幸いであった。
コースは鎌倉方面。第三京浜・横浜横須賀道・三浦縦貫道を通り、他の客がJA葉山農産物販売所「すなかごっそ」で“新鮮な野菜のお買い物”をしているとき、 私たちはもっぱら、地元農家の人が一人で耕す広大な畑のずっと先に小さく見える富士山を眺めていた。
天候さえ良ければ、わが家のベランダからいつでも見られる珍しくもない光景だが、どこから見ても良い眺めであった。
ちなみに、わが写真集「富士山と私」は1980(S55)年10月10日に撮影したのが最初で、今も時々写しており、ファイルは3冊目となった。
再びバスに乗って…。三浦漁港「うらり」で“海産物のお買物”をし、−バス−久里浜「黒船亭」で昼食(海人御膳)をいただき、−バス−「くりはま花の国」で、まだ咲くには早い“100万本のコスモス”を想像し、 −バス−古都鎌倉「萩の寺・宝戒寺」に参拝し、「小町通り」散策の後、再び横浜横須賀道・第三京浜を経由して、それぞれの“待合せ場所”で客を降ろし、 予定どおり6時に無事帰宅することができた。
運転手は安定したハンドルさばき、今はやりの“異様に肥った?!”若いバスガイドもそつなく職務を果たしてくれたのはうれしかった。〈費用は一人5千円〉
とはいえ、女性客のほとんどは二人連れ。のべつ幕無し喋り続け、否応なく聞かされる方としては迷惑この上もなかった。という訳で、バス旅行は当分の間、行われることはないであろう。
2013/09/13 {1}今月7日、久しぶりに調布稲門会納涼会に出席しました(16:30-18:45木曽路5千円32名)。 「Kさんにコンコンと言われる」とナプキンの切れ端に書いているのですが、さっぱり思い出せません?!  とはいえ感想を言えば:可もなし不可もなし(工夫が足りない):若い会員を増やすこと(マンネリ化):毎年参加するほどのものではない(退屈)とは淋しい限りです。

{2}近ごろ“二度目の東京オリンピック”と喧伝されておりますが、1940年“幻の”を加えれば三度目の招聘ということになります。 7年後はどのような状況の日本となっているか、地震国ニッポンの未来は?!  ちなみに、大学1年だった私は先の東京五輪(1964年)に“反発”して、友人と北海道旅行を敢行しました(11日間)。 大学の施設(記念会堂)がフェンシング会場となり、休校となったからです。 “反発”はしたものの、北海道の日没は早く、宿の夕食の時間などを含め、もっぱらオリンピック中継で過ごしたことを思い出します。

2013/08/31 暑い日が続きます。皆様、いかがお過ごしでしょうか。私もいつのまにか齢七〇を超えてしまいました。 熱中症が気になります。日陰と水分補給が求められますが、私の場合、年中“酒のような”水分で何とか暮らしておりますが。

7月末の午後、友人2人と高尾山へ登りました。ケーブルカーで往復するものの、少しは山歩きもしました。 ふもとのそば屋での飲食は格別のものでありました。仔午の会と称して、年に1回は顔を合わせております。

2013/08/06 先のNHKプラネットによるDVD『我が愛する被爆都市〜新資料が語る作家・梶山季之の世界〜』が先月末に届き、ワクワクというより不安な気持ちで見ました。
私は事前に聞いていた“梶山季之と原爆”に関するコメントを用意して臨んだのですが、作家重松清さんのインタビューはもっぱら“梶山季之とその助手(私のこと)”に関することでした。
それはともかく、広島や東京在住の関係者のコメントが40数分でうまくまとめられており、さすがだなあと思った次第です。

因みに、私がマスコミ(テレビ出演)と接したのは、“マスコミの帝王”といわれた大宅壮一(評論家)主宰による「大宅壮一東京マスコミ塾」の公開録画1967年(TBS:2回PM11:15-45“話題を作る”)が最初。 私を含め1期生全員がテレビ初出演でした。
ついで梶山季之の3回忌(広島テレビ)でのコメントを求められた時です。
かなり間をおいて、日本出版社による『戦線文庫』発刊に参加した時も、テレビ取材を受けました。
2007年8月のことで戦前の雑誌『戰線文庫』に関してのものです。…「マンガが戦争を描くとき」〈東北新社ドキュメンタリーチャンネルジャパン〉08・15…CS20:00〜21:54放映ほか…

2013/07/22 あろうことか、6月23日、久しぶりのテレビ“出演”となりました。

テレビ取材NHKプラネット広島…6・23(日)10時〜1時間たづくり12F会議室(6/8下見済み):梶山季之に再び光が当たるか:9:30前に家を出る:重い資料(黒バッグ)自転車で:雨の場合は?
≪重松清書評「梶山季之と月刊『噂』」07年≫

予習のため、インタビュアー重松清氏の著作を読む。
6・18〜21重松清短編集「日曜日の夕刊」1999「その日の前に」2005「青い鳥」2007:いずれもなかなか読ませる短編集だった{23日に備えて3冊読む}

2013/06/07 2013・6・6(木)10:33…
相変らずの日常と言いますか、いわゆる“終活”の日々ですが、やっと暖かさが老いの身にやさしく感じられる季節となりました。 健忘症といいますか、体調のせいといいますか、約2ヵ月ものご無沙汰でした。
≪この間「久しぶりに都心に出る(3・6以来70日ぶり。JR水道橋で下車:ひょっとして国民栄誉賞受賞の長嶋・松井コンビを模した記念グッズ・煎餅でも売っているかとドーム近辺の売店を覗いたが見当らなかった?! /電車内に限らず人混みでの対処に戸惑う:月に1回は都心に出て感覚を忘れないようにしよう」などと記しております。≫

目下、ほぼ毎日、数時間パソコンに親しんでいるだけでなく、散歩も欠かさないようにと近くの多摩川土手や深大寺までとか、 調布市内をいくつかにルート分けして歩くという自己流の“鍛錬”を行っております。
しかし、この2カ月ほどの空白は、何だったんでしょう。 それまでと変ったことといえば、3月初旬に体調を崩したのが響いておりましたが、今や6月“誕生月”ともなり、 ようやく遅い春いや初夏を迎え、気持ちも弾んでまいります。

最近のトピックスといえば、何年ぶりかの“テレビ出演”の話が舞い込んでまいりました。 もちろん、私が主役ではありません。わが師梶山季之にまつわるもので、今月下旬に録画取りの予定で、いろいろ資料などをひっぱり出して準備をしている次第です。 たとえ、わずか数分の“出演”でも予習だけはしておかなければと学生時代より勉強に励んでいる?という殊勝な心掛けであります。

2013/04/12 4月ともなると、何やら気分も晴れやかになります。 近くを散歩していると、昨日は小学校の新入生に、今日は新幼稚園児らしい制服姿も可愛い子供たちに出会いました。 何となく目に入れても痛くない“爺ばば”の心境に浸った次第です。

ビールのおいしくなる季節ですねえ…。おつまみには余り拘りませんが、出始めの空豆をいただいております。 近所のスーパーなんぞで多く見かける、値段の手ごろなものは粒がそろわず、というより生育がよくないものもあります。 まあ、年金生活者として贅沢は言っておれませんが。(4/10)

近ごろ“終活”という言葉も流行って?いるようですが、私も時流に後れてはならずと、目下その終活にいそしんでいる次第であります。 具体的には数々の“紙”媒体による記録なんぞであります。まあ、いずれ公開することができるかと思います。

先日午後、散歩がてら住宅街を通り抜けようとすると、大きなクレーン車が止まっており、近くに交通整理の小父さんがいた。 私は彼に「かつて年度末に公共事業が集中していたようだが、近ごろは4月に入ってあちこちで大きな工事をやっていますね」と声をかけた。 すると、彼は嫌な顔もせず説明してくれるのです。 詳細ははぶきますが、なかなか複雑な“事情”つまり土管:耐用年数:50年:交換;地盤沈下:危険というようなことでした。

2013/03/19 <承前>3月の声を聞いても、なかなか気が晴れません。MRIとかでベッドに寝かされ、 頭の数か所に検知器?!をセットされて数日後、「結果はスタジオで!」ならぬ内科医から聞きました。 まあ、大したことはないのでしょうが、何やら複数の薬を出され、目下それを毎朝服用している次第であります。思えば、このように大仰に医者にかかるのは、40歳になる直前、かつては王様の病気とか贅沢病と言われた痛風にかかって以来であります。

ともあれ、薬のせいか“日ごろの行い”のせいかは知りませんが、何となく安定しており、ありがたいことだと思っております。

したがって、先述のように、2月に初めての書評を書かせてもらいましたが、今から思うと“奇跡”ではないかと思う次第です。

2013/03/02 2月22日付の『週刊読書人』に、岡村敬二著『満洲出版史』の書評が掲載されました。

サボっていたわけではありませんが、引き続き“父”に振り回されております。父に関係する文書といいますか、なかなか整理がつきません。 その理由は、旧漢字や初めて遭遇する表現などに戸惑ったり、こんな書き方があるのかなどと“寄り道”を楽しんでいるからでしょうか。

早や2月も末ながら、どうも気合いが入りません。 先日、カミさんに付き添って病院に行き、軽い気持ちで診察を受け、時々軽い頭痛のような…と、ちょっと洩らしたところ、 「ではMRIの検査を」と有無を言わさず手続きをされ、間もなく診断結果が出るそうです。 コワいのと、「何ともない」に賭ける気持ちが半々。久しぶりに“まな板のコイ”状況です。(2/28)

2013/02/19 今年はどんな年になるのか、という思いはどなたでも抱くことでしょうが、何しろ時間(日にち)が経つのはかなり早く感じられます。 それだけ歳を取ったということでしょうねえ。世のハヤリ言葉に“終活”なんぞというのがありますが、私の場合、まさにその状況のようです。

もっとも、わが父八五郎の戦前(大正・昭和)の仕事に関する検証は続けております。 父は大連各圖書館報「書香」の編集人を勤めておりました。 …“第1期”大正14(1925)年4月の第1号〜第12号(大正15年3月)/“第2期”昭和4(1929)年4月の第1号〜第94号(昭和12年4月)…。

承前:父関係の作業…本日「バツが悪い」の“バツ”を使う「バツを合わせる」という表現がありました。 “都合”というような意味だそうですが、生まれて初めての出会い?!です。長生きはするもんですねえ。

プロフィールに2011年、2012年の項目を追加しました。

2013/01/28 新年を迎えて、早や月末ながら、どうも気合いが入りません。
相変らず、お餅はずっと食しておらず、一方アルコールのお世話にはなっておりますが…。

サボっていたわけではありませんが、引き続き“父”に振り回されております。父に関係する文書といいますか、なかなか整理がつきません。

そうこうしている内に、つい先日、読書紙から、ある大学教授の著作を書評せよとの連絡が入り、翌日には著書が届きました。
書評されたことはありますが、私には初めてのこと。著者は存じ上げておりますが、何しろアカデミック、かつ専門的な大著です《350ページ超》。 締切は3週間後とのこと。さあ、どうしましょう…と思案ばかりしておれませんが、大変な“お年玉”が届いたものです…。

2013年は、「気楽にエッセイ」を始めました。

2013/01/15 皆さま さぞよい年をお迎えになられたことと思います。
本年もどうぞよろしく、と申し上げたいところですが、昨年、古希を迎えて以来、私は何となく気合が入りません。困ったものです。

もっとも、わが父八五郎の戦前(大正・昭和)の仕事に関する検証は続けております。 父は大連各圖書館報「書香」の編集人を昭和4(1929)年4月の第1号〜第94号(S12・4月)まで勤めておりました。

以前、出版関係の仕事に従事した私は“物書き”を自称しておりますが、知らずに父の後を追っていたとは、この年になるまで気が付きませんでした。

承前…父関係の作業は間もなく一段落ですが、本日「バツが悪い」の“バツ”を使う「バツを合わせる」という表現がありました。 “都合”というような意味だそうですが、生まれて初めての出会い?!です。長生きはするもんですねえ?!(1・15)

ところで、年賀状のやり取りはいつから始まったのかなどということが気になっております。 表も裏も手書きのものや、ちょっと一言添えてあるのはうれしいものです。
一方、表裏とも印刷で、相も変らず「健午」が“健牛”や“建午”となっていたり…。 以前は“健手”“健干”というのもあり、複雑な気持ちになりましたねえ。 もうお互いに“虚礼”は廃止しようではありませんか、と年明け早々からつぶやいております!?

蛇足…私が“趣味”としているものに「名入れ色紙」があります。かなりの方々に、その人のお名前や特徴を盛り込んで、勝手に贈っております。
その一つ、私が13年3か月務めた日本雑誌協会を53歳で退職すると、ある委員会の新旧委員40名近くによる送別会を開くというのです(1996年2月)。
そこでお礼として、それぞれに「名入れ色紙」を贈りました(カミさんに、一枚ずつ色紙{しきし}を入れる袋を何色もの色紙{いろがみ}で作ってもらって。費用はこの方が高い?!)。
俺もやってみようという方もおられたが、色紙と縁のある人が少ないからか“普及”はしませんでした。
その後、ある市の“講座”募集に応募したのですが、当然、採用はされませんでした。 さして難しいものではありませんが、たぶんヒマ人のやる、ちょっと頭を使う?作業ですから、無理だったのでしょう?!

2012/12/26 政権が民主党から、守旧派の自民党に代わったそうです。だが、変わらないのは安倍晋三という“腹痛?!”さんを担ぎ上げた自民党ですねえ。 でも、年末のことゆえ、苦言などはやめましょう?!

それはともかく、あとわずかで2012年も終りますが、平穏な新年を迎えたいものです。私が願う“お年玉”はそれだけです。

相変らず、わが父八五郎の戦前(大正・昭和)の仕事などを検証しております。 私のような古希を迎えた古い人間は、ネット情報より活字媒体の情報に“安堵感”を覚えます。

それでは皆さん。今年もいろいろありましたが、良い年を迎えましょう。

2012/12/18 東日本大震災の影響もまだ余波が続くようですが、東京では久しぶり?の知事選で、何やら立候補者が多いのは、 それだけ“やりがい”があるからでしょうか。あるいは単なる売名行為?!(11/29)
/言論の自由は尊重されなければなりませんが、言いたい放題というのはいかがなものかしら?(12/6)

都知事には案の定、I副知事が当選したとのことです。私はやるせなく、暗澹たる気持ちです。 さらに、衆院選では自民党が単独過半数を獲得とか、先が思いやられますねえ。(12/16)

≪承前≫前I知事よりタカ派なのか、物分かりの良い人間か、全くわかりませんね。 いや、その後、言葉づかいは改まったのではないかと、ささやかに期待しております!? (12/17)

時あたかも聖夜シーズン。皆さん、祈ろうではありませんか。アベ・マリアならぬ、安倍まただって。 体調は大丈夫でしょうねえ!?(12/18)

2012/11/27 年の瀬近く、だからでしょうか。都知事になりたいのか、単なる売名行為か“候補者”はさまざまです。 投開票日が衆院選とダブるとか、われら有権者は貴重な一票を誰に投じるのか、これからしばらく夜も眠られません?!

この「またもやコラム」の更新もなかなかスムーズには行きません。 齢70を超えて、感性が鈍ったのか、単なる怠慢なのか判然としません。 ≪内なる声曰く≫今さら、何をやったって、世の中変わるものではないだろう…ということで終りたくはないですが。

前回まで「母の手記」を4回にわたって掲出しました。 それと直接の関係はありませんが、戦前の“父親と図書館”関係について調べております。 なにせ遠い昔の資料が出て来るということは、ナウくない私のような人間には有難いことです。 できれば、少しずつ掲出したいと考えております。 何だかさまざまな文章を書いてきた私ですが、物書きをやって来れたのは父から受け継いだものなのか。 もう一度くどいですが、齢70を超えて、初めて知った次第です。

2012/11/12 ホームカミングデーとは若き日々に通った学校に、再び集うということを意味しているようです。 早稲田大学の場合、私は1990・10・21(第25回)に家族といっしょに参加、ついで2000・10・22に、さらに2010・10・17(卒45年)に招待され参加しております。

今回、わが母校(高槻高等学校)で初めてのホームカミングデーとやらで、はるばる大阪まで行ってきました(11月3日開催)。 どんな仕儀かとやや不安でしたが、それなりに整然と行われ、かつ同期生20人近くと旧交を温め、夕方から一献を傾け合いました。

≪承前≫いつもそうですが、たった一つの目的(仕事など)だけで、遠路はるばる行くわけにはまいりません。 今回の場合も大阪の老人ホーム住まいの義姉の見舞いのほか、名古屋では兄と小学校時代の友人2人と、それぞれ杯を交わしました。 みな元気で、何よりでした。

「母の手記」その4を掲出しました。これでお終いです。

2012/10/29 久しぶりに10日(水)午後、都心に出かけました。たまに電車に乗るのもいいものですが、老いも若きもお疲れのようであります。 私なんぞ短時間の乗車ゆえ、なるべく立っております。もう手遅れだとは思いますが…。

《承前》珍しく、用事が重なりました。一つは「ていぱーく」(公益財団法人通信文化協会)に、 戦後すぐの頃のものと思われる地図(九州地方)を利用した“封筒”を寄贈したことです。 表にわが父の名前のあるもので、私が“秘蔵”するより、多くの方の目に触れる方がよいのではと思ってのことです。 応対してくれた学芸員の話では年に1度、7月に一般から寄贈されたものを展示するとのことでした。乞う、ご期待?!

もう一つは、場所は都心の一等地にあるホテルのラウンジ。 妙齢の女性から身の上相談?!ではなく、主に出版契約書などに関する話が中心でした。 具体的には数年前に出したハウツー本を改版したいとのこと。 どの世代に焦点を合わせるか、より時代にあった内容に変えることなどをアドバイスしたものです。 いやぁ、書くことは好きでも、売れる本となると、なかなか難しいものですとは他ならぬ私の述懐です。 ちなみに私の場合17件の出版契約書のほか、原稿依頼に講演・講義の依頼書なども数点ありました。世の中捨てたもんじゃありませんね?!

近ごろ古希を迎えた?からだけではなく、耄碌の傾向はなはだしく困ったものです。 まあ、身内ばかりでなく、私自身が認めているわけですが、この先どうなるのかということはあまり考えないことにしております?!

先日カミさんと3年ぶりかで立川昭和記念公園に行ってきました。天候に恵まれ、気持ち良い数時間を過ごすことができたのはメデタイ限りです。 期待していたコスモスの群生は未だ満開に至らずでしたが…。

も一つ、老いの始末は自分でやらなければと、さまざまな“記録”の整理に追われています。いずれリストだけでも公表できればと思います。

2012/10/09 今日は10月の第2火曜日(9日)、何ゆえに掲載を長くストップさせてしまったのか、われながら釈然としないところです?! ともあれ再開をしましょう。

以前に触れたように、齢七十ともなりますと、身体のそこかしこに“がた”が来ているように思います。 それは私だけの問題ではないでしょうが、他人様のことまで構っている余裕はありません。まずは我が身大事に日々を過ごすことを心がけましょう。

とはいえ、さっそくながら、良い話ではないのが残念です。昨年夏、知人を介して未知の方から原稿依頼がありました。 “大正時代”を特集するという趣旨で、私には“雑誌出版”がテーマとして与えられました。 年末には原稿を送ったのですが、その後どうなったのか、まったく音沙汰がありません。 もともと原稿料に関する話もありませんので、本日ここに自主的に掲出することにしました。題して“大正時代の雑誌出版”

2012/07/25 近ごろ、かなりボケたせいか、あるいはこまごまと雑事が多いせいか、この月二回のトピックスの更新を忘れがちです。 その根底にあるのは政治家の言動をはじめとして、さまざまな事象に“飽きた”からではないかと愚考します。 気をつけないと、わが存在も何か怪しいものとなりそうです。

〈承前〉その怪しい第一が、前回ふれた“古希の祝い”なのですが、わが誕生日(6/20)は、古くからの知り合いだった若い女性がなくなったという知らせに、 とても“祝い”をする状況ではなくなったことです。親御さんの気持ちは察するに余りありますが、病魔はだれかれと容赦しないのでしょうか?!

さて、本日はパリ祭。そう、フランスの建国記念日でしたね。 私や近隣の人々にも何の関係もありませんが、だからこそ、よその国の祝日に引っ掛けて“祝い酒”なんぞを飲もうという魂胆で、朝から思案を巡らしている有様?!  つまりは、月遅れの“古希の祝い”を期待して、朝からこんな駄文を記した次第であります。(7・14)

前回「近ごろ電車内などで見かける、どの年代の女性にもいえる元気さ(傍若無人ぶり)には目を見張る?!ものがあります。 一方の男には“優しさ”と“気弱さ”が同居しているようで心もとなく…」などと記しましたが、男子も負けてはいない現場を見ました。 あたりかまわず大きな声で、学校(大学?)であったことを話し続けるなど狭い電車内でのこの種の会話は、はた迷惑もいいところです。 つまり傍若無人、恥知らず、あけすけというところが、かわいいと言えばかわいい?!のですが…。

〈承前〉一方、(大阪府下における)わが青春時代を思い返してみますと…。電車通学でしたが、ぎゅうぎゅう詰めなどはなかったと記憶しております。 ましてや男女が一緒になることもなく、手をつなぐこともありませんでした。そして、路上でキッスするなんて!!  久しぶりに、「隔世の感」などという古びたフレーズを思い出した次第であります。

「母の手記」その3を掲出しました。

2012/06/26 明日には“人生七十古来稀也”というわが生涯での“画期的な”瞬間を迎える予定ですが、まあ長い人生のなかでの珍しくもない一日を、特別な行事の用意もなく静かに迎えることになりそうです。 なお、この成句を知ったのは“人生十七歳”のころだったでしょうか。中学高校時代には変った漢文の先生がおられましたっけ。(6・19)

最近、本も雑誌も読むことが少なくなりました。サラリーマン時代には毎週のように『週刊新潮』か『週刊文春』を買って読んでおりましたが、今はほとんど興味もなくなり、 本屋で立ち読みをすることさえ面倒くさくなりました。なぜでしょうかねえ。(6・19)

とはいうものの、本日は寝っころびながら山崎章郎著『病院で死ぬということ』(主婦の友社1990)という古い本を読みました。 ガンなどで“死ぬのは怖い”が“生きているのも命がけ”の時代でもあります?!

近ごろ電車内などで見かける、どの年代の女性にもいえる元気さ(傍若無人ぶり)には目を見張る?!ものがあります。 一方の男には“優しさ”と“気弱さ”が同居しているようで心もとなく、古希を迎えた年寄りにとってはますます“脅威”を感ずるばかりです。

ついでに言えば、人にものを頼む=お願いをしておきながら、自分の都合だけを述べ、相手に対しての“配慮”や“敬意”に欠ける女性もいるようです。 これは最近聞いた話からの印象ですが…。

元・田舎者が他者を“田舎もん”と言えた義理ではありませんが、身内大事、結束して人をアゴで使い、いつの間にか主役に転じ、増長慢となるのは悲劇の中“喜劇”というほかありません。困ったものです。

「母の手記」その2を掲出しました。

2012/06/05 長かった5月も、ようやく終わりを迎えます。なぜ長く感じたのか、よく分りませんが、自分のことだけでなく様々なことがあったからかとも思います。(5・30)

何かと画期的なことをやる橋本徹大阪市長は、市の職員や教員の刺青調査を行うよう指示して、やや物議を醸しているかのようですが、それだけ“大変なこと”なのでしょうか。 私は、わざわざ痛い目をして肉体に傷をつけるなどの趣味はありませんが、公序良俗に反しない限り個人の自由だと思います。(5・31)

最近、出頭・逮捕されるオウム真理教“連続”殺人事件の犯人たちは、反省の色というより“もうくたびれた”早く逮捕して、という心境でしょうか。 いくら「洗脳されてやった」といっても、犠牲者は浮かばれません。どうして安易に“邪宗”に影響されるのでしょうか。 もっとも、どの宗教が“正”で、どれが“邪”かというのは、これまでの歴史から見れば、あまり変わりませんねえ!? (6・5)

近ごろ、わが身のまわりで何が変わったかというと、年寄りのふりをしていたのが現実になってきたという事実です。 ところで、17世紀、フランスの哲学者パスカルは「人間は考える葦である」と言ったそうですが、いまや日本人は「考えるのも善し悪し」と思っているようですねえ。(6・5)

「母の手記」その1を掲出しました。

2012/05/20 先日(5/11)午後、「二〇一二年 梶葉忌(没後三十七年)」として“さよなら東京 コンニチワ広島大学文書館”という催しが都内でありました。 これまでも梶山季之に関する資料や愛蔵品などを広島大学文書館へ寄贈しておりましたが、その作業も終盤を迎えるにあたり、文書館関係者をはじめ、ゆかりの方たちを招いての小宴です。 梶山夫人の友人である女性の方々、故人とゆかりの友人や編集者のほか、大学関係者など没後にご縁が出来た方々など40余名が集い、3時間余も話に花が咲きました。 “主催者”の一人として、ありがたく思うと同時に、いまも“梶山季之は生きている”と実感した次第です。

わが人生、間もなく古希を迎えます。“人生七十古来稀也”を覚えたのは中学時代の漢文の時間だったでしょうか。 思えば、よくぞここまで無事にやって来られたものです。精神も肉体もやや衰えを感じますが、享けた命を大切にしたいとの思いを新たにしております。

近ごろ何かと火事や人殺しのニュースが多いようです。世の中、さほど殺伐としているようには見えませんが、私の認識不足でしょうか。 一方で、大人の“子ども化”といいますか、いい年をした大人が年相応の常識とか行動を取れない印象を受けております。 また、電車内でのケータイ(ゲーム)操作などに熱中し、周りが見えない人が多いようです。 私などは相変わらず、それらの乗客を観察しながら“世相”を“読んで”おります。 これは手ぶらで、しかも他人の迷惑にはなっていないはずです?!

昨夕(5/15)、久しぶりに高校時代の同期会があり、そぼ降る雨の中、数人が集まりました。 ほとんど現役をリタイヤしておりますが、元気な連中ばかりで飲み食いも旺盛、さらに談論風発、しまいにはひいきする民族を擁護する論争もあり、 いやはや大変な会合となりました。一方、日にちを間違えたとかで“老人ボケ”を嘆く仲間から、お詫びのメールも届くという現実もあり、 他人ごとではありません!! さて、次回以降はどうなりますやら……。(5/16)

2012/05/01 近ごろの警察もダメですが、こんな教頭もいるもんですねえ?!  “死者にムチ打つ”なんてものじゃありません。 常識とか配慮とか、いい大人になっても身についていないんでしょうか?!(4・27)

テレビ朝日によりますと、 「京都府亀岡市で無免許の少年が車を運転し、10人を死傷させた事故で、被害児童が通う小学校の教頭が、 亡くなった保護者の携帯電話の番号を加害少年の親族に教えていたことが分かりました。
 事故の被害児童が通う小学校教頭:「(携帯番号を)伝えてはいけないことは、重々肝に銘じていた。私の心に隙があったと思います」
 教頭は事故翌日の24日、加害少年の伯父から「被害者に誠意を見せたい」との連絡を受け、事故で亡くなった松村幸姫さん(26)の携帯番号や通夜の日時などを教えたということです。 遺族に許可は取っていませんでした。この事故では、警察も遺族の許可なしに死傷者10人全員の住所などの個人情報を加害少年の父親に漏らしていたことが明らかになっています。
 事故の被害児童が通う小学校教頭:「(携帯番号は)亡くなった幸姫さんのご主人のものと思っていた。(教えてしまったのは)私の甘い考えからです。申し訳ありません」
 携帯番号は、娘の入学前に松村さんが学校に提出した書類から調べたということです。」(4・27)

五月(さつき)のコイの吹き流し”とやら、江戸時代から言われていたのでしょうか。 その意味するところは、腹が空っぽで何もないと言われる? 野田首相のような有様ではなく、口先だけで胆力がない野田首相のような人を言うらしいですねえ?!  私は何が言いたいのでしょう??(5・1)

2012/04/17 原稿を書くことなど、近ごろ滅多にありませんが、昨年秋に書いたわが父に関する小論がこのたび活字となりました。 題して「“戦前”で終わっていた父橋本八五郎の人生」。 京都ノートルダム女子大学の岡村敬二教授による「戦前期『外地』で活動した図書館員に関する総合的研究」という研究成果報告書にあるのですが、 なんとトップに掲載され、面映ゆく感じているところです。というのも、私は若いころから余り“父”を評価していなかったからです。(4・15)

≪承前≫なぜか。一つには余りにも年が離れていて(私は父の54歳の時に生れ)、生意気盛りだった中高生時代には反発することばかりでした。 しかし、いつの間にか古希を迎えることとなり、私自身枯れて来たのでしょうかねえ。ちなみに父は米寿で没しております。(4・17)

4月も半ばを過ぎましたが、あまり天候がよくありません。 スカイツリーとやらの開業間近とかで“高さ450mの眺め スカイツリー「展望回廊」初公開”などと報道されているようです。 世に新しもの好きは多いようですが、私は一向に興味がわきません。思えば、かつての東京タワーとやらにも登ったことがありません。 変わり者というより、めんどくさがり屋といいますか、まあ人と同じことをしなくてもいいじゃん?! というところです。(4・17)

2012/04/04 近ごろ、耄碌したという言葉を頻繁に聞くようになりました。私自身も心の中でかなり呟いているようです。 まあ、70歳も近くになると、仕方がないでしょうねえ。できるだけ、人様の迷惑にならぬように、心がけるしかありません。

先月末、恒例の夜桜を観る会で上野公園に行って参りました(料亭での宴会)。 今年は「梅は咲いたか、桜はまだかいな」という感じでしたが、多くの若者があちこちにござを敷いて、酒盛りをしておりました。 中には女子だけというのもありました。若い女性はますます元気であります?!

昨夕(3日)の猛烈な雨と風には、家の中にいても恐怖を感じました。 こういうのを爆弾低気圧と言うんだそうですが、あちこちで停電したり死傷者が出たとかで、大変だったようです。 わが家では何枚もの襖がガタガタとうるさく、どうしたものかと考えた末、厚紙を小さく切って襖の枠(上部)に張り付けると、 ピタッと音がしなくなりました。ちょっとした思い付きでしたが、何でもやってみるもんですねえ?!

2012/03/21 昨日(3・20)は春分の日・大安吉日ということで、日本列島の各地で結婚式・披露宴が繰り広げられたのではないでしょうか。 と申す私も、親戚の長男君の目出度い式典に家族そろって出席したのであります。たしか20数年ぶりのことではないかと思います。 おかげで明治神宮を訪れたのは久しぶりのことであり、明治記念館には初めてのことであります。 “明治”にちょっと近づきました。長生きはするもんですねえ?! /なお、新郎新婦には、二人の名を織り込んだ名入れ色紙を進呈しました。

橋下徹大阪市長の友人で民間人校長として採用された大阪府立和泉高(岸和田市)の中原徹校長が、卒業式の君が代斉唱の際、 教職員の口の動きを見て実際に歌っているかを「監視」していたことが13日、府教育委員会などへの取材で分かった。 /府教委は式後、校長に歌わなかったことを認めた教員1人の処分を検討している。 /府教委などによると、中原校長は2日の卒業式で、教頭らと共に、君が代斉唱で約60人の教職員が起立したのを確認し、口の動きを点検。 口が動いていなかったと判断した3人の教員を校長室に呼んで確認したところ、うち1人が歌っていなかったことを認めた、としている(四国新聞2012・03・13)。 思うに、ニッポンの教育は今後どうなるのでしょうか?!

2012/03/07 よんどころない事情で、来月早々、関西に行く予定でおりますが、東海道線の主要駅近辺には幼馴染が住んでおります。 こういう時はやはり一声かけないわけには行きません。よって、一泊の予定が、どうやら2泊ということになりそうです(ウレシイですねえ)。<2月29日>

女三態:その1…自転車で狭い歩道を、周りを無視して必死の形相で駆け抜けようとする中年のオバさん、そんなに急いでどこへ行くのか知らん?!

女三態:その2…スーパーでの現実。レジ待ちの男性はペットボトル1本のために大人しく並んでおります。 その前後の決して若くない女性たちはと見ると、少しずつ前に移動するのに、たくさんの品物を詰め込んだ緑色のカゴを、 なんと片足で押して前に進んでおりました(脚にはかなりの力があるのですねえ)。そういう光景を見て、私は嘆息をつきました。 なでしこジャパンではありませんが、かつての撫子さまがご覧になったら、どんな顔をするのでしょうか、ねえ?!

女三態:その3…“周りが見えない”のは男にも多いようですが、電車の中で座っているのは年配ばかりとは限りません。 女子中学生はじめ若い女性も朝から疲れているのでしょうかねえ。健康を維持しようとする気配は感じられず、 空いているのだから“座らにゃ損々”という風情。あるいは料金を払っているのだから、座るのは当然の権利とでもいうところでしょうか。 だから、どの顔も“老けて”見えるのでしょうかねえ?!  とかなんとか呟く私は、年寄りの冷や水といった情けない存在です。 チョン!!<以上、3・2女の節句前日の感想でした>

女三態:番外編…この4日、高校の同級会に出るため、大阪くんだりまで行き、その後、名古屋といいますか知多半島の日間賀島では小学校時代の友人3人と遊びました。 /それはさておき、下りの新幹線はずっと空いていましたが、車掌が検札に来るのはいつもの通りでしょう。 3人掛けの座席のとなりは空席、通路側には若い女性が座っておりました。 /前方の扉が開き、まだ少年と思しき初々しい車掌が検札を始めると、わが“隣人”の女性、にわかに“睡眠中”の状態に入った様子。 /私は切符を取り出し、検札を待っていたのですが、その車掌、“隣人”を飛ばして、わが切符を受け取り、スタンプを押し、そのまま通り過ぎて行ったのです。 /そうか、今はそっとしておいて、戻ってきたときにでも……。ウーン、優しいんだなあ、と感心した私は“後半戦”を期待しておりましたが、 何の音沙汰もなし。/喧嘩口論どころか、少年検札官は姿を見せずということで、わが観察は単なる暇つぶし?! に終わってしまいました。 /久しぶりに乗車したものの「のぞみ」無きにしも非ずどころか、その後は変な気分で新大阪まで行ったのであります。<本稿、3・7朝の執筆>

たった三日間の留守中に、私には何の縁もゆかりもない“迷惑メール”が150本以上も届いておりました。 数年前にも同様なことがありましたが、送る側としては迷惑とは考えていないでしょうから困ったものです。 これからも、もう、ろくなことはないでしょう?! <本稿も、3・7朝の執筆>

2012/02/22 「2012年2月9日発売の週刊文春に、AKB48の高橋みなみの母親が淫行容疑で逮捕されるという記事が掲載された。 この情報は、同誌発売前にネットに流れ2月7日の夜の時点ではネット住人を騒然とさせていた。」とは、 インターネットにある情報ですが、私には別の観点から、ある“感慨”を抱きましたね。 かつて、ある団体に勤めていた時代、青少年を相手の淫行処罰規定という罰則が設けられましたが、女性が逮捕されるようなことは、 やはり“想定外”のことでしたねえ。清少納言は「男もすなる・・・女もしてみんとて」と更級日記を書いたそうですが……。

長生きすると、いろいろ“想定外”のことが起こるようです。 遠方のちょっと複雑な背景を持つ身内の見舞いをする前に予備知識を得ようと、ある女性に会ったのです。 用件はほぼ推測通りのことでしたが、別れ際に「(中学生の頃)あなたと私を結婚させるという話があったようですね」と切り出すと、 「そうでしたねえ」と、やはり覚えていらっしゃった。でも、もうジイサン・バアさん?!

話変わって、よんどころない事情で、来月早々、関西に行く予定でおりますが、東海道線の主要駅近辺には幼馴染が住んでおります。 そうそう会うわけにもいかないのですが、こういう時はやはり一声かけないわけには行きません。 よって、一泊の予定が、どうやら2泊ということになりそうです(ウレシイですねえ)。

話は戻って、本日午後、カミさんと“魚市場”に刺身などを買いに行きました。 今夜は、アサリの酒蒸しを何ぞと考えているところですが、はたして「女もすなる料理を・・・男もしてみんとて」となりますかどうか?!

2012/02/07 また、やってくれましたねえ。先のセンター試験の混乱はお粗末と云いますか、若者の“夢”を壊し、或いは人生を狂わすかもしれない事態に、 担当者は何を考えているのでしょうか。要するに“他人ごと”なんでしょうねえ。 自分も家族もいつ同じような事態に陥るか、なんて考えたこともないのでしょう?!

「日本漢字能力検定協会(京都市)が29日に全国で実施した漢字検定で、会場となっていた千葉市内の専門学校が検定日を1週間後と勘違いし、 2級検定が中止されていたことが30日、分かった。同校での2級受検者は73人で、同協会はホームページに「おわび」を掲載。 2月4、10日に改めて検定を行い、受検が難しい場合は検定料を全額返還する。」と報道にあります。

(承前)同協会によると、「2級検定が中止となった会場は千葉モードビジネス専門学校(千葉市若葉区)。 29日午前9時20分ごろ、受検者から「会場が開いていない」と協会に問い合わせが相次ぎ、事態を把握した。 協会が同校側と連絡が取れたのは検定開始時刻の10時をすぎてから、担当者が学校に到着したのは11時すぎだったという。 11時50分以降の他の級の検定は予定通り実施された。」以上は時事通信社によるものです。(1・30)

近ごろ、何かと“身辺整理”に追われております。 みなさんとちがって私の場合は動産・不動産いずれも関係の薄い話で、もっぱら“紙”の山に苦労しております。 薄い紙ながら、何やらいろいろ書きつけており、その整理に、今さらながら呆れている次第です。(2・6)

2012/01/24 世の中、急速に変化しておりますね。少し前にはドッグイヤーなどという表現がありましたが、今はさらに早くなっているようです。 たとえば、電車内で新聞や本を読む人はわずか、座席に座るや否や誰も彼も携帯端末とにらめっこ。 他人に迷惑ではなどという思いやりなど、みじんもありませんね。若い男女だけでなく、少しは分別もあるだろう中年も?! (1・18)

もう一つ似たような話です。本日の東京夕刊コラム「大波小波」に、年賀状が8年連続で減っているというような話題がありましたが、 このコラム氏、かなり世情に疎いですねえ。もうドッグイヤーどころか、“オオカミイヤー”なんて誰も言っていませんが、 このご時世メールで“賀状”を送るのは当然でしょう。 毎年、表も裏も印刷して、チェックもせず機械的に出す年賀状と大差はありませんねえ?!(1・20)

恐れ入りましたね。原発のデータ隠し。これで済むものなら、国民みな“保安院”に勤めたい!!(1・22)

2012/01/10 2012年が明けて、早くも十日経ちました。いまさら“年賀のごあいさつ”も何ですが、本当に“少しでも”よい年になるように願っております。

震災や津波に遭われた東北地方のみなさんはまだ大変な状況でしょうが、それぞれ前向きに対応されているというニュースに接し、 やや安堵の気持ちの一方で、何もできないもどかしさを感じております。

本年6月には“人生七十古来稀なり”といいますか、いつのまにか70歳を迎えることになりそうです。 昨年の秋には、早々とその祝いを兼ねた同期会があり、久闊を序したものの、何か他人事のように受け止めていた“古稀”がやってくるということは、 なかなかに心構えも必要ですね。近ごろ、何となく覇気が希薄なわが身を奮い立たせねばなりません?!

ともあれ、なるようにしかならない人生を大事にしようと思いつつ、美味しく酒を飲む楽しみを忘れないでおります。 ああ、三つ子の魂、悲しからずや!?

2011/12/30 12月19日の報道によりますと、1942年生まれの“同志”である金正日さん(総書記・国防委員会委員長・朝鮮人民軍最高司令官)が心筋梗塞で急死したそうです。 北朝鮮の最高指導者として全権を握っている立場上、心労も重なったのでしょうね。“同志”として哀悼の意を表する次第であります。 なお“同志”は他に小泉純一郎・小沢一郎という“一郎コンビ”もおります。これは以前にも記しましたが、10年前の還暦の時に気付いたことです、大したことではありませんが…。

2011年も間もなく暮れます。わが家には後を継ぐ“三男”はおろか、次男もおりません。これも、大した話ではありませんでしたね。

大阪に続いて、名古屋を中心に“中京都構想”を目指す動きがあるそうです。まあ、競争は自由ですが、何だか運動会の“徒競走”のような感じですね?! (その心は、徒労の徒では…)

思い起こせば2002年1月22日、このHP「心」でコラム&エッセイを年ごとに交互で始めて以来、はや11年目に入ります。 継続は力なり、とか。単なるマンネリズムでも自画自賛するしかありません。いや、現実には助手がいなければ、一行も公開することは出来ないのです。 “技術は偉大”というところです。おや、どこかの“強盛大国”的な表現になってしまいました?!

すきま風」を掲出しました。

「つづくかエッセイ」が“予告”どおり、10月下旬で途絶えてしまいました。 いろいろ神経を使う仕事が入り組んでいて、つい失念、やむを得ずというところです。まだ大丈夫、来年は「またもやコラム」としましょうか。 それでは皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。

★今年の“仕事”としては“大正時代の出版事情”について、また満鉄図書館(大連)時代の亡父について、原稿を少し書きました。 いずれも、生まれる前のことで、それなりに苦労しました。活字になるのはいつのことやら?!
一方、夏には“喋る”ことも少しありました。テーマは自由ということで、ある先輩から稲門会に招かれたのですが、 用意した話題をうまく出すことができたかどうか、心もとない限りです。
ついで、出版労連のシンポジウム「改定都青少年条例7月施行、何が問題化」ではパネリストとして参加しております。 これは、都知事以下の“次の手”が気になるところですが、今は静かなようですね。

2011/12/16 電化製品の進歩と、わが頭の劣化の因果関係?! たぶん、単なる劣化(経年変化)で、電化製品そのものに責任はないでしょう。 ただ、以前から思うのは、メーカー(技術者)としては、より良いもの、他社にないものを作り、 消費者の購買意欲を駆り立てたいのではないでしょうか。 昔から、いましたね。新車を買い替える人とか、新しいものを見せびらかせたい人が……。 そういえば、家を何度も建て替える人もいるようです!?  こんなことを言うのは、何もできない単なるヒガミ根性かもしれません。あゝ、2011年も間もなく暮れる?!

コンビニは便利だが、アタマ(行動を含め)が単純化するらしいですね。 いつでも買いに行ける身近な存在はありがたいもののようです。 スーパーやデパートのように品数は豊富ではなく、単身者や若者向け?だからだそうですね。 もっとも、モノグサにはそれがいいんだそうです。あれこれ悩む必要が無いから、でしょうか。

「はしもと」という名字の由来と因果な関係?!  先般の大阪府知事・市長選では、大阪維新の会代表・橋下徹が旋風を起こしたようです。 大阪府民ではない私は選挙の結果はともかく、何となく、その苗字「橋下」が気になるところです。 明治以前の一般庶民になかった苗字は地名や物の名前・職業からつけられたそうです。 したがって、「橋本」とは高貴さも優雅さとは対極にある苗字だと、若いころからひがんでいたのですが、まさか「橋下」もあったとは?!

2011/11/18 近ごろ、年齢相応にボケてきたのか、この「エッセイ」も、すこし遅くなっております。 つまり、メデタイことなのか、曜日や日付などを含め、思い出すのに時間がかかったり、迷ったりするようになりました。 もっとも、昔から得意とはいえない傾向にあるような気もします。 随分前のことですが、電車の乗り換えで、ちょっと年輩の方に上りと下りを間違えて言ってしまったことがありました。 後で、おとがめを受けなかったのは好い方だったのですねえ……。

もう一つ白状すれば、私はいつのころからか“自分を信じない”ということを口にすることがあります。 たいがいの人は、びっくりしたり、「そんなバカな…」というような顔をします。でも、これは冗談でもマチガイでもありません。 他人を信用できないことが多々あるように、聖人でもない凡人が“マチガイを犯さない”なんてことがあるでしょうか?  日々、用心して生きている次第であります。

11月も半ばを過ぎ、陽は短く、また寒さも身に染みるようになりました。 そのせいか、ちょっと風邪気味となったり、薬を飲むほどではないにしても、体調がすぐれないようです。 みなさんは、いかがでしょうか? 毎日きちんと三食をいただいておりますが、私の周りには、二食でも、時には一食でも平気な人が何人もおります。 いったい、どうなっているんでしょうかねえ?!

前回に続いて、民主党政権のていたらくに言及するのはバカバカしくて気が引けますが、それを追及する自民党の総裁以下も、 すっかり“野党気分”に慣れてしまっている有り様。わが国政は今後どうなるのでしょうか。

という一方で、大阪の府知事と市長のダブル選挙の動向は、住んでいない者にはよく分かりませんが、 大阪人には変わったことをやる人物に興味を持つ傾向があるとか、どないなっとんやろか?!

プロ野球の世界も何やらおかしいですねえ。目下、日本一を争う中日とソフトバンク。 前者では早々に落合監督の“解任”が発表されたかと思えば、脚光を浴びない落ち目の巨人は自主的な演出(内輪もめ)かどうか、 来季のヘッドコーチ問題で渡辺球団会長が清武球団代表兼ゼネラルマネジャーを解任したとか。 よっぽど暇なんですかねえ?! それとも、新聞が売れないからか、ニュースがないからでしょうか?

わが高槻との縁2」を掲出しました。

2011/11/03 この10月初旬、高校時代の仲間と「槻友会13期古希を祝う会」(有馬温泉)に参加して、10年前の還暦の会(大阪・箕面)のことを思い出しました。 もっとも、会の内容そのものではなく、われら主として1942年生まれなのですが、他に小泉純一郎、小沢一郎、そして北朝鮮の金正日も同年生まれということが、ちょっと話題になりました。 話は飛んで、先月20日、リビアを42年間にわたり支配した悪名高いカダフィ大佐がついに射殺されたそうです。 もうお分かりでしょう、何たる偶然か、彼も1942年生まれだったのです?!

承前…「古希を祝う会」では、長きにわたり幹事役として尽力されたM君に、感謝の気持ちを伝えるべく、個人的ですが“名入れ色紙”を贈りました。 また、当時の状況を共有すべく、在学中の私的な記録「わが高槻との縁1〜3(+1)」をみんなに配りました。 “いま”も大事ですが、“むかし”も大事だと思いまして。

民主党の代表として、なにやら“ドジョウ”と自称する人物が首相となったそうですが、原発の設置にも賛成とか。 少しは「原発全廃!」を宣言するほどのサプライズを見せてくれないもんですかねえ。 以前にも触れましたが、日本の“民主党”は、その前の自民党より頼りないといいますか、困ったものです。

10月は何かと行事が重なりました。高校の東京支部OB会には気が進まず欠席しましたが、大学の寮で生活したものの集まりには参加しました。 この時の記念文集に、私は自分のことより、今は亡き仲間(小川雄司君)と後輩(坂本英則君)について記したものを掲載してもらいました。

2011/10/18 前から頼まれていたものですが、このところ原稿書きに苦労しております。大正時代の出版界についてとか、 わが父の昔の仕事“事績”について、などというものであります。いずれも、さほど長いものではありませんが、かえって難しいものです。

高校の同窓会(10/2,3有馬温泉)に関する記録も忘れてはおりませんが、寄る年波になかなか勝てません。ゆるゆるとやって行きましょう?!

10月は何かと行事が重なります。高校の東京支部OB会は欠席しましたが、大学の寮で生活したものの集まりには参加しました。 何だか、マンネリといいますか、だんだんシンドクなるものでもあります。

2011/10/04 遅くなりましたが、すでに予告済みの「昭和の新宿体験ツアー」に参加し、懐かしく、それなりの満足を得られた“体験記”を2回にわたり掲出します。 久しぶりの「つづくかエッセイ」というところです。

大阪での中学・高校時代(と浪人1年)は、思春期半ばの頃とて、勉強に限らず、クラブ活動や異性問題など、悩ましい時期でありました。 それはどなたも似たような経験をしていただろうことと思います。 さて、高校を卒業してから、はや半世紀が経ち、かつ70歳にならんとするわれらの仲間が、この10月初めに相集いました。 所は有馬温泉での一夜、いかなる仕儀と相成りましたか、近々ご報告する次第です。(10・4)
なお、大阪まで行ったついでに、広島にも足を延ばしました。本件についても、何かまとめることができればと思っております。

拙著『梶山季之』の第14回目、ついに最後となりました。「略年譜」「あとがき」の掲出です。

2011/09/20 またぞろ新聞に、高校野球の強豪校には地元出身者が全くいないと批判的な意見(投書)やその対応策が載っております(東京9・6,20)。 このような強化策は、かなり前から、あちこちでやっていることですが、なに学校経営はいかに生徒・学生を集めるか、にかかっており、 大学でも同罪であろうと思います。さらに、毎年各県で行われる国民体育大会(国体)でも主催県が優勝する“建前”になっており、 どこでも各地に散らばる“地元出身”者を呼びもどしていたのではなかったでしょうか。

今年に限ったことではないでしょうが、台風の影響は地震・津波災害に劣らないですね。 わが身内や幼少時代の友人が住む名古屋も大変なようです。

拙著『梶山季之』の第13回目、「死の予感」その2を掲出しました。

2011/09/10 前回、元気な若い女性たちを、レキジョ(歴女)にテツジョ(鉄女)、そして“ゲテジョ”などと持ち上げましたが、 いやはや自ら墓穴を掘る女性も出現しましたねえ?! ともに23歳の若夫婦やその友だちのイタズラ心だったのでしょうが…。 石川県の海岸で、夫を驚かそうと、仲間と落とし穴を掘った妻が、二人で歩いているうちに、夫婦ともどもその穴に落ちてしまったそうです。 ケツジョ(穴女/または注意力の欠如)、後悔先に立たず、ですか。(8・28) 

ついに、松下政経塾の出身者から、総理が誕生しました?! 日本国にとって、こんな残念なことはありませんねえ。(8・31)  かつて、私はこのHP上で「松下政経塾の功罪」という“似非エッセイ”を書いておりますが(2003・11・26)、 このたびの野田総理の出現に対し、かなりの方が“松下政経塾の功罪”にふれております。 皆、危機感を持っているということでしょうねえ。いかがです、同志諸君!! (9・2)

9月4日、台風の影響も少ないなか、カミさんに誘われ、「昭和の新宿体験ツアー」に参加しました。 名刺大のカードを胸にぶら下げてというのは初めてのことです。そこで、久しぶりに「つづくかエッセイ」を書きました。 次回以降に掲出の予定です。

拙著『梶山季之』の第12回目、「死の予感」その1を掲出しました。

2011/08/24 近ごろ、レキジョ(歴女)やらテツジョ(鉄女)などという元気な女性が闊歩する世の中、いっぽうの男はイクメン(育男)と家庭的で健気ですねえ。 だが、女性はさらに進歩し、中にはトカゲなど爬虫類を好む女性も多いらしく、近ごろ横浜市内にオープンした「爬虫類カフェ 横浜亜熱帯茶館」では彼女らの出入りが多いそうです。 ゲテモノ趣味などという言い方もありますが、いずれ“ゲテジョ”などと言われるのでしょうか?!

菅直人首相の賞味期限はとっくに切れて、熱暑のために腐敗?寸前のようですが、このところちょっと冷たい雨が続いたためか、 月末の党首選まで頑張りそうです。一方で、ふたたび四国のお遍路をなどという話もあるようですが、まあ“腑抜けた”顔を見せるよりはよいでしょうかねえ?!(8・20)

原発を誘致した自治体には、その立地対策費として毎年1千億円を超える税金が流れ込んでいるといいます(東京8・14付)。 その恩恵を蒙ってきただけに、ひとたびこのような惨事に見舞われては、泣くに泣けない人々も多いようですねえ。

先ごろの大地震・原発事故や、中国の鉄道事故ほどの大事件でもないのに、“タレント”島田紳助が大きな話題となりました。 東京(8・24夕刊)にいわく「黒い交際 大きな代償/TV局あたふた/紳助さん引退/番組切り替え・CMも痛手」、 そして「『この程度で不可解』『ほかにも(理由が)あるのでは』」とは識者のコメントです。 それにしても“黒い交際”とは暴力団関係者には面白くないでしょうねえ。本人も名前に紳士の“紳”が入っていることですし……。

承前:橋下大阪府知事は上記の島田問題に関し、「番組で世間に知ってもらえた。紳助さんの番組がなければ、府知事になれるわけがなかった」と謝意を口にしたそうです。 そういう関係もあるのですねえ?!

拙著『梶山季之』の第11回目、「筋を通す、手を貸す』」その2を掲出しました。

2011/08/09 ある電車の中吊り広告に「祭りは、東北。/8月7日(日)夜9時。東北の祭り魂が、炸裂する。NHKスペシャル」とあったのには驚きました。 東日本大地震から5か月余、いまだ復興ままならぬ状況にありながら、“炸裂”とはいかがなものでしょうか?!(8・6昼過ぎ、広島に原爆の投下された日に)

中国では先月23日夜に発生した高速鉄道の事故を、「信号設備の欠陥と人為的ミス」との調査結果を発表したそうです。 その前には、犠牲者の遺品ごと車両を土中に埋めるという“ねこばば”的な発想に驚きを隠せません。

片や日本では同29日、プルサーマル計画に関して開かれた国のシンポジウムで、経済産業省原子力安全・保安院から、 事前に出席者に質問や意見表明を促す“やらせ”の要請があったことを明らかにしたそうです(7・30東京新聞朝刊)。
これらの共通点は、やみくもに突き進む、という点でしょうか。 個人がささやかなウソをついても非難されるが、国家は人命にかかわることでも真相を隠し、“威信”を優先するのでしょうか?!

拙著『梶山季之』の第10回目、「筋を通す、手を貸す』」その1を掲出しました。

2011/07/26 書棚にあったアルフォンス・デーケンの『よく生き よく笑い よき死と出会う』(新潮社)を読んでいると、 思いがけなくヘルマン・ヘッセの詩「霧の中」に出くわしました。 どこかで見かけたことがあると調べてみると、わが創作「生きるべく道へ」に出てくる、高校3年の主人公金之助にあてた、 かつての同級生道子が記した一節です(1960年〈昭和35年〉夏)。半世紀ぶりの思いがけない出会いでした。

“あと何日”とは、プロ野球を見ながらひいきチームの勝利を願うファンが、ゲームセットまで“あと一人”とコールするようなもので腹立たしい限りです。 すなわち、これは“地デヂ化”までの日限を執拗に“宣伝かつ脅迫”するNHKを頂点とするテレビ局側の、要するに“一億総白痴化”作戦でしょう。 もっとも、我が家の古テレビは、この作戦に付き合うまでもなく、数か月前から映りが悪くなっており、“自死”寸前であります。メデタシ?!(7・14)

強豪アメリカを倒した「なでしでジャパン」のW杯優勝(女子サッカー)は快挙であり、東日本大震災の被災者に元気を与えたようです。 一方で、通算勝ち星1047など新記録を達成した大相撲の大関魁皇の引退もあり、この19,20日のマスコミは大騒ぎでした。 ともあれ、スポーツは政治などとちがって、明確なところが取り柄ですね。

前回、この欄で、やや懸念を漏らしたことが現実となり、大学寮OB文集の作成チームから、他の人にバトンタッチして、抜けることになりました。 不徳の致すところというほかありません。

拙著『梶山季之』の第9回目、「『エロ』と『ポルノ』」その2を掲出しました。

2011/07/12 今月1日、東京都はマンガ・アニメ等で表現された“非実在青少年”の“性的表現”を取り締まる条例を施行しました。 出版はじめ関係業界はこれに強く反撥し、かつ規制強化に危機感を募らせております。 その夜、出版労連によるシンポジウム「改正都青少年条例7月施行、何が問題か」があり、私もパネラーの一人として、 青少年と規制に関する“歴史”について話をしました。規制強化は役人の出世の手段として使われたという印象が強く、 いつの世も当事者「青少年」不在の歴史は繰り返されております。(7/2記す)

上記の会場で、2002年11月刊行の拙著『有害図書と青少年問題−大人のオモチャだった“青少年”−』の増刷予定はないのかという声がいくつかありました。 ありがたいことですが、出版社の考え(営業方針)もあり、私の一存では決められません。 その代わりではないでしょうが、05年4月の『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷−出版年表−』は版元の好意で、 10冊(定価1,500円+税)が1,000円で提供され、売上げは東日本大震災の義捐金として送られるとのことでした。 人は、いろいろな形で、見知らぬ人とつながるものだと実感した次第です。(同上)

目下、この秋、創立50年を迎える大学寮OBによる文集の作成に携わっております。 出版事情が多少分かる者としての役割は自覚しておりますが、酷暑だけでなく素人のやや身勝手な言動にも意欲をそがれかけております。 チームワークというのは難しいものですね。(7/11記す)

拙著『梶山季之』の第8回目、「『エロ』と『ポルノ』」その1を掲出しました。

2011/06/28 梅雨というのに、あまり雨が降りません。また、あまり暑くもなく、“節電”に励まなくてもよいのかもしれませんが、気をゆるめるわけにはいかないようです。

東電はおろか“菅”電も、はっきりしませんねえ。居座るだけが“仕事”ではないと思いますが、国民のほうも白けてしまっているのでしょうか。大人しいですねえ。

今月中旬、小人数の会合に招かれて、大宮市内でちょっと“講演”をしてきました。東京のすぐ隣ですが、初めての訪問でした。 日曜日の昼下がり、駅前は女子中学生のグループをはじめ大勢の市民であふれており、活気のある街だと思いました。 いくつもある居酒屋は東京で見かけるチェーン店ばかり?のようであります。

過日、市役所から、栄えある高齢者(65歳以上)1500人の一人に選ばれて、「高齢者実態調査」なるアンケートに答えさせられました。 「徘徊するか否か」「自分で買物ができるかどうか」「同じ話を繰り返さないか」「友人はいるか」「今日は何日で、何曜日か分かるか」など多岐にわたる質問事項に辟易して、 住所氏名を書き忘れました。〈ちなみに、本文でマチガイはどれでしょう?!〉

拙著『梶山季之』の第7回目、「仕事を離れて」の項を掲出しました。

2011/06/15 「47NEWS」によると、総務省が地デジ移行対策を加速 77万世帯が未対応(6月9日)
7月24日に予定されている地上デジタル放送の完全移行まで50日を切った。 総務省によると、未対応は4月末時点で約77万世帯移行できない世帯をできる限りゼロに近づけるため、 総務省は6月中旬から全国の千カ所以上に臨時相談窓口を設けるなど、普及への取り組みを加速させる。 地デジの完全移行は、東日本大震災の影響で延期した岩手、宮城、福島の3県を除く44都道府県で実施する。 移行する地域での未対応は昨年末時点では約293万世帯(一部重複含む)に上っていた。 これが3月末には約111万世帯、4月末には約77万世帯まで減ったという。
・・・・・・この項、いささかの怒りを込めての記述、ほとんど独白となりました。悪しからず?!

民主党の鳩山由紀夫前首相は9日、自らのグループの会合で、菅直人首相を「ペテン師」と批判したことについて 「私も一時冷静さを欠いた時があり、大変ご無礼をした。皆様におわび申し上げたい」と陳謝した。 「今一番大事なのは党をしっかりまとめきることだ」とも強調。そのために「求められているのは冷静な心だ」と指摘した。 (6月10日)思うに、彼はハトではなく、サギ師というところでしょう?!

人生、予期した以上に、いろいろなことが起こるようです。 先年は高校時代のこと(初代校長の日記の復刻に参加)がありましたが、今年はわが大学時代のこと(学生寮50周年記念誌の作成)に関わっております。 ともあれ、いずれもなかなかに前途多難の“事業”ともいえます。

拙著『梶山季之』の第6回目、「教師と作り話(その2)」の項を掲出しました。

2011/06/05 ………5月31日更新予定でしたが、機器の不具合等により5日遅れの掲出です。(6月5日)………

東日本大震災の“余波”はなかなか収まらないでしょうが、3大新聞による震災・復興支援といいますか、記事の扱いはアンチ原発か、 原発推進かで、異なっているのだそうです。 私自身も「讀賣新聞は被災地に情報をお届けすることで支援しています(要旨)」という車内の広告(メッセージ)を見て、 不思議なことをいうものだなあと首をかしげていたところでした。 新聞等メディアは本来“情報をお届け”するのが役目ではなかったでしょうか?! (20日)

調布消防署:5月21日(土)午前11時前、国領町の共同住宅から出火し、一室50平方メートルなどを焼損しました。 この火災で1名の方がけがをしました。…広場をはさんで、8階から30メートルぐらい先の一室からもうもうと煙が出ているのを目撃しました。 はしご車からの放水もできないようで、これは大火災だと思いましたが、消防署の発表は上記のようなものでした。まあ、ボヤだったのでしょうか。 「坊や、よい子だ、ねんねしな」で、よいのかしらん?! (21日)

原発の安全宣言。だれでも頼りたいものですが、かなり恣意的に行われているようですねぇ(おらんちは大丈夫だなどと?!)。(23日)

今どき、斑目委員長はデタラメだなどという、亀井静香国民新党代表の発言は単なる語呂合わせ“犬の遠吠え”に聞こえますねぇ。 もう少し建設的な発言はできないのでしょうか?! (23日)/ 斑目さんに成り代わって言えば「亀井、静かにしろ!」というところでしょうか。(24日)

「父に関する“研究”」…といえば聞こえはいいのですが。またある大学教授により、戦前の父の文章が中国のある図書館で“発見”されました。 ただし、それを手に入れるにはかなりの手間隙がかかるようです。

拙著『梶山季之』の第5回目、「教師と作り話(その1)」の項を掲出しました。

2011/05/17 13日午後、前進座劇場(吉祥寺)で新「族譜」を観る。“新”とは、これまでのよりストーリィが変わっていることで、 とくに後半は原作からかなりかけ離れて、説教調、教科書的な“説明”が語られ、違和感を覚えました。

久しぶりの吉祥寺は、駅近辺を中心にこれもかなり変わっており、若者ばかりか中年女性らも元気に闊歩しておりました。(以上、13日まで)

拙著『梶山季之』の第4回目を掲出しました。

2011/05/05 だれが言い出したのか、“地デジ難民”というのは不快な表現ですねえ。 アナログテレビだと、あと3ヶ月ほどで、見られなくなるという国を挙げての“脅し”も連日連夜で不快でもあります。 と言うわりにはズボラな私はそれほどテレビに接してはおりませんが…。

<承前>いつからか、“国営”NHKが民放と変わらないコンテンツ(番組)を流しているようですが、 これなども独自性のない“愚民政策”ではないかと勘繰っております。テレビを見ようが見まいが、個人の自由ではありませんかねえ!?

<悄然?!>今やパソコンやケータイで、それなりに“ニュース”を知ることができる時代で、あまり不自由は感じませんねえ。

ところで、このたびの東日本大震災に関する連日の報道は、痛ましく思うものの、ほとんど何もできない者にとって、 その現実をリアルには理解していないということを改めて知りました。4月20付東京夕刊「『東日本大震災』名称変えて」(見出し)によると、 ほとんどの人が津波で犠牲になったのに、名前に津波という言葉が入らなければ、これから生まれてくる世代にそれが伝わらない」と訴えているのは岩手県陸前高田市で被災した63歳の女性です。

余談ですが、アメリカ・アラバマ州では4月28日に竜巻が起こり、死者が300人をこえた大惨事だそうです。 「被害が特に大きかったのは同州のバーミングハムの南西約80キロにある都市タスカルーサで、多くの建物が竜巻で吹き飛ばされた。」 と国際ニュース(インターネット)にあります。それでも“タスカルーサ”ですって?! あ、そうか、日本語は通じないところだったか。

10年前の9・11(米中枢同時テロ)の首謀者といわれるウサマ・ビンラディン容疑者が昨日、米特殊部隊により殺害されたとして、 大きなニュースとなっております。とはいえ、彼が率いた国際テロ組織アルカイダによる“報復”も懸念されるようで、 日本も安閑としておれないとは、世界は一つですねえ?!

話変わって:07年の夏につづいて、再びわが父のことで、ある大学教授からご連絡をいただきました。 戦前の大連時代、教師業だけでなく満鉄(図書館関係)での仕事に関するものです。まだまだ私の知らない“父”が明るみに出るとなれば、 うれしいような、気恥ずかしいような妙な気分であります。さらに悩みとしては、いつまで経っても“父を超えられない”……。

拙著『梶山季之』の第3回目を掲出しました。

2011/04/19 厭世感に捉われているわけではありませんが、東京都知事選での石原四選というのはいかがなものでしょうか。 ますます東京はおかしなことになりそうです。(2011・4・10)

このごろ、やたら古いものの整理をしております。私の“昔”ですから、たいしたことはありませんが、主として文書類の整理に、四苦八苦しております。(2011・4・11)

官邸も当事者・東電など、どうして正確な情報を流せないのでしょうかねえ。 チェリノブイリ並みの“影響”が出ていたのは、3月17日ごろだそうですが、何と発表は4月12日というではありませんか。 アメリカはじめ、外国から指摘されていたのに…。はっきりいって、日本人の“潔さ”の欠如は、このようなところにあり、 マスメディアの格好の餌食となっているだけに、2重の災難に見舞われるのは大多数の国民であります。(2011・4・13)

私の場合、レベル6(600円前後)が長らく続きましたが、震災のため、一時レベル7(700円前後)となりました。 1週間もせずに元のレベル6に戻り、とりあえず安堵しているところです。ちょっと不謹慎かもしれませんが、にせビール1パック(6本)の話です。(2011・4・15)…

ところで、私はパチンコも自販機にも縁がありませんが、このたびの石原知事の発言はご都合主義ですねえ?!  というのも、その昔、環境庁長官の折、弟裕次郎の“窮状”を救うため、防衛庁(自衛隊)の飛行艇を“利用”したのです。 したがって、いま現在どちらかの業会に関与しておれば、全く反対の見解を表明したことでしょう?! …「昭和56年、弟の裕次郎が倒れた際に小笠原諸島から海上自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京し、公私混同として問題になる。 燃料代は160万円かかっていた。(ウィキペディア日本語版)」

「電力以外も天下り自粛を=枝野官房長官」というニュースがありましたが、公務員が“天下り”あるいは民間に“介入”するのは昔からごく自然の成り行きのようですね。 古くはわが20歳代なかばの見聞:ある小さな飲み屋の女将には税務署員らしき“愛人”がおりました。 もう一つは50歳代はじめ。友人の実話。やはり税務署員ですが、“税金”をタテに、机は要らないから、月々いくら払ってもらえばという話も聞きました。 /これらは“保険”という意味合いもあるようですが、出版業界では大した実績もない人物がいくつかの団体の“顧問”などとして“君臨”しているという噂もあります。 “官”“民”“官”もいい加減なものですねえ?!(2011・4・18)

拙著『梶山季之』の第2回目を掲出しました。

2011/04/05 “1000年に1度”の大地震と東京電力福島原発事故の余波も収まらないなか、サッカー日本代表とJリーグ選抜との試合(長居競技場)をテレビ観戦しました。 代表側が勝ったものの、選抜側の余り好きではない三浦知良(44歳)が得点したのは、時期的にとてもよかったと、手放しで喜びたいものです。

4月2日カミさんと息子が、朝早く同時に出かけるというので、どこへと聞けば、浦和だというのです。 すなわち、震災者向けの物資の仕分けボランティアで、インターネットでの呼びかけに応じたものです。 3日(日)もまた、二人はそろって出かけました。

その少し前、私は情けないことに“震災便秘”という状況で、かなり苦しみました。 あの各地の被災状況を新聞やテレビで見るにつけ、他人事は思えないのでした。神経過敏というのでしょうか困ったものです。

スーパーやデパートなど量販店は照明を少し暗くするなど、節電に努力しているようです。 ところで、細かなことですが、洗面所内にあるエアタオルの電源は案外切られておりません。 ある日曜大工センターで、私は清掃の女性に「電気が無駄では…」と申したところ、彼女はソウデスネと応じ、すぐ上のものに伝えますとのことでした。 世の中、手を洗わない人もおれば、ハンカチで拭く人も多いでしょうからね。

某日、好天に恵まれ、2時間ほど歩きました。目的の一つは、好みの第三のビール(俗称:にせビール)を求めることでもありました。 いつもの安売りのスーパーに行くと、24本入りケースはおろか、6本パックは、その銘柄に限らず、全く見当りません。 今度いつ入荷するという張り紙だけ…で、ここでも買い占める輩がいるかと嘆く間もなく、いやもっと不自由な方たちが大勢いる。 ビールごときで嘆いている場合ではない。しばらく辛抱しようと、心に決め、家路につきながら、もう一つの大きなスーパーはどうかと足を伸ばすと、 何といくらでもあるではありませんか。6本パックもそう高くはない…、というわけで“決心”は数分で元通りになった次第であります?! ああ、凡人はこれだから困ります!!

3週間も漂流していた飼い犬が発見されました。視聴者や新聞読者の救助されたニュースの受けとり方はさまざまでしょうが、 地上に下りたものの、あまりのショックで、口も聞けず、名前も何もワンとも言えないそうです?!

※話は変わりますが、わが師梶山季之没後はや36年になりますが、「電子版 梶山季之資料館」(トピックス)にありますように、 いまだ話題としてメディアに取り上げられるのは、ありがたいことです。
そこで、1997年に刊行後、絶版となっております拙著『梶山季之』の全文を、本日より順次掲出する予定です。

2011/03/23 阪神・淡路大震災のとき(1995・1・17)、時の政権を担っていたのは非自民の村山富市(自社さ連立)でした。 そして、この東日本大震災(2011・3・11)でも、落ち目の菅直人(民主党)と非自民の総理大臣であります。 激震と与野党の政権交代が連動するとしたら、恐ろしいことですねえ。(2011・03・12)

ところで、この災害に対し海外のメディアは「物資の奪い合いせず」「冷静に対応」「立派な備え」「笑顔と礼儀忘れない」とし、 具体的には「不屈、偉大な産業力」(米国)、「規制的な表現で報道」(韓国)、「尊厳を保つ」(台湾)、 「国民は達観」(フランス)などの“日本称賛相次ぐ”とあります(順不同・14日付東京:見出し)。 また、英国の高級紙インディペンデント日曜版は日本語で「がんばれ、日本 がんばれ、東北」とのメッセージを掲載したそうです。

承前…褒められたニッポンジンですが、現実には、都内のタクシー乗り場で大勢が並んでいる中“割り込み”をする人がいたとは、 カミさんが友人から聞いた話であります。

この人も懲りないのか、14日に東日本大震災を「天罰」と表現した石原都知事は本日午後、記者会見し、 「発言を撤回し、深くおわびいたします」と謝罪したそうです。何様のつもりだったんでしょうかねえ。 こんな人物がまたぞろ都知事の4期目を目指す。それも当選確実だそうですから、こんな人物を担ぎ上げる都民(国民の一部)は何を考えているのか、 まことに困ったものです。(2011・03・15)

それにしても、輪番停電ばかりか原子炉事故を起した東京電力という元国策会社の杜撰さは、どういうことでしょうかねえ。 事故の発表もあいまいで、発表も遅れて国民は大混乱という泣きっ面にハチの状態ではないでしょうか?! (2011・03・17)

4日前とちがって、海外メディアの東電の原発事故に関する論評は、かなりシビアなものです。 「危機管理 日本を酷評」の大見出しの下、米国「指導力が欠如」、ロシア「楽観論を批判」、英国「“隠蔽体質”指摘」、 韓国「矮小化で不安増幅」とあり、中国だけは現状では日本政府の批判報道はないとのことです。いずれも“政治的”ですねえ。 (以上、2011・03・18東京朝刊)

東日本大震災あるいは東日本関東大震災などと菅内閣は“命名”もできない状態です。 それはともかく、わが家の若い衆はインターネットの呼びかけで、必要な物資を送るべく、家の中を探し回りました。 使っていないものが色々出てきました。なるべく早く送ると言っております(翌日、神田まで届ける)。 我々の若い時代の(決まり切った)赤十字募金などとちがい、フットワークの迅速さに、とりあえず子育ての“間違っていなかった”ことと、 ひそかに思っている次第であります。(2011・03・19)

イヤア地盤沈下でもあるのでしょうか、大阪府は。府議会の長田義明議長が20日、「震災は大阪にとって天の恵み」などと発言していたというのであります。 あとで陳謝したそうですが…。“偉い”人はよく失言をするようですねえ。(2011・03・20)

プロ野球セ・リーグの開幕について、球界のドン・巨人軍の“実質”オーナー・ナベツネさんが、パリーグに合わせるなんて、とんでもないと、 今月末の開催を主張しているようです。そんなに、巨人は偉大なんですかねえ。(2011・03・21)

2011/03/08 近ごろエジプト政変など、中国を含め圧迫されていた民衆が各地でデモや投石など反政府運動を起しておりますが、 それが国内外で広がるのはインターネットや携帯電話が大きく影響しているようです。 言ってみれば、これらは“平和の武器”といえないでしょうか。(2011・02・27)

ところで、“平和の武器”は京大や早大等の入学試験の“正解”にも利用されたというのですから、頭のいい人はどこにもいるのですねえ。 多分、大学なんぞに真面目に通わずに…。(2011・02・27)

忠犬ハチ公:ホルマリン漬けで保存されていたハチの臓器を磁気共鳴画像化装置(MRI)や顕微鏡で詳しく調べたところ、 肺と心臓にかなり大きながんが見つかった。肺がんが心臓にも転移したと考えられるということです。 この発表、相当な問題のようですが…。最近、かなり渋谷に行く私ですが、よく分かりませんねえ。(2011・03・01)

これも、よく分からないのですが、民主党の議員諸公はなぜ、バカな(マイナスの)問題を次々と提供するのでしょうか。 たとえば、前原外相は政治資金規正法で禁じられている外国人からの政治献金を受けていたとのことです。 自民党政権下の間に、彼らは何を勉強していたのでしょうかねえ。(2011・03・04)

報道によりますと、この4月に行われる都知事選に、松沢神奈川県知事が立候補するとあります。 それは自由ですが、私はかつて彼について、次のような一文「松下政経塾の功罪」を書いていました。(2011・03・01)

古い日記を見直している昨今…。
1984・9・22(土)の項に「蔵前国技館での最後の大相撲。お目当て―昨日、若島津が小錦(ハワイ出身)に破れ後退、多賀龍がトップ。 小錦地震とかで、柔道に続いて、国技危うしとか。いつも太平の眠りを覚まされてから、あわてるのが日本人。 根底から、やり直せばよいではないか」と記しておりました。若島津は、いま松ヶ根親方で、現役時代より、さらに痩せていますねえ?! 《参考:hp「若嶋津六夫」》 (2011・03・06)

2011/02/22 最近、新聞の投書欄にもありましたが、“地デジ”のために、何でテレビを買い換えたりしなければならないのですか。 国民は未来永劫テレビを見る義務でもあるんですかねえ。(2011・02・11)

エジプト政変…(1)ついに退陣したムバラク前大統領「私はしばらく休むだけだ」と言ったとか言わなかったとか。 (2)退陣を歓迎するカイロ市民「待てば海路の日よりあり」ってところだそうです?!…(以上2月12日)

昔から政界に正解はないようですが、菅内閣いや多くの民主党議員が、小沢元代表を排除したいというのはいかがでしょうか。 (以上2月14日、私には縁のない聖バレンタインデーに)

いやあ、感動しましたねえ、この兄弟愛…。練馬区の無職少年(19)が「弟の『通り魔犯行予告』をインターネット上でバカにされ、 実際に通り魔を起こしてやろうと思った」というのですから…(朝日2・18)。

「つづくかエッセイ」…“月刊”のつもりではありませんが、今日は「きよう」をお送りします。

2011/02/09 ちょっと報道にびっくりしましたが、相撲の世界で八百長は30年前からなんてありましたが、そもそも八百長は相撲の世界で始まったものらしいですよ。 何でも八百屋の長兵衛さんという人物が、あることで賭けを始めたことから「八百長」という言葉が出来たんだとか、私はそれを十代のころに知ったのですよ?! (2011・02・03)。

小生、いま人生の終盤近い年ごろ、何かと懐旧の念は深まるばかりです。同時代のみなさんも、そういう状況ではないでしょうか。 私自身、5年ぶりに小さな会合を呼びかけたり、また高校時代の同窓会に出たり“忙しく”しております。一方で、身辺整理も行っております。 大したものがあるわけではありませんが、たとえば「日記」、これは悩ましいものであります。・・・・・(2011・02・07)

「つづくかエッセイ」…残念ながら、“つづかぬエッセイ”のようです。 時々都心に出るなど、いつものように平凡な毎日を送っているつもりですが、頭の切り替えがうまく行きません。 目下、準備中というところであります。そういえば、ささやかですが確定申告も忘れるところでした。

「ミニ自分史」…これも、お休みであります。

2011/01/25 今年も順調に?滑り出してはおりますが、はや月末近く、時間の経つのは早いものです。 ただ、長年続いた元日の書初め、つまり“色紙”に何かしら、書いていたのですが、今年はすっかり忘れていました。 夕方に気がついた時には、もうお酒をいただいており、頭の中は“液状化”現象となっており…ました(「ミニ自分史」…(132)参照)。

「つづくかエッセイ」…つづけるのは、なかなかシンドイことです。 年配の多くの方がそうではないかと想像しております。 目下、40歳から13年余、ある団体に勤めていた時代の日記やメモを整理しております。 後悔と懐旧の念が交錯し、遅々として進まないものであります。

「ミニ自分史」…「(132)歳の始めに 色紙を書いて…  2011・01・25 橋本健午」を掲出します。

2011/01/11 「新しい年、お互いにいつもの顔で迎えよう…」《わが新作標語?!》

昨年末、ちょっとした地方ニュースに「餅の入った雑煮を食べた男性が餅を喉に詰まらせ窒息死…」とありました。 この地方では、餅を入れない雑煮というのもあるのでしょうか(2011・01・01記す)。

年末から年始にかけて、山陰地方では大雪で電車が立ち往生、国道でクルマ千台が動かずの被害ばかりか、 今度は「雪の重みで転覆・沈没した漁船が鳥取、島根両県で計約380隻に上る」という“災害”が起こっているそうです。 自然は恐いものですが、なぜこうも一地方に集中するのでしょうか(1・3)。

それは他国でも同じで、アメリカでは民主党の女性下院議員の演説会場で銃乱射事件が起こり、同議員の重態のほか子どもを含む犠牲者が出たり、 イランでは旅客機が墜落、死傷者が100人以上も出たとか、いやな2011年の幕開けとなりました(1・10)。

「つづくかエッセイ」…したがって、先行き不安は私も同じで、今年はこんなタイトルになりました。 内容が伴わなければ、どうにもなりませんが…。まずは「同窓会」から。

「ミニ自分史」…相変らず、若き日の基礎資料である日記や手帖・日めくりカレンダーなどと格闘しております。 それにつけても40歳から13年余のサラリーマン生活はシンドイものでした。 そして、世の中に数多ある“モノを生産せず利益を出さない団体の内情(性格)”は似たようなものであると想像しております。 その最たるものが“お役所”ではないでしょうか。わが身内にもおりましたが…。

10年前、すなわち2001年12月4日、長女の協力により、このHP「心-こころ-橋本健午のページ」を立ち上げました。 すぐに4件も反応があって、その威力に驚き、かつうれしく思ったものです。 これまで月2回の更新をしながら、何やかや続けてこられたのは“継続は力なり”と思ったからか虚仮の一念だか分かりませんが、 これからもよろしく、というところであります。

トピックス/更新の履歴と近況 2008〜2010年
トピックス/更新の履歴と近況 2005〜2007年
トピックス/更新の履歴と近況 2002〜2004年


kenha@wj8.so-net.ne.jp