トピックス/更新の履歴と近況 2008年〜2010年

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トピックス/更新の履歴と近況 2005〜2007年
トピックス/更新の履歴と近況 2002〜2004年


2010/12/28 2010年も残りわずかとなりました。年々歳々、先行き不安の日本国に、民主党政治など、なかなか光明を見い出すことができません。 身近でいえば、母校ワセダから送られてくるカレンダー(表裏1枚・12か月分)が年ごとに小さくなっていることに気がつきました。大丈夫でしょうかねえ?!

東京都条例の改定で、マンガによる性表現“非実在青少年”を取り締まるということですが、 それを主導する元祖“太陽族”の石原知事にも困ったものです。

出すのも貰うのも大幅に減少している年賀状に代わり、メール賀状が“主流”の今日、なにを思ったか私はすでにこの25日に 「めりぃ くりすます & あ はっぴい にゅー いやー 2010・12・25 橋本健午」として最近の状況を記して発送しております(A4-1枚)。 もっとも、何人かパソコンに依存しない方には、元日にその簡略版を送る予定でおりますが…。 《「ミニ自分史」…「(131)」として掲載:一部に前回(130)との重複あり、ご容赦を》…さらに追記:思いもかけず、何人もの方から感想やご意見をいただき、感謝をしている次第です。

『母校・高槻中学高校』…“メモ…「母校沿革史」検討の参考として”(最後5回目)を掲出します。

さて、来2011年は、いかなる年となるのでしょうか。干支は、優しげな卯(ウサギ)ですが…。

2010/12/15 事実は小説より奇なりとかいいます。例の“被害者”海老蔵という若旦那(33歳)は自称“人間国宝”だそうですが、 酒癖が悪いという点でも名が通っているそうです。よくいう“名跡の重責に耐えられず”というのでしょうか、 あるいは単なる“天狗”だったということでしょうか。 やはり、私のような門外漢は話題として取り上げるべきではなかったと、反省しきりであります。

民主党は寄合い所帯で大きくなったからでしょうか、依然としてバラバラですねえ。 菅直人という市民派の“代表”のような人が近ごろ、単に“首相になりたかっただけの人”などと言われ、なるほどと得心している次第です。 一方、小沢元代表のしたたかさは、いつまで続くのか知りませんが、お互いにもう少しわれら“国民”のことに気を配ってもらいたいものです。

『母校・高槻中学高校』…“メモ…「母校沿革史」検討の参考として”(4回目)を掲出します。

「ミニ自分史」…引き続き、個人的な古い記録の整理に追われております。

何やかやとあった今年もまもなく終わります。この「心」も年内、あと2回となりました。 新しい年を迎えるにあたり、少しでも好転することを祈りましょう。

2010/11/30 オバマ大統領がバスケットボールの試合中に唇を切り、12針も縫ったと報じられています。 かたや、歌舞伎俳優の市川海老蔵が酒の上でのケンカ?で殴られ、顔や頭に大怪我をしたということです。 ただ、痛いというだけでなく、仕事に支障を来たすという影響もあるようで、海老蔵の場合、公演中止やCMを下ろされるだけでなく賠償金もかかるとかで、 5億円の損失というのですから、これからが大変でしょうねえ?!(11・28)

沖縄知事選は米軍普天間基地の問題“県外”か“県内”かで争われ(?)、現職の仲井間知事が再選されたとのことです。 それはさておき、基地のある地名“辺野古”は公共放送でも福島瑞穂党首も盛んに口にしていましたが、私には何となく憚れる言葉です。 どこの方言でしたか、あるいは落語なんざに出てくる隠語“男性のシンボル”を表わしていたかと思うのですが。 え、大事な政治問題を茶化しちゃいけませんか?! こりゃ失礼致しました!!

最近の国際情勢は流動的でなかなか理解に苦しみます。わが国の情報管理が杜撰、あるいは甘い対応と批判されたのも束の間、 今や内部告発サイト「ウィキリークス」による機密文書“”公表”たるや、その文書数だけでなく、広がりもワールドワイド、 ほとんど素っ裸にされるという有様ですねえ。良い子の皆さん、ヒミツを持つのは止めましょうね?! 

『母校・高槻中学高校』…“メモ…「母校沿革史」検討の参考として”(3回目)を掲出します。

「ミニ自分史」…近ごろ、個人的な古い記録の整理に追われております。 それらをどうのように掲出すればよいか、量的にも多く、まだ目鼻が立っておりません。

2010/11/16 今の日本は民主党の迷走による戦国(仙谷)時代か、大阪地検のデタラメさ、尖閣諸島の中国漁船問題、その映像ビデオのインターネット漏洩など、 何でもありのトンデモナイ状況にあるようです(11・10記)。その後の展開については、なおさら言いようがありません。

オバマの前はブッシュでしたっけ、米大統領は? 兵器産業をバックに、イラク戦争を仕掛け、2期8年も勤めたからか、 その回想録『決断のとき』は初版150万部、初日(11・9)だけで22万部を売り上げたのだそうです。 やはり、“元大統領”は儲かる商売らしいですな?!

ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スーチー(65)さんが、自宅軟禁から約7年半ぶりに釈放されたといいます。 軍事政権も非情なものですが、自宅とはいえ自由を奪われての長い期間、元気でいられたことに感嘆しております。 それだけ“意思”や“信念”が強固だということでしょうが、支持者へ見せた笑顔が再び曇らないことを、同国のためにも祈りたいものです。

この10月1日に行なわれた国勢調査(5年に1回)、“おひとり様”の時代を反映してか回収に手間どったばかりか、 統計に役立つ資料となりうるのかどうかなどと、かなりの問題を含んでいるようです。

大相撲九州場所2日目、双葉山の記録69連勝を抜くかどうかと注目されていた横綱白鵬(25歳・モンゴル)は稀勢の里(24歳・牛久市)に敗れ、 連勝記録は63でストップしました。両者のファンは悲喜こもごものようですが、国境を越えて応援されるのはありがたいことでしょうね。

新規コンテンツ「母校・高槻中学高校」の2回目をお送りします。

「ミニ自分史」…「(130)最近、読んだ本/引用されたことなど 2010・11・16 橋本健午」をお送りします。 なお、本は書くだけでなく、買って読まなければと反省もしております。

2010/11/03 今年もまだ大分残っておりますが、日本だけでなく政治も経済も大変であり、チリ鉱山33人閉じ込め事件など、 自然も猛暑や季節外れの台風などさまざまであります。 また“産んだ子殺し”や“死んだ年寄り依存症”も明らかとなり、“日本人は徐々に壊れている”のではないかと愚考する次第です。

先月“創立70周年”を祝った、わが高槻中学校高等学校に関して、大急ぎで“メモ…「母校沿革史」検討の参考として”を作って発表したのは09年1月のことでした。 何回かに分けて、ここに再録する次第です。なお、その年9月にも、やはり大急ぎで“学園新聞について(分類・資料)”を作って発表しております。 それぞれ2ヵ月ほどかかったでしょうか。無報酬ながら、意外に早くできたのは、まだ若かったからでしょうね。

前回の「週刊ポスト」に続き、今度はある大学教授の小論文「梶山季之のなかの日韓関係」に、 拙著からの引用があるとして掲載誌が送られてきました(霞山会『東亜』10月号)。 見知らぬ方からの“通信”は先にも述べましたように、インターネットのお陰といえます。 一方で、親しい友人からの“返事”はなかなか届きません。余りメールを開かないからか、と想像しておりますが…。

2010/10/19 この15日〜17日の3日間、めずらしく行事が重なりました。近ごろさっぱり本を書かないのですが、 15日夕刻には明日香出版社恒例の「著者大会」に招かれ、何人もの顔見知りと歓談し、旧交を温めました。 早めに抜け出そうとすると、若い女性作家がわざわざ挨拶に来てくれました。

16日午後には東西で“創立70周年”行事が行なわれ、わが母校(高槻中学校高等学校)のは欠席し、長男が卒業した都立高校の式典に出ました。 もっとも、これも同時刻に始まる「早大田無寮OB会」総会に出るため、国歌斉唱、校長の式辞を聞いたあとすぐ、滞在11分で会場をあとに・・・。

翌17日は早大ホームカミングデー。懐かしの記念会堂に入ったのは20年ぶりですが(このときは卒業25年目)、式典の流れもスムーズに、 サッカー日本代表の岡田元監督の特別表彰などあり、終わると1万人近くの出席者にも拘らず、すぐに仲間を見つけ、混雑する構内をそぞろ歩き・・・、 昼ごろには在学中から行きつけの小料理屋「志のぶ」で乾杯とダジャレの応酬・・・、大隈講堂前の特設ステージではジャズの演奏にタモリが飛び入り出演するなど、 にぎやかな半日を過ごしました。さらに、遠方からの友人と渋谷まで出て、中国・火鍋料理を堪能しました。

そういえば、寮の先輩から来春に「講演をお願いしたい」旨の話も受け、意義深きかつ充実した時間を過ごすことができました。 この間、母校高槻での式典も無事終了した由のメールも入っております。万事めでたし?!

何となくマスコミから遠ざかりつつある私ではありますが、このHPのおかげか、18日発売の「週刊ポスト」10月29日号の特集「性の文学大全集」全16ページの最後に年表があり、 その作成に協力し、ささやかにコメントを発しております(p160)。ご参考までに。

「ミニ自分史」…「(128)会合続く、わが特異日(2010年10月15〜17日)」「(129)学生時代の思い(怒り・悩み・喜び)など」を掲出します。 上記のようなさまざまな会合に関するものです。

「なぜかコラム」…誰にも、厄介な「敬語・敬意表現について」をお送りします。

2010/10/06 16日(土)午後、わが母校・高槻中学校高等学校は創立70周年を迎え、記念式典が行われます。 これまで、節目ごとに参加してきた私ですが、今回は残念ながら他の行事がダブり、東京を離れることができません。

記念事業の一つとして吉川昇初代校長の日記も刊行されます。 その編集作業には09年8月から今年5月にかけ断片的に、そのお孫さんの求めに応じて相談に乗ったり、 資料提供や文章表現などについて協力しておりました。

さて、慶事も重なるものなのでしょうか。16日同時刻に長男が卒業した都立高校の70周年記念事業に招待され、 その夕刻にはもう一つの母校「早大田無寮OB会」総会があり、翌17日は早大ホームカミングデーで、卒業45年目の私も招待を受けている次第です。 何人ぐらい、元気な顔に出会えるでしょうか。

話変わって…母の遺品の中から、戦後直ぐのものと思われる“郵便(封書)”が出てきました。 さっそく、ご覧に入れましょう。

2010/09/23 民主党は発足1年で、またまた自民党並みの主導権争いを演じ、かつ国民不在の政治となっております。誰がこんな状況を想像したことでしょう。

マリナーズのイチローは10年連続200本安打に、後2本と迫りました。たかが野球、たかがヒットの数ですが、なにごとも毎年続けるということに、意義があると思います。

先日(9月12・13日)、創立138年という岡崎小学校(静岡県湖西市立)の昭和30年度卒業生による同窓会に参加しました(館山寺温泉・泊)。 3年ぶりの開催で、20数名の出席者は女性が多くなりました。見慣れた顔、めずらしい顔に出会う反面、物故者も増えているようです。 なお、一回り年長の恩師のお宅に数人で押しかけ、元気な姿に勇気付けられました。

「ミニ自分史」…「(127)小学校の同窓会 (2010年9月12・13日) 」を掲出します。上記「同窓会」の顛末であります。

2010/09/07 鳩山さんは菅首相を励ましたり、小沢さんを応援したりと、“両天秤”といいますか、米軍基地問題だけでなく、 民主党代表選に関してもブレまくっています。“宇宙人”というより、“鳩”ならぬ“鵺”に近いのではないでしょうか(8月29日記す)。
《「鵺=ぬえ」…正体不明の人物や、曖昧な態度など、人に奇異の感をいだかせるものなどを例えていう、とか》

今夏の猛暑続きは、地球の怒りか、不甲斐ない民主党の“空騒ぎ”が原因かどうか、よく分かりませんが、 熱中症で亡くなる人が多く、いやなニッポンになったものです。そこで私はひたすら、昼寝に専心し、 水分(主としてアルコール類)の補給を怠らず、の毎日を送っている次第?!

「ミニ自分史」…「(126)思い出桜子     1990・8・5 橋本健午 (2010・09・07)」を掲出します。 昭和22年2月、5歳になる前、大連から引き揚げて、父の故郷である福井県小浜市にたどり着く…。 近くに仁王門(国宝)のある神宮寺は本堂やその裏山など格好の遊び場だけでなく、愛くるしい友だちもいたのであります。

「プロフィール」…齢七十に近いせいか、近ごろ昔を懐かしむことしきりです。 母の遺品を整理していると、私のへその緒・髪の毛に「乳児発育表」などが出てきました。 いやはや、単なる赤ちゃん返りだったりして?!  ちなみに、わが名はこのときすでに誤記されておりました。

2010/08/24 生みの親たちによる子殺しは、相変らず“親”になりきれない大人の身勝手さだと思います。 しかし、彼らは“殺人(犯罪)”により、自らの将来がどうなるかを想像もできなかったのでしょうか。 一方で、いくつになっても“親”が恋しい“子供(老人)”がいることも、100歳以上のユーレイ住民があちこちで明るみに出ることで分かってきました。 この国の人々(元子ども)は、お気楽でよいのかもしれませんが、どうぞ「良い子の皆さん、真似をしないように!!」と、とりあえず言っておきましょう?!

永年、政権を担ってきた自民党の派閥政治が終わり、何やら期待させた民主党の不甲斐なさには目を覆うばかり。 要するに、寄せ集め集団の“仁義なき抗争”は国民不在の様相(すなわち幼稚園児の”おもちゃ争奪戦”)であろう。ともあれ、イラ菅だの、アキ菅などといわれる菅直人首相、 もとえ元厚生大臣はどこへ行ったのでしょうか。「権力は、人を変える」の図かしらん。

「ミニ自分史」…「(125)1962年3月…ワセダ入学一月前  橋本健午 2010・08・24」を掲出します。 1浪のあと、2校受験予定で上京したものの、この年3月にはさまざまなことがありました。 受験に失敗していたら、その後の私はどうだったのか、思えばぞっとするようなひと月であります。

2010/08/10 “戦後65年”の今年は、これまでとちがって被爆地(広島・長崎)への、外国人の参加状況が変化しているようです。 韓国人の国連事務総長や米英仏の臨時大使などの参列は、とりあえず“歓迎”されているようです。 これからは、日本人による“アンチ日本”にどう対処するかが問われることでしょう。

少し先の話ではありますが、10月下旬には“母校”関係の行事が重なり、どれに出席すべきか悩んでおります。 その前9月には、転校して3年1学期から学んだ小学校の同窓会があります。 私の学校生活は福井県に静岡県、大阪府に東京と、意図したわけでもありませんが、旅費の掛かるケースもあるのが悩みであります。

「ミニ自分史」…「(124)若き日の思い(怒り・悩み・喜び)など ―抜書き―  2010・08・10 橋本健午」を掲出します。 来月には小学校時代の同窓会があります。何年ぶりでしょうか。かつての少年少女たちとの再会が楽しみですが、 寄る年波で少しずつ参加者が減っているようです。さて、ここに掲げるのは、日記や手帳に記していた、中学・高校時代のさまざまな思いです。

2010/07/27 サッカーW杯の興奮はようやく醒め、大相撲も静かに終り、いまや“地デジ”問題でかまびすしいニッポン、時代遅れの私としても、 少しは研究をして見ました。といっても新聞の見出しを書き並べただけのものですが、久しぶりに下記「なぜかコラム」をお届けします。

「なぜかコラム」…「何でか、チデジカ」「元死刑囚の来日」「国技・酷技・哭技」の3本です。

「ミニ自分史」…「(123)“仔午の会”について  2010・05・02 橋本健午 」を掲出します。 先日も、小ぢんまりとした会合に出かけました。男ばかり4人、昼からの酒盛りです。 学生時代からのグループですが、本来その仲間ではない私がなぜ呼ばれたのか、まあ枯れ木も山の何とか、楽しく過ごすことができました。 何となくの会合をたまに持つのも悪くはありません。これもその一つです。

2010/07/17 サッカーW杯“ボケ”ではありませんが、本HPを13日に更新すべきところ、いくつかの要因により、本日までずれ込んでしまいました。 これまでなかったことですが、やはり“ボケ”のはじまり、兆候なのでしょうか。

「ミニ自分史」…「(122)父親の気持ち―われと彼と その2  2010・07・17 橋本健午」を掲出します。 母親に比べ、父親の子に対する気持ちは“淡白”なのではなどと勝手に思っていましたが、これらを読むとそうともいえません。 “子を思う気持ち”は、“代わってやれないだけに心配”という形で現れるものなのでしょうか。改めて、わが父を偲ぶ次第であります。

年齢とともに気が短くなる、あるいは頑固になるのかもしれませんが、世間に対する許容範囲がせまくなっていることを感じます。 年齢相応の対応をすること、またその判断や行動も“進歩”すべきものと思うことに、しばしば遭遇します。自戒を込めて・・・。

2010/06/29 先般、梶山家から父梧郎(八五郎)が梶山先生にあてた手紙を返していただきました。 1966(昭和41)年11月、私が同家にご厄介になるにあたって、父親としてお礼とお願いをしたためたものです。 44年前、大学を出たばかりの私がさまざまな勉強(修行)をさせていただく出発点でした。 ともあれ“長生き”すると、いろいろな“過去”が蘇えるものです。

サッカーW杯・南アフリカ大会(続き):大方の期待を裏切って? 岡ちゃんジャパンはベスト16入りをしました。 強い相手に対し、本田選手を筆頭にイレブンはがんばっているようです。これからはサドンデス、今夜は南米パラグアイへの挑戦です。 何が起こるか分からないというスリルを味わえればよいのですが。

「ミニ自分史」…「(121)父親の気持ち―われと彼と その1  2010・06・29 橋本健午」を掲出します。 上記のような、思いがけない父の手紙の出現により、何度目でしょうか、父の思い出を記したものです。

2010/06/15 いま、画面で本や雑誌が読めるなどと@Padなるものが話題になっています。 その実物を初めて目撃したのは先週9日昼すぎ、井の頭線の車内で座っている若い会社員が隣りの同僚に見せているところでした。 ついで2日後の夕方、同じ線内で何と幼稚園児(女子)が、タテにしたりヨコにしたりと遊んでおりました。 隣りにいる母親はそれを眺めているだけ?! わが縁なき衆生は、世の移り変わりに慨嘆?するばかりです。

サッカーW杯・南アフリカ大会:カメルーンを相手の第一戦、岡ちゃんジャパンはMF本田選手の左足シュートで“念願”の1勝(勝ち点3)を挙げました。 ともあれ、しばらくは楽しめそうな予感がします。

「ミニ自分史」…「(120)*私の出会った人たち   2010・06・15  橋本健午」を掲出します。 生きていると、さまざまな問題や人物に遭遇します。とくに組織では、いろいろ気を遣ったり、お追従を言ったり、 理不尽さに泣いたりと日々、自棄酒の口実に事欠かないようです。 私もいろいろな経験をしてきましたが、若いころから“自棄酒”だけは飲まない、と心に決めておりました。 もう一つは「悪口を言わない/返さない」ように心がけました。それは「天に唾する」ことだからです。 シンドイことでしたが、“自分を守るのは自分しかない”のです。

2010/06/04 はや、6月に入りました。「ジューンブライド」なんて言葉もありましたが、私も一つ年を取る月でもあります。 前にもコラム(04年6月下旬号「今世紀最初の大発見!?」)で書きましたが、今年も父の日とわが誕生日が重なります。 もっとも、何のご利益もありませんが。それどころか、ボケたせいか、このhp更新日(1日・火曜日)を忘れていました。

「本日、私ことハトポッポは、5月末までに“決着をつけた”普天間問題に続いて、内閣総理大臣を辞めることと致しました。 一人では寂しいので“道連れ”として小沢幹事長を指名し、これもご快諾を戴き、ここに晴れて、 わが道を行くことに専念できる喜びを噛み締めております」などとは言わなかったようですが、 いずれにしても日本の政治(政治家)がいつまでたっても未熟なのは残念なことであります。(6・2昼前記す)

予定通り、菅直人副総理兼財務相が民主党代表に選出され、第94代の総理大臣に指名されました。 さて、彼は短気だとの評判です。またぞろ短期政権で終わらないことを、とりあえず祈りましょうか。

「ミニ自分史」…「(119)“詩のようなもの”(1995年)  2010・06・04 橋本健午」を掲出します。 ペンネーム「本橋 游」は気まぐれで付けていたのですが(1979年6月最初の出版物に)、国語辞典を見て驚きました。 “游”の意味は“遊”に通じますが、魚を釣る糸の先にある「ウキ」のことだそうです。 つまり、波間に漂う不安定な存在という、いかにもわが人生を表わしていたことになります?!

2010/05/18 近ごろ、幼児がライター(lighter)で遊んでいて、火災を起こし死んでしまう、というニュースが目立つようです。 また、パチンコやパチソロに熱中して、車に閉じこめた幼児を熱中症で死なせた、という事件も後を絶たないですね。 端的にいえば、“親”としての責任を感じない彼らは“子ども”のままだからではないでしょうか。 ともあれ、ライター被害根絶のため、タバコを吸う物書き(writer)よ、立ち上がれ?! という心境です。 タバコを吸わず、ライターもない私としては……。

また、季節的なのでしょうか、小中学生の飛び降り自殺が目立ちますね。 春は希望に満ちて、というところで日本の新学年が始まったようですが、とくに今年の天候不順はひどく、 不安な状態で新しい環境になれるのに、ついていけないというところでしょうか。 飛躍しますが、年齢が若く経験も未熟な若者は、現実よりも魅力的なバーチャルな世界に幻惑されるからではないかと愚考する次第です。

いま1996年9月から現在(2010年)まで毎月のカレンダーの書き込みを睨みつつ、自らの年表を作っております。 忘れていたものですが、他に毎年の手帳や日記もあります。そのときどきのメモですから、電車のなかで書いたり、 酔っ払った末の書き込みなど、本人でも読めないものが多々ありますが、悪い話ばかりではありません?!

「ミニ自分史」…「(118)わが“コレクション”による「岡本太郎」へのささやかな拘り(こだわり) 2010・05・18 橋本健午」を掲出します。

2010/05/04 今月1日に開幕した上海万博は、主催国の中国館をはじめ大盛況のようですが、なにこれは群集心理、かつて(40年前)の大阪万博(EXPO‘70)も同様でありました。 そして、国威発揚に利用するのは、どこの国でも変りはありませんが、“貧しさ”や“みっともなさ”を隠すのもまた同様です。

もう一つ、北朝鮮のドンが4年ぶりに中国(大連)に入ったそうです。近隣諸国の活発な動きにくらべ、わがハトポッポ首相は、 普天間ならぬ不退転の決意で、沖縄入りするのでしょうか。乞う、ご期待?!

少し前のニュース:宇宙に行った女性飛行士の、着物姿に扇子を持って踊るパフォーマンスに国民からクレームが…。 いつまでも宇宙開発に大金をかけて何になるのか、と醒めた日本人(いや、女性は同性には辛い点しか付けない?!)。

小さな倉庫に置き忘れていたダンボール箱を開けてみると、何と拙著『有害図書と青少年問題』(2002・11)に使った新聞切抜きなど資料の束ができました。 その一つに「喫煙率、消費量2010年までに半減/厚生省検討会が目標『飲酒人口も減少を』」(東京99・8・12夕刊)というのがありました。 いま、それぞれどれだけ減ったのでしょう…。

「ミニ自分史」…「(117)「他人の評価/自省のことば…  2010・05・04 橋本健午」を掲出します。 毀誉褒貶さまざまです。真実は奈辺にあるのでしょうか?!

2010/04/20 チューリップ情報(3)咲いた咲いたチューリップの花が、 咲いた、並んだ並んだ赤白、にあらず黄色なのです。 では、その状況写真をお届けしましょう。

鳩山兄弟による政治も、国内外なんだか不評ばかりで困ったものです。ぽっぽっぽ はとぽっぽ…… いちどにそろって とんでいけ だなんて?!  今回は童謡いや“動揺”特集というところで唱歌。

も一つ、ついでに「がんばらない党」ではなかった「たちあがれ日本」党は、齢70歳以上が暗黙の条件とか、楽しみですねえ。 ところで、都知事のオープン参加は何を意味するのでしょう?!

「ミニ自分史」…「(116)『悪の日記』 A HUMAN DOCUMENT その3 」を掲出します。 最終回、高校3年の秋から、卒業、大学受験という“ハイライト編”といいたいところですが…。

2010/04/06 今夕、待ちに待った(私を除く)近所の川岸の桜、ライトアップということです。もう7,8年も続いているでしょうか。 この不況下、ある企業の“篤志”によるものです。奇特な人もいるものだと感心しております。

チューリップ情報(2)カミさんに言わせれば、何色かのはずだったそうですが、オール赤点、いや赤いチューリップ。 本日現在、先に咲いた2輪は間もなく終息かと思われますが、3輪が続いております。 さらに控えている1輪もあり、人間とちがって黙々と、エライものです。

「ミニ自分史」…「(115)『悪の日記』 A HUMAN DOCUMENT その2 」を掲出します。 時期は、高校2年から3年の8月ごろまでの1年間です。体育祭の思い出、新聞部時代など、さまざまな青春が詰まっているといえます。

2010/03/22 一昨夜(20日)、かなり激しい雨に、さらに荒れ狂う風の音やかましく、眠れないのではないかとも思いましたが、何とか静かな朝を迎えました。

わが家のベランダの小さなプランターで、カミさんの植えた8株ほどのチューリップが育っておりますが、 生育が悪く、いつ花を咲かせるのかとヤキモキしておりました。 数日前に1株、ついで2株につぼみらしきものが見え始めたところで、昨夜の暴風雨。 宵のうちに保護すべきだったと朝になって思いながら、窓を開けますと、いやはや、さらにつぼみは大きく、4つも花を咲かせそうです。 そして、今朝(22日)は六つのつぼみとなりました。花は嵐を踏み越えて…ですかねえ。

「ミニ自分史」…「(114)『悪の日記』 A HUMAN DOCUMENT  -Jan.58 to Mar.61- by KENGO HASHIMOTO」を、三回に分けて掲出します。 中学3年の終わりごろから高校卒業まで、時おり書いていた日記の一部です。 いまだ分別も浅く、一喜一憂、悲喜こもごも、日々三省す、という青春時代でありました。

2010/03/09 2月28日(日)、いつも利用する京王線の地下化にあたり、その一部、近くのトンネル工事現場を見学しました。 国領-調布間681メートル。子ども連れもあり、25人ずつ、ヘルメットをかぶせられ、軍手も借りました。 昔、ある夫婦漫才だったか、地下鉄はどこから電車を入れるのかというネタを長くやっておりましたが、地下の空洞は、なかなかに神秘的でした。

さらに昔(1970年7月11日)、工事中の青函トンネル内を見学したことがあります。 “人車”というものに作業員の皆さんと乗り、地中に潜りました。坑内の湿度100パーセント、貸してもらった作業服の下はパンツ一丁という有様。 滅多にできない経験でした……。
なお、その前、1965年2月4日、同トンネルを掘る掘削機を買いに西独に派遣される親戚のEさんを羽田まで見送りに行ったりもしました。 学年末の試験中でしたが、都内の旅館に泊まって空港での壮行会に出ました。思えば、海外旅行が珍しい時代だったのです。

「書くこと」…前回まで5回連載の習作『虚構としての時代』に、挿絵がわりに写真を入れてみました。 いずれの時期・被写体とも、本文と直接のかかわりはありません。

「ミニ自分史」…「(113)卒業 その2(優十生)  2010・03・09 橋本健午」を掲出します。 昨年の今ごろ、大学4年間“全優”という同年輩の人に出会いました。当時当り前だったダンスもマージャンも知らず、 毎日図書館で勉強していたと自慢していたのが滑稽でした。それがどうした、の世界ですねえ。

2010/02/24 百貨店の閉鎖が止まらないようですね。まあ、デパートとスーパーの格差? がなくなった以上、あるいは物余り? の状況では、いまさらの感ですが。 その昔、学生のころ、伊勢丹本店(洋服売場)での店員の対応が悪いのに、「伊勢丹衛門を出せ!」なんて、友人と気取っていたものですが…。 近ごろ、まったく縁がありませんねえ。

国母が悪いのか、朝青龍が悪いのかという問題で、本人はもちろん、その指導・監督する立場の人間が、だらしがないのではないでしょうか。 また、ハーフパイプなんぞ、スポーツというよりガキの遊びのようで、その選手に“紳士”を求めることに、無理があったといえそうです。

アメリカにおけるトヨタ車のアクセル不具合問題は、普天間基地問題のしっぺ返しという見方もありますが、 対応の不味さで傷口を広げたようです。いつものことですが、ニッポン的“謝罪”は通じないのですね。 この国民性、あるいは島国根性は“蒙古斑”のようなもので、容易に治らないでしょうねえ?! 

「ミニ自分史」…「(112)卒業 その1(賞状など)  2010・02・24 橋本健午」を掲出します。改めて、人生における“卒業”はさまざまであることがわかります。

2010/02/09 キリンビールとサントリーの世界最大を目指す大型合併は破談になったそうです。 創業者(佐治家)の持ち株(発言権)がネックとなり、首を長くして待っていたキリン側は些事とはいえず、サジを投げたというところでしょうか。

文部科学省所管の大相撲(日本相撲協会)は、何に甘えているのか、いや何を特権と思っているのか、国技=古い体質とばかりの、 相変らずさといえます。ともあれ横綱朝青龍の処分は当然でしょうが、ヒール(悪役)は格闘技向きですから、 彼は日本でこれからも存分に“君臨”することでしょう。したがって、相撲ファンは減少する?!

「書くこと」…わが初期の作品『虚構としての時代』の、最終回(第5回・第13章〜第15章)をお送りします。

「ミニ自分史」(111)…「講演「ノンフィクションと私」について(草案) 2005・7・23〈土〉」を掲出します。これまで何回か講演を頼まれ、喋ってきました。しかし、いまだ場馴れしないというか、テーマと聴衆の乖離や、司会者の長い演者紹介でモチベーションがそがれるなど、なかなかうまく行かないものであります。

2010/01/26 小沢民主党幹事長の事情聴取は無事?に終ったのでしょうか。“豪腕”政治家は、そう簡単にシッポを出すことはないでしょうが、 何はともあれ検察を含め“国民不在”のやり取りは、いい加減に止めてもらいたいものです。

輸入したインフルエンザワクチンが、大量に余ってしまうそうです。 昨年から長期間かけて、年齢別・既往症別などの“仕分け”に時間をかけるという、 いかにもお役所的な発想に“相変らずだな”という印象を持っておりましたが、やはり税金の無駄遣いということになるのではないでしょうか。 一方で、欧州ではパンデミック(世界的大流行)を宣言したWHOと癒着のある製薬会社の陰謀説もあるようですが…。(東京新聞・2010.1.25朝刊)

「書くこと」…わが20代初期の創作『虚構としての時代』の、第4回目(第10章〜第12章)をお送りします。 先日、“読者”が一人名乗り上げてくれました。有り難いことです。

「ミニ自分史」(110)…「40代はじめ、どんな本を読んでいたか?」を掲出します。 上記は20代、ついで40代とくれば、いずれ60代のものとなりますが、何やら“枯渇”しております。

2010/01/11 年賀状異聞?! 長年、やり取りをしておりますが、今回は“寅年の椿事”ってな言い方は、ないでしょうが、 初めての“スゴイ”年賀状をいただきました。“結果はスタジオで”ならぬ「なぜかコラム」をご覧下さい。

今年は、日米安全保障条約の改定から50年に当たります。沖縄の米軍基地(移転)問題では、地元だけでなく、 政府内でもアメリカでもさまざまな意見があり、本当に難しい問題であります。

「なぜかコラム」…今年初めてのものは、当コーナーで最初に取り上げたテーマ“年賀状”と同じことになりました。 題して「されど、年賀状…」「たかが、年賀状…」であります。

「書くこと」…わが20代初期の創作『虚構としての時代』の、第3回目(第7章〜第9章)をお送りします。 佳境に入るのか、苦境に陥るのか、手に汗握らずとも、おつきあい下さいませ。

2009/12/30 今年最後の更新となりました。1年は365日、毎年同じように繰り返されるのですが、皆さまの2009年はいかがでしたでしょうか。 “チェンジ”のオバマ米大統領はまもなく1年目も終わりを告げ、わが鳩山政権も100日を過ぎ、来年は、どんな年になるのでしょう。

私の場合、前年秋から、母校(高槻中学・高校)に関する仕事が主なものでした。 1月…「母校沿革史」検討のための資料を作成し、発表(B5判28p)。 9月…終戦直後から平成初期に到るまでの学校新聞から、主な項目とその内容を拾い出し、発表(B5判64p/A4判4p)。 10月…母校の文化祭用に、上記新聞の補足を送付。そして、11月…東京OB会で、来年10月、創立70周年を迎えるにあたり、 母校の戦没学生・教員その他の慰霊祭を行ってはとの“本部”への提案を行い、採択される…などなど。

もう一つ、初代校長の「日記」出版化に関しても、かなり関与しておりますが、なかなか捗っておりません。 先のコペンハーゲンで行われた温暖化対策の国際会議COP15ではありませんが、私も“留意”ということで年を越しそうです。 またしても“日本人には日本語が通じない”印象を強くしております。

「書くこと」…わが20代初期の創作『虚構としての時代』の、第2回目(第4章〜第6章)をお送りします。ご笑覧いただければ、幸いに存じます。

2010年は「なぜかコラム」で行きましょう。1月12日からの予定です。とはいえ、引き続き“コラムなき世のめでたさよ”かもしれませんが。 2009・12・30橋本健午 

2009/12/15 今年は“チェンジ”の標語のもと、まことに変化の多い年だったように感じられます。 オバマ米大統領のノーベル平和賞ばかりか、“100年に一度の大不況⇒デフレ化”、 “新インフルエンザの世界的流行と日本の対策のお粗末さ”などなど。 一方、鳩山政権の今後の政局運営はどうなるのかが最大の懸案でありましょう。

天皇の国事行為についての解釈はなかなか難しく、何をやっても“政治利用”とみられるでしょうね。 “1か月前ルール”というのも、おかしなものですが、役人は己のレーゾンデートル(存在理由)のためには、何でも作り出します。 たとえば、“前例ルール”。民間人が何かを始めようとして申請すると、「前例がない」と一蹴されるのがオチです。 つまり、彼ら役人がやる場合は、そんな“前例”などありません。いい気なもんです。

懲りずに、またインフルエンザ関連……。可愛い幼稚園児なんぞが洗面所に並んで、せっせと手洗いをしている光景に、 けなげさを感じていたが、何と手の洗いすぎは逆効果と新聞は警告しています。 洗いすぎによる子どもの手荒れが増え、そのガサガサの皮膚には雑菌がつきやすくなるそうです。 過ぎたるは及ばざるがごとしといいますが、この国の対策はいつも中途半端、こういうのを片手*ちとかいうんでしょうねえ。

今回から、5回に分けて掲出する予定の、わが20代初期の創作『虚構としての時代』をWORD化していて、40数年前の記憶が蘇ってきた一方、 全く忘れていたことも多々ありました。その一つ、フランソワーズ・サガンの小説『ブラームスはお好き』を改めて、読み返しているところです。
わが若書きの一篇で、高校時代を扱った創作『生きるべく道へ』とあわせて“青春二部作”ともいえますが、 そのあとは“生活に疲れて”短いものしか書けず、堕落するばかりだったようです。

「書くこと」…2009年も間もなく終ります。このHPもいよいよ9年目に入ります。 そこで、というわけでもありませんが、若いころに書いたものを、年末から年始にかけて掲出します。 題して「習作『虚構としての時代』」(全15章234枚/当時の筆名:都真美=つまみ)。 まあ、《ミニ自分史》の番外編のようなものでもあります。

2009/12/02 はや、師走となりました。今年も、あとわずかとなりました。みなさま、お互いに元気で過ごしましょう。

各省庁の予算措置が適正かどうかの“事業仕分け”は、これまでの自民党との癒着だけでなく、 官僚天下りの実態が白日の下に晒されたという点で画期的な“催し”だったのではないでしょうか。 国レベルの次は地方レベル、同じようなことを全国ですべきです。もっとも、日本人の7割は“役人”ですから、相当の抵抗があるでしょうね。 《“役人7割説”は私の持論…当人だけでなくその家族、関連機関、タクシー業者に納入出入り業者、“城下町”といわれる役人が出入りする飲み屋(歓楽街)など、 何らかの恩恵を蒙っている人々を含む》

来年10月の母校創立70周年に向けて、いろいろな動きが出ております。先月末に開かれた同窓会東京支部総会に、 久しぶりに出席した私は戦没学生および先生を“追悼”する催しを提案しました。 初代校長の「日記」刊行に関する作業にも参加しております。これには学校当局はじめ関係者の賛同が必要で、これからが勝負どころといえます。

《ミニ自分史》…(109)「“青春のころ”さまざま   その1  2009・12・02」を掲出します。 馬齢を重ねるたびに、年々若返っていくような錯覚に陥っております。おめでたい限り?! です。

2009/11/19 今回は都合により、2日遅れで掲出しております。特段の理由はありません。

下野した自民党の総裁となった谷垣さんは、身が軽いのか、サイクリングが趣味だそうですが、“全国行脚”の途中だったかどうか、 よりによって自転車同士でぶつかって顔に何針か縫う怪我をしたそうです。 大破、いや大したことはなかったんでしょうが、これぞ落ち目の自民党の顔っていうんでしょうかねえ。

前回「…34歳無職の女が次々と“立派な男”たちをたぶらかし、…毒婦なのか、魅力的な女なのか、 今風にいえば婚活の最先端か?!…」などと書きましたが、同じような手口で、もう一人の女(35歳)がいたとは迂闊にも気がつきませんでした。 いやあ、(ご両人、見た目にも“美人”でもなんでもないそうですから)頭となんとかは使いようですねえ?!

先週末、雨もよいのなか、久しぶりに三鷹に行ってきました。 今年は何とか生誕100年ばやりのようで、三鷹市では太宰治で持ちきり?というほどでもなかったのですが、 夕刻にのぞいた小さな「文学サロン」では先客(年配の男性)一人に、学芸員風情の中年女性が早口で説明しているのがうるさく感じました。 展示された中に、昭和22年ごろ、税務署に出したらしい取材など経費が大いにかかった旨の“言い訳”文書があり、 いつの時代も変わらないものだと思ったものです。当日の目的は、その後訪ねた、本場の中華料理の店での他愛ないおしゃべりと食事でした。

《ミニ自分史》…(108)「大宅壮一東京マスコミ塾 2009・11・17」を掲出します。 大宅壮一は来年、生誕110年となるようですが…。

2009/11/03 新型インフルエンザが猛威を振るい被害者は日増しに増えておりますが、ワクチン注射は遅々として進まず、 という政権が変わっても役所のやり方は変わらない?! 被害者数の発表をするだけ、何とかならないものですかね。

結婚詐欺なのか、財産狙いなのか、34歳無職の女が次々と“立派な男”たちをたぶらかし、大金を巻き上げただけではなく、 練炭で中毒死もさせるという怪事件。毒婦なのか、魅力的な女なのか、今風にいえば婚活の最先端か?! (単に、派手な生活をしたいため、ともいうが。男、哀れ!!)

先週は月曜から土曜まで6日間続けて都内に出かけるという、勤めの時代でもなかった経験をし、いささか人疲れしました。 もっとも、最後の日は大学(学生寮)時代の同窓会で、地方からも先輩後輩50人以上が集まったようです。 2次会をそそくさと切り上げ、別の小人数な同期会にも飛び入りし、というのですから、疲れるのも当り前ですかね。

<承前>上記のような会合で、私はなぜか「(昔と)変わらないですねえ」といわれる。 年齢は同じように重ねているのだが、単に“加齢の術”を知らないからか、肩書(出世)とは無縁の世界で生きてきたからではないかと、近ごろ思うのである。 逆に、年相応に老けてみえる人は深いシワを刻んでいるか、若いころ締まっていた顔がいくらか太って(膨らんで)いるという印象を受けるのだが、いかがであろうか。

《ミニ自分史》…(107)「わがファイル:リスト 2009・10・14〜」を掲出します。

2009/10/20 2016年のオリンピック招致騒ぎの後は、なんとノーベル平和賞にオバマ米大統領の受賞さわぎ…となりました。 賛否両論かまびすしいですが、もともと平和賞は政治的な授賞であり、今回は核廃絶を求めた地球的規模のものといえます。 一方、広島・長崎両市長がさっそく2020年のオリンピック招致へと便乗した?!のに、日本国内のさわぎは、どうなりますことやら…。

さて、もう一つ、国内はプロ野球界のみみっちい話題です。クライマックス・シリーズとやら、まず両リーグの1位〜3位でリーグの代表を決め、 日本シリーズに臨むシステムについて、もし勝率5割以下のチームが“優勝”したらおかしいじゃないかと、 多分“巨人=自民党ファン”が文句を言っていたそうですが、なに小選挙区で落ちても、比例代表で復活するような選挙制度、 だれが提案したのか忘れたのかしらん?!

よく分からないのがインフルエンザ予防注射の問題です。 ずいぶん前から、医者や看護士など医療関係者を第一とするなどと優先順位を決めたりしていますが、 19日全国一斉に始めるはずだったのが、ワクチンの数量の問題ほか、医療機関での実施後の混乱などが予想され、対応はさまざまとか。 政権が変わっても、お役所仕事は相変らず、というところでしょうかねえ。

《ミニ自分史》…(106)「雑協との関わり(初期のころ、日記より)」を掲出します。 「むりやりエッセイ」…⇒「(時に)一言コーナー」に「あるメールのやりとり 2009・10・20」を掲出します。

2009/10/06 就任早々、鳩山首相は忙しいですね。2016年のオリンピック招致、コペンハーゲンに行く前から、落ちることが分かっていても、 やはり行かざるを得なかったのでしょうね。とりあえず、国民の支持を得続けるためには?!

リオデジャネイロ(ブラジル)に決定! 南米初なんて新鮮でいいではないですか。 東京でもう一度なんてのも、“力学”も理解していないなんてのも、何を今さらという感じでしたねえ、石原都知事は。 150億円余の先行投資は、どうするのかとも思いますが、それに何十倍いや何百倍?もする税金が使われなくてすむ、と考えれば気も休まりますか?!

秋深き、隣は何もしていない?! もうろう大臣(中川昭一元財務相)も、なぞの死を遂げたおやじ(中川一郎元農相)さんと似たような結末となり、 何だか気の毒ですねえ。豪胆に見えたが“繊細すぎるほど繊細”な神経の持ち主だったとか、麻布中学・高校では自民党総裁となった谷垣禎一と同期だったとか、 東大ではいまや少子化対策・男女共同参画担当大臣の福島瑞穂(社民党党首)と同級だったとか。でも、死んだら負けですね。 何に対してか分かりませんが…。

「むりやりエッセイ」…⇒「(時に)一言コーナー」に「オリンピック異聞あれこれ」を掲出します。

さて、若き日に鑑賞した映画や演劇、絵画展を中心に、そのチケットやパンフレットの“コレクション”を少しずつ公開していく予定です。 まず「大学時代+α 折々の感慨など (日記より)」から始めましょう。

2009/09/22 民主党を中心の連立政権がスタートしました。鳩山首相はさっそく、国連総会での演説やオバマ大統領に会うため、昨夜アメリカに渡ったようです。 また、米大リーグでの始球式のため、桑田元選手と練習をしたとか、何やら大変ですねえ。まあ、しばらく鳩山政権の様子を見守りましょう。

今月13日、母校で新聞解読に関する“発表”を行ってきました。当日午前2時過ぎにメール添付で原稿を送るなどギリギリの作業でしたが、 何とか新聞部OB(先輩や後輩)のほか多くの同窓生の前で、披露することができました。 また、驚いたのは手元にある以外の新聞が新たに持ち寄られたことで、作業はこれからも続きます。

「書くこと」…前回に続き、番外編「観ること」 映画その他 その2  劇場よりはテレビなどで  2009・09・22 橋本健午 《編集中》 をお送りします。

《ミニ自分史》…(105)「吉川初代校長に関する原稿」(2本) を掲出します。 十代は未熟であるがゆえに、思ったこと感じたことについて直截の表現になりがちです。 しかし、それは“若書き”ではあるものの、世の汚濁にまみれない前にのみ許されることではないかとも思います。

2009/09/08 やっと民主党政権が誕生しますが、何かと大変なようです。 国際関係もありますが、ともあれ国民に身近な問題から先に手をつけるべきでしょうね。 それにしても、自民党のやった民主党に対するネガティブキャンペーンは、揚げ足とり・陰でヒソヒソが得意の日本人にはなじまないようです。 もっと陰湿なのですからね。

裁判員制度が始まって、3例目は二人の女性に対する強姦事件でしたが、これは被害者にとっては泣き寝入り、 加害者側はほくそえむ?というだけでなく、好奇心にかられ、“他人の不幸は蜜の味”と思う傍聴者による二次災害も起こりかねないようです。

承前:近々、発表するために取り組んでいる母校の新聞解読…かなり難渋しておりますが、発表の日まで時間もありません。 紙面の大きさだけでなく、活版印刷に手書き、ワープロ打ちと、時期によってさまざまで、ある種“個性”があるともいえ、 丁寧に読めば読むほど、時間がとられてしまうという現実に悩む次第であります。

「書くこと」…書くこと:番外編「観ること」…映画その他 その1 若き日の記録 2009・09・08 橋本健午 《《編集中》 をお送りします。 私自身、余り映画を観ていないと思っていたのですが、それは近年のことで、若いころはかなり試写会場や劇場に足を運んでいました。 今回はそのころのささやかな記録で、いずれパンフレットなどの画像も掲出する予定です。

《ミニ自分史》…(104)「感想を求められて」 を掲出します。 だれでもある種の成功を収めると、経験や実績を多くの人に知ってもらいたい、有名人の仲間入りをしたいと本を出版したくなるのは自然のことです。 しかし、自分はすごいと思っていることと、それを第三者に理解してもらうのとは別の次元であります。

2009/08/25 またぞろ、新インフルエンザ流行の兆しとか。重い病気をかかえる人、乳幼児ばかりか、甲子園球児やプロ野球選手、力士まで患者が広がり、 さらに選挙運動では握手をしないことなど、われわれただの有権者はどうすればよいのでしょう。

衆院選投票まであと1週間となりました。東京8・23第1面“本紙衆院選情勢分析”によると「民主、300議席越す勢い/自民は100前後か /公明、小選挙区で苦戦」「都内情勢 民主、21の区で先行」などとあり、民主党の政権獲得も現実味を帯びましたが、 われら国民にとっては、どのような政策が実行されるのかが大問題であります。

かつて、加わっていた中学高校時代の新聞部(第1期)。戦後すぐ昭和21年12月から年に何回か発行され、中断もありますが、 第2期、第3期と後輩たちも頑張っていたようです。目下、“沿革史”研究の一部として、その解題を担当しております。 この炎暑の中、精神一到何事か成らざらんの心境ですが、手間隙かかる作業に専念するのは容易ではありません。

「父に関する“研究”」…前回に続き、父の唯一の“著作”『満洲より母国へ』の一部(その3)をお送りします。

《ミニ自分史》…(103)「小浜・神宮寺  (1974.5.24 橋本健午)」 を掲出します。 結婚した翌年、妻とともに“故郷”を訪れたときのものです。初めて上陸した日本。 住んでいたのは4歳後半から小学3年の5月中旬までの4年ほどですが、それなりに中味の濃い時期でした。 このときはご先祖のお墓参りをしたのです。

2009/08/11 ひときわ暑いこの8月、まず初の裁判員が加わった裁判が東京地裁で行なわれ、マスメディアは“ひと騒動”。 ついで日本列島は台風以上の暴風雨に見舞われ、また地震も連日起こり、かなりの死者や家屋の損壊など、とても他人事ではありません。

オバマ米大統領の核廃絶宣言に被爆地長崎などでは期待が高まっておりますが、原爆の日(6日)に、広島であの田母神俊雄前幕僚長が講演し、 「日本は核武装を追求すべきだ」と持論を展開すると、アンチ“核廃絶”のキャンペーンに盛大な拍手を浴びたとか。 日本人には“愉快犯”が多いようですね。

一時期、若者のことを新人類とか、宇宙人といっていたようですが、さしずめ、わがアソウ首相は“遅れてきた新人類いや宇宙人”といったところでしょうか。 9日長崎での被爆者慰霊祭の式辞で「いやすことのできない傷跡…」を“ショウセキ”と読んじゃった人ですからね。 でも、このようなマンガチックな誤読も残念ながら、これで終わりとなるのでしょうかねえ?!

今月30日に行なわれる衆院選挙は、日本の命運を左右する選挙になるのではと思われます。が、“便乗犯”というのでしょうか。 若手の知事や市長の動きにも目を離せません。私はかなり前から松下政経塾出身の“政治家”に危惧を抱いております。

「父に関する“研究”」…前回に続き、父の唯一の“著作”『満洲より母国へ』の一部をお送りします。

《ミニ自分史》…(102)幼少のころ、そして養子の話 を掲出しましょう。人はいろいろな人生を歩むのでしょうが、それは成り行きなのか、運命なのか当事者にも分らないものです。私の場合、養子の話がいくつかありました。一種の“便利屋”だったのでしょうか。

2009/07/28 自民党はまさに自滅党の感じですねえ。民意はとっくに離れているだけでなく、いまだ財界や献金・集票団体に頭を下げるアソウ首相など時代錯誤も甚だしいかぎりです。 一方の民主党も衆院選で第一党になるだけでなく、そのあともしっかりしないと、それこそ国民は浮かばれません。

日本列島は、西(山口県防府市)に土砂災害(泥水)に襲われた老人施設で多くの死者行方不明者を出しているさなか、 北海道では軽い気持ちで参加した年配のツアー登山者が何人も低体温症により命を落とすなど、自然災害なのか人災なのか悲しいニュースばかりです。

「父に関する“研究”」…父が書きかつ編集した唯一の単行本があります。大正11年4月に大連で刊行した『満洲より母国へ』〔編者:橋本嘯天〕より、 その一部を3回に分けてお送りします。

《ミニ自分史》…(101)どうなるか判らない、勝手な言い草 1970/11/15 橋本健午 を掲出します。 当時(昭和45年)、28歳と5か月ほどの秋、すなわち助手として梶山家にお世話になって丸4年経ったころの“感慨”であります。 省みれば、少し世間や“仕事”が分かりかけ、さまざまな思いを抱き煩悶していたような気がします。

2009/07/14 去る12日の“4年に1回”の都議選で民主党が圧勝し、自民党が沈むという大方の予想通りの結果に終わりました。 国政に関係ないとのたもうたアソウ首相は結局、自らの手で解散もできず(今月後半に解散)、8月30日に衆院選挙ということになりましたが、 暑い中、政治家の皆さん、ご苦労なことです。

いやいや、われら都民は10年も続く石原都政の弊害、とくに五輪招致や築地市場移転にはノン(反対)の意思表示を鮮明にすべきでしょう。 この5日には「(五輪に)反対するヤツの気が知れない」と都議候補の応援演説でのたもうたそうですが、 「(二度目の東京開催をと)税金の無駄遣いをするヤツの気が知れない」と思うのは、都民だけではないでしょう。

《ミニ自分史》…(100)「浪人生活の1年間」2009・07・14 を掲出します。 “100回記念”として、もう少し意義のあるものをと用意していた原稿は資料不足で後回しになりました。 目下、まさに自分史のための準備として、写真(アルバム)の整理にかかっておりますが、私にとっては思い出を“残す”というより、 思い切って“捨てる”という決断の日々であります。

「書くこと」…懐旧の念やみがたく、どんどん昔に遡っていく感じであります。前回の「宿題がすんだら 1971/4/29」に続いて、 「多磨霊園(73.5.13)」を掲出します。吉川英治のお墓の写真つきですが、「講談社社長 野間省一」の花が飾られております(1963年11月撮影)。 ちなみに、赤坂(青山)にあった吉川英治の旧宅は、その後「講談社赤坂別館」となっていることを知りました。

「むりやりエッセイ」…“しばらくお休み”としましたが、さっそく「(時に)一言コーナー」として“復活させました”。 でも、タイトルは“行き当たりばったり”の方がよかったでしょうか?! 題して「ご参考までに『改正銃刀法で禁止 業者悲鳴/カキ用ナイフが凶器!?』について」。

2009/06/30 当然ながら、わが家にも総務省から「地上デジタルテレビ放送のご案内」メールが届きました。 目に最初に飛び込んだメッセージ「悪徳商法にご注意下さい!」と「悪徳商法にご注意下さい!!」は、 「総務省にだまされるな!!!」ということだと、すぐに納得しました。090626

夫唱婦随という言葉はまだ、生きているのですねえ。「トイレ盗撮容疑 教師夫婦を逮捕/『5年前から』供述」は夫婦で楽しむため、 協力して撮影したという“くさい仲”の夫婦(川崎市内の私立小学校教諭(44)と会社員の妻(42))の犯罪。 夫婦なら、ほかにやることはなかったのでしょうか。ついで「和歌山県警(会計課)職員 夜はバーで副業/公務員法違反の疑い」 …勤務後に妻の経営する店のカウンターに立ったのは、妻が子供の世話で忙しくなったからだとか(金の計算ばかりではなかった?!)。 公務員の副業禁止を知らぬはずはないのに、これは“婦唱夫随”というべきかもしれません(いずれも東京080629夕刊)。

《ミニ自分史》…(99)「役人は、働かざるを旨とすべし?!」2009・06・30 橋本健午  を掲出します。 逆説的ですが、ある分野では必要なことではないでしょうか。ただ問題なのは「日本人は 規制好きの 民族である」(1992・4・2)ことです。

「むりやりエッセイ」…本欄はしばらくお休みとします。

2009/06/16 政令指定都市での首長選挙で、民主党系の候補が3連勝とか。加えてアソウ首相の支持率はまた10パーセント台に急落し、 対する鳩山(兄)民主党代表は50・4%と「ふさわしい首相」として大きくリードしたそうです。 でも、政界は“ハトのフンだらけ”で終わらないこと祈りましょう、我ら国民のために。

郵便料金の大量不正事件のかげにオンナありなどと書けば、ひんしゅくを買いそうですが、“政治案件”とやら、 出世の早道というニンジンででもあったのでしょうか。 厚生労働省の現役キャリア(「働く女性の希望の星だった」女性{53})が、逮捕されたのは初めてのことだそうですが (虚偽有印公文書作成・同行使容疑)、本人は「知らぬ、存ぜぬ」とは、もう政治家並みといえるようです。でも、真相はまだ分かりません?!

やっと、サッカーのW杯南アフリカ大会の出場権を獲得した岡ちゃんジャパンは、これからが大変です。 とりあえず、20代前半の若手の台頭に期待しましょう。

「中国旅行(大連・上海/5泊6日)」に、幼少時の自宅(前景)を追加しました。

《ミニ自分史》…(98)「惜別の辞(日本出版学会会員のみなさまへ) 2009・05・07」 を掲出します。 年老いてきますと何かと気になり、私なりに決着を付けたものです。

「むりやりエッセイ」…私は“2本人”から、とうとう“無人”となりました。本欄はしばらくお休みとします。 次は「泣く泣くコラム」(仮題)としておきましょう。

2009/06/02 北朝鮮、地下核実験の次は中距離弾道ミサイル発射の動きがあるとか。“窮鼠猫を噛む”というコトワザがありますが、 破れかぶれでないとすれば、もう恐いものなしという心境でしょうか。さらに後継者問題は“一難(長男)去って”、 次を越して“災難(三男)”だとかの情報もあるそうです?!

アソウ末期政権は、自分の懐が痛まないからか、また多額の補正予算を組んで会期を延長したようです。 解散は自分で決めるなんてばかり言っていますが、本当は一度手にしたモノ(首相の座)は失いたくないという“子ども心”の発露でありましょうか。

「梶山季之資料館」…遅ればせながら、07年5月刊行の「梶山季之と月刊『噂』」の総目次を掲出します。何らかのご参考になれば幸いです。

「むりやりエッセイ」…「人前で話す…」その1、2 とついに、私は“2本人”となりました。

《ミニ自分史》…《ミニ自分史》前回に続き、(96) (97)「大学は出たけれど・・・ 」その1、2 と同時に掲出します。 04年7月にスターとして、100回目を迎えるともなると、ややダブりの部分も出てきます。反省をしながら、かつ少しずつ整理しながら進めて参りましょう。

2009/05/19 この11日、小沢民主党代表が辞任しました。そして、鳩山幹事長が党内選挙で岡田代表代行を破り、後任に選ばれました。 直後の世論調査では、次の総理にふさわしいとして、アソウさんに10ポイント以上の差をつけて、支持されております(むりやりエッセイ「はとぽっぽ」)。 一度は民主党政権でこの国の将来を占ってはどうでしょうか?!

つづく13日、映画はめったに見ないのですが、いま上映中の「ブッシュ」の試写会に行ってきました。 8年間の“失政”をそれとなく覚えていたこと、またパパ・ブッシュの時代も知っており、それなりに楽しむことができました。

新インフルエンザの世界的? 流行は他人事のような感じでしたが、国内でも海外旅行歴のない人の感染者が出るなど、 パニックに陥る事態とはいえないでしょうか。“水際作戦”などという表現は“国家非常時”つまり今回でいえば、 麻生首相の“100年に一度の不況”という脅しに似たようなものではないでしょうか。

つい先日(5・8)、10年余所属しておりました日本出版学会を退会しました。潮時でもありましたが、何となく“熱意”がうせてしまったからであります。 その“経緯”とささやかな“足跡”は、いずれご報告しましょう。

「梶山季之資料館」…天瀬裕康さんが先月、新刊『梶山季之の文学空間―ソウル、広島、ハワイ、そして人びと―』(2009・04溪水社・広島2700円+税) を出されました。

「むりやりエッセイ」…「裁判員制度」「はとぽっぽ」「名刺あれこれ」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(94) (95)「中元・歳暮、贈り物など その1、2」を同時に掲出します。エッセイ&コラムと平行してやってきました《ミニ自分史》も、まもなく100回を迎えます。近ごろ、とみに“昔”に回帰しており、その整理に追われ時間が足りません。

2009/05/06 赤裸、赤裸々、全裸、なんら問題ない?! 草g剛容疑者。「(はだかで)何が悪い!」と本人が開き直っているのに、 タレント(有名人?)として、重圧は相当なものではなかったかなどと新聞・社説は“擁護”しております。 要するに、ファンやマスコミが、彼らタレントを甘やかしてきたからではなかったでしょうか。

トンでもないことでありますが、豚インフルエンザの世界的? 流行の兆しとか、グローバリズム(世界は一つ)も、戦争や自然災害ばかりではありません。 われらどう対処すればよいのか、トンと分かりません!!

わがアソウ首相は、西松献金問題という“敵失”や、新インフルエンザ騒動に乗じてか、少し支持率が回復したからか、なかなか解散をしませんネエ。 まあ、100年に1度の首相になったのですから、そう簡単に辞められませんか?!

「むりやりエッセイ」…「近ごろ、テレビ事情」「過去を振り返る・記録する…」その1,2 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(93)「わが「日刊ゲンダイ」あれこれ  橋本健午09・05・05」を掲出しましょう。 あまり若くもない33,34歳のころのことですが、“人は使いよう”という実験データの感がしないでもありません。

2009/04/20 オリンピック開催は、そんなに世界の平和に貢献するのでしょうか、未だによく分かりません。 とりあえず、IOC評価委員会が「コンパクトさ 感銘」したとかで、10月2日の決定を待ちましょう。

「週刊新潮」はやってくれましたね。「朝日新聞阪神支局、襲撃“犯人”の告白手記」の掲載は“100年に一度”ならぬ“100本に1本”さえあってはならぬことですが、 テレビ・新聞を含め、メディアの誤報・虚報はほとんど自殺行為といえるのではないでしょうか。

ちょっとした驚きは東京04・19「★47歳英女性 世界の歌姫に」にあるように、ある目立たない女性が英国版「のど自慢」で、 一躍有名になったというニュース。これもインターネット時代の産物というべきものでしょうか。 歌唱力はなかなかのもので世界中の人を驚かせ、喜ばせたようです。

イチローの3085本目のヒット(満塁本塁打)や、翌日の86本目も、たいした偉業に思います。 それにしても、レギュラーになって2年目の彼に、「俺の記録を追い越せ」と声をかけた張本元選手の慧眼もすごいものですね。

「出版倫理・青少年問題」…資料の整理をしておりますと、忘れていたものや様々な記録が出てきます。 これは、94(平成6)年2月に行われた青少年育成国民会議における“出版業界”に関する私の報告(業界の近況(要旨) 2.出版業界)です。 薄い冊子なので、埋もれておりました。

「むりやりエッセイ」…「ああ、金婚式…」「オリンピック招致、承知?!」「禁煙がダメなら、絶煙の対策を」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(92)「祝う会・送別会 忘年会その他(1995-96)」を掲出しましょう。 十数年前のことですが、その後も何とかやっており、何人もの方との“交遊”も続いております。ありがたいことです。

2009/04/07 今年も先月末、上野公園の夜ザクラを見に行きました。やや肌寒く、二分咲きとのことでしたが、目的は暖かい室内での酒肴で、 それなりに楽しんでまいりました。そして、調布恒例の“野川さくらライトアップ”は今夕、行われるそうですが、今年も不参加?!

春の選抜高校野球、強豪・古豪にまじって、目新しい校名もありました。 新聞(東京版)では“初の早慶、決勝対決なるか”などと始まる前から盛り上げておりましたが、ともに負けてしまいました。 取らぬ狸の何とかですが、各地から代表を選ぶ方式は、春は毎日新聞、夏は朝日新聞の拡販材料ですから、どの県版も似たようなものでしょうね。 ともあれ、不況の今年は寄付もママならぬところが多かったとか、大変ですねえ。

北朝鮮のテポドンならぬ人工衛星は、一体どこへ行ったのでしょう。「やるぞ、やるぞ」といっているうちが花だったのでしょうか。 それにしても日本政府の示威的な“迎撃”配備について、またそれを大々的に報道するマスコミは、やりすぎだったのではないでしょうか。 かえって、北を刺激いや喜ばしてしてしまうのでは?と、おととい書いたのですが、現実は…下記エッセイに!

「むりやりエッセイ」…「誤探知、誤報、誤配信、誤爆?! “オオカミが北ぞ!”」「このごろの新聞事情」「カラス、なぜ取るの?」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(91)「校内マラソン大会で優勝(中3年)」を掲出しましょう。ずい分昔のことであり、またすでに(11)「マラソン」もありますが、これはその前年、中学3年での優勝という“快挙”を当時の日記に記し、かつ、しばらくのち自ら回顧し批評を施したものです。

「書くこと」…「東北 一周旅行V62」に、当時の写真を数枚、追加しました。腕前はいかんともしがたいところですが、被写体としてはいかがでしょう。

2009/03/24 私は、別に他人様の住居に興味や羨望もありませんが、今月15日に旧住友家俣野別邸(国の重要文化財)が全焼し、 22日には元総理大臣吉田茂の“大磯御殿”が全焼しました。 だれが住んでいたかはともかく、だれが作り、そして残されていたか、という特に木造建築の“貴重さ”に思いをはせるべきでしょう。 そういえば、韓国の歴史的建築物である南大門が放火されたのは昨年2月11日のことでした。

いや、もっと大問題なのは、やはり焼失し死者が十人も出た「静養ホームたまゆら」(群馬県渋川市)。 生活保護者を収容し、部屋にカギをかけるなど非人間的な扱いをしていた許認可の要らない建物の管理のずさんさ、 “貧困ビジネス”は、かなり侵食していることが分かりましたが、行政も責任逃れに忙しい、という現実をいかにせん?!

何度負けても復活し、ついに決勝戦まで行くというWBCのルールは、わけが分かりませんねえ。 そこまでして、世界的に“格差”の大きい野球をやろうというのは、何だかこれも発想の“貧困ビジネス”のような気がしませんか。 とはいえ、最後はイチローが決着をつけ、韓国に競り勝ち、当分日本人の“侍ジャパン”熱は冷めないことでしょう。

「むりやりエッセイ」…40歳前後のころ(1)〜(3)「休肝日」「弓道」「お釈迦様の掌の上で」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(90)「結婚直前、そして5年後…」2009・03・24  を掲出しましょう。

2009/03/10 月が替わると、ツキも替わるのでしょうか? 西松建設による多額献金問題で、民主党小沢代表の公設秘書が逮捕されたというニュースは、 さて政局にどのような影を落とすのでしょうか。

久しぶりに、帝国ホテルまで行きました。昔、初めてのお見合いをさせられた場所ですが、今回はある出版人の「お別れの会」のためです (エッセイ「出版界の“巨人”」参照)。

WBCとやら(初回から、クラシックというのも古典的ですが)、いざというとき韓国に負けては、どうしようもないですね。 アメリカでの第2ラウンド、まだ行方は分かりませんが、イチローはまた不振なのでしょうかね。ハラ監督の采配がいけないんでしょうか?!

「梶山季之資料館」…07年5月に刊行された梶山季之資料室編「梶山季之と月刊『噂』」に関するもの続き、 創刊日当日の梶山季之の挨拶文などを掲げましょう。

「父に関する“研究”」…新規のものだけでなく、修正分もあります。 今回は、昨年掲出した「父の執筆など」の前半部分を大幅に修正したものです。ご容赦ください。

『戰線文庫』研究…これも何年振りでしょうか。いろいろ整理しておりますと、やりかけのものが出てまいります。 05年12月の〔講演〕「旧海軍の慰問雑誌から見た戦前の出版事情と、いまの日本」//05・12・07新宿・日本出版クラブ会館 に付随するものとして「お礼(および補足事項について)」を付け加えておきます。

「むりやりエッセイ」…「出版界の“巨人”」その1〜3 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(89)「仕事のつながり…」を掲出しましょう。

2009/02/24 自民党の代議士、あるいは大臣は多士済々といいますか、駄目あるいは落ち目タレントが続々と出てきますねえ。 この14日、ローマで開かれた先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)のあと、中川財政担当大臣のこっくり・ろれつ回らず記者会見など、 “世界第2の経済大国”が泣いてしまいます。

近ごろ、某国営放送は夜7時のニュースで、やたらスポーツ関連の話題を流しているようです。 17歳の高校生ゴルファーが、アメリカのツアー初挑戦で予選落ちしたことなど、ほとんどどうでもよいことではないでしょうか。

ついでに言えば、53歳の息子(映画監督)がアカデミー賞を受賞したからと、大挙してテレビや新聞がその老父母の取材に殺到するというのは?!  いくら不況の世の中とはいえ、もうほとんど“大本営発表”に近い、不気味さを感じます。

「梶山季之資料館」…久方ぶりに、少しずつ再開します。 まずは、07年5月に刊行された梶山季之資料室編「梶山季之と月刊『噂』」に関するものです。最初に書評等をあげておきます。

「父に関する“研究”」…寄稿<「圖書新報」→「滿洲讀書新報」1937-1944> その3を掲出します。

「むりやりエッセイ」…「ローマの落日」「かんぽの宿」「太鼓叩いて…」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(88)「母からの手紙など」を掲出しましょう。

2009/02/10 クリントン米国務長官が、就任後最初の訪問国として日本を選んだことに対し(16日来日予定)、 政府は「米側が日米同盟を重視している象徴」と歓迎し、アソウ首相も「最初の訪問国が日本というのは、アジア重視という意味で非常によいメッセージだ。 世界第一、第二の経済大国がまず危機を回避し、その後どういう世界の秩序を組み立てるかが一番の議題だ」などと、はしゃいでいるようです。 この楽観的な反応こそ、アメリカの思う壺ではないでしょうか。

オバマ米大統領(47)も若いが、その就任演説の草稿を書いたスピーチライターは27歳だそうです。 官僚の書いた寄木細工のようなアソウ首相の施政方針演説(先月28日)と比べるのは酷というものですが、やはり人材豊富、起用の大胆さ、 だれにもチャンスがある、底力のある国に思え、羨ましい限りです。

漢字検定に限らず、日本人が“勉強好き”なのは昨今のクイズ番組の盛況振りを見ても明らかですが、催眠商法とはだれも訴えず、 公益法人として違法な多額の利益を得ていた経営者親子は、たいしたものです。今ごろ、調査に入った文部科学省の、天下り先ではなかったのでしょうか?!

「父に関する“研究”」…寄稿<「圖書新報」→「滿洲讀書新報」1937-1944> その2を掲出します。

「むりやりエッセイ」…「病院の対応 2題」「ああ、東京オリンピック!」その1,2 の3本であります。近ごろ、いささか懐古趣味で、いけませんねえ。

2009/01/27 先々週末、5年半ほど酷使? していたパソコンが“体調不良”を訴えた翌日、ついに何も反応しなくなりました。 機械は“万能”のフリをしておりますが、不具合になるとまったくお手上げであります。 いま4台目を導入したところでが、まだ使用できる本来の状態には至っておりません。
ともあれ、今年は波乱に富んだ年になりそうです。心身ともに気をつけて精進してまいりましょう。 まずは「むりやりエッセイ」を、ご覧あれ…。

米国の第44代大統領にバラク・オバマ(47)が就任しました。だからといって、わが国がどうなるわけでもありませんが…。 やはり演説というのは、(全文を読んだ印象では)いかに自分の言葉で語るかということに尽きます。 黒人初のということも、これまでにない展開が予想されます…。

パソコンが不具合になる直前、見知らぬ会社の方からメールで、ある講座開設の依頼を受けました。 ネット社会のマイナス面が強調される一方で、私はその“恩恵”に浴しているといえます。

その打合せに雨の中を六本木まで行った帰り、あるデパートの福井県物産展に寄り、さば寿司、かに弁当、 にごり酒などを求めるうち、昨年と同じパターンだなと思い出しました。 そのときはある画家が出品された絵画展(国立新美術館、東京ミッドタウン、六本木近く)を鑑賞し、その帰りに寄っております。
ついでに言えば、母校の沿革史関係に関わることになったのも、この日がきっかけでした。

「父に関する“研究”」…今回は、お休みです。

「むりやりエッセイ」…「わがパソコン事情」その1〜3 をお送りします。

《ミニ自分史》…こちらも今回はお休みです。

2009/01/13 年が改まり、はや13日目となりました。アソウ首相は韓国に行ったそうですが、私は7日(水)、国会図書館をのぞいた後に、 そのことを知りました。右翼系の街宣車が首相官邸近くの路上で、アソウタロウと呼び捨てにし、 「韓国に行って、また金をばらまくのか!」「竹島を奪い返せ!」などと怒鳴っていたからです。

この年末年始、何をやっていたかと申しますと、昨年11月に高校の同窓会総会に出た後、母校を訪ねたところ、 間もなく創立70年を迎えるのを機に、沿革史の見直しをする動きがあり、私も何やら誘いこまれました。 資料を送っていただいたり、自ら図書館での調べものをしたりして、沿革史の"沿革"についてレポートを作っておりました。 そして、11日(日)午後、母校でのシンポジウムに行って来ました。関連した今年初めての、コラム改め「むりやりエッセイ」をご覧下さい。

「むりやりエッセイ」…さて、「むりやりエッセイ」の始まりですが、上記シンポの番外編といいましょうか、 高槻訪問1〜3「成人の日風景」「城の跡あれこれ」「ホテル事情」の3本であります。

「父に関する"研究"」…今回は、寄稿<「圖書新報」→「滿洲讀書新報」1937-1944> その1 を掲出します。昭和12年から19年にかけてのもので、父の49歳から56歳のときでした。

《ミニ自分史》…今回は、お休みです。

2008/12/30 支持率が10%台まで、落ちることが分かっていたからか、アソウ首相はやっと首相公邸入りを決断したそうですね。 私邸から20分もかかっては危機管理に支障をきたすなんて、何を今さら……。 要するに、早くしないと、公邸での"記念写真"を撮り損ねるからではないでしょうか。 でも、今は私邸で"お勉強"ですって。

先週、たまたま世田谷区内を通りかかると、自民党候補者のポスターが目に入りました。 解散選挙の日程は不明ですが、笑っている顔の下にあるお名前は「落ちた顔」いや「オチ・タカオ」さんでした。 オチた時は、どんな顔をするのでしょうか、まだお若いのに親御さんも罪作りですねえ?!

先月中旬、高校の同窓会総会に大阪まで行ったのが運のツキでした。 母校の沿革史・初代校長に関するレポートなどを出すよう、資料を送られ、四苦八苦している次第です。 調べて書くという"習性"を見破られてしまいました。おかげで"父"に関することが、また先送りとなっております。

《ミニ自分史》…(87)として「母校アンケート…昭和30年に入学して」 を掲出します。いろいろなことがありました。 上記、同窓会総会で配られたもの。一人で4ページ分も書いて、はみ出した分があり、復活と修正ついでに訂正もしております。

「まだまだコラム」…年の終わりに、「わが、この1年」「わが、元旦の色紙など」「世間さまの、この1年」 の3本をお届けします。 なお、09年は「むりやりエッセイ」の予定であります。

2008/12/16 キヤノンに代表される企業論理は見事ですねえ。有名大手企業だから派遣会社が"介入"するのでしょう。 だからといって、派遣労働者の解雇に対して責任はないという論理は、だれが考えたのでしょうか。 一方、日本人は"大国"アメリカ人のように、不買運動を起こすべきですねえ。

上記の"派遣切り"は戦時中の学徒動員、女子を含めた勤労奉仕、そして"特攻"とどこがちがうのでしょうか。 アソウ総理をはじめ富める日本人も、そうでない人も、よく考えなければなりません。

日本人の議論は、常に両論併記となるダブルスタンダードで行われ喧嘩両成敗、いや双方に花を持たせるため、 なかなか問題の解決には至らないのです(コラム「ケータイ不用論?!」その1〜3参照)。 たとえば、コンビニ24時間開店の是非についても、体調が狂うとサマータイム導入を拒否しながら、 いつでも買いに行けるのはライフスタイルの変化などといいますが、要するに時間にも消費行動にもルーズ、 単なる身勝手だけのことでしょう。

「父に関する"研究"」…久方ぶりに、「父と戦前・戦後… その1」を掲出します。 知人から見た父で、数少ないものであります。したがって"その2"以降については、心もとない限りですが…。

「まだまだコラム」…「ケータイ不用論?!」その1〜3  の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(86)として「10年ほど前の、わが"ことば"」 を掲出します。 時間の経つのは、まことに早いものです。

2001年12月4日に設けた、この「心―こころ―橋本健午のページ」は8年目に入りました。 技術的なことや先行きも分からず始めたものですが、"あきずに""こりずに"、よくぞ続くものと、われながら"感心"しております。 まあ、終りなき世のめでたさよ、というところでしょうか?!

2008/12/02 平成の"召集令状"ともいうべき裁判員登録の通知状は、わが家には来なかったようですが、届いた方もおり、 悲喜こもごも?!(コラム「裁判員制度そうどう?!」参照)さて、来年五月スタート、いかが相成りますことやら…。

「農水省は廃止されてしかるべきとの審判が国民から下された」と、同省の「改革のための緊急提言」で謳っているそうです(東京08・11・28)。 "国民"を人質にするのは、アソウ首相が何かとオザワさんのせいにするのと同じで、汚染米のためというより、 二の舞といったほうがよいのではないでしょうか。

ゴルフ界の新人石川遼選手(17)が、賞金1億円を突破したと各メディアが大きく報道しているせいか、 ギャラリーまで、「1億円おめでとう」などとプラカードを掲げていました。 不況で苦しむ人たち、大勢のワーキングプアがいるなか、他人の稼ぎをわが事のように喜んでいる彼らになにかご利益でもあるのでしょうか?!

「書くこと」…書くこと:番外編「新聞等の切抜きについて」(2007・12・20…2008・08・17 橋本健午)を掲出します(10月21日「ミニ自分史」のものは削除します)。 私にとって新聞の切り抜きは、一種の"生活習慣病"でしたが、さいきんは少しずつセーブをしております。

「父に関する"研究"」…資料を集めたのはよいのですが、いささか手を広げすぎたことと、 先月来、わが母校の"沿革史"関係の資料分析に取り組んでいるため、少し遠のいております。

「まだまだコラム」…「裁判員制度そうどう?!」「教育か経営か、それが問題だ―近ごろ高校事情」 「愛校心とは何か」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…改めて「(85)「病歴(1)痛風・(2)高血圧」98/12/1橋本健午 2008・08・24追加」として、新規原稿を掲出します。

2008/11/20 もう、麻生首相について、言うことはありませんね。19日の週刊文春と週刊新潮の広告を見れば……(参照:コラム「マンガチック?!」)。 /イヤイヤ、まだ足りませんでした。「私もそうだけど、政治家には常識がありませんね」 「あ、そう?」(本歌「(医者は)社会的常識がかなり欠落している人が多い。とにかくものすごく価値観がちがう」 …麻生首相、19日の全国知事会議での発言:東京20日付朝刊)。

この16日(日)、久しぶりといいますか、母校の同窓会に行って参りました(大阪)。 その創立40周年記念と銘打たれた槻友会第20回総会・懇親会については、いずれご報告しましょう。

「仕事(年別)」…昨年8月の「橋本健午さんに聞くビジネス現場の言葉遣い」(4回連載)に続いて、 今年もまた"メールに関するマナー"に関し、コメントを求められました。 メールは郵便と似て非なるが故に、的確に伝えることや意思の疎通が難しいと改めて思います。

「父に関する"研究"」…日本がいわゆる真珠湾攻撃を契機に戦争を始める昭和16年の春、 大連にいた父は満鉄奉天図書館の求めに応じて"出版時評「圖書の出版及び供給―外地一讀者の希望―」"を寄稿しておりました。 出版事情は、いまも昔も、国内も外地も似たようなものであったといえます。

「まだまだコラム」…「数字だけでよいのか」「マンガチック?!」「夫婦の問題」 の3本をお届けします。

今回は、少し掲出日がずれました。たまにしか遠出しない私ですが、「コラム」に記したように、この日曜から出かけておりました。 ともあれ、大麻による早慶戦とは、ちと情けないですなあ、近ごろの大学生は?!

2008/11/04 どうやら、オバマ氏がアメリカ大統領になりそうですが、NHKはじめ日本のテレビ局は、 どうしてその選挙状況を放映しなくてはならないのでしょう。51番目の州としての"予習"をしているのでしょうか。

一方、わが"神の国"では、現役の航空幕僚長が政府見解に反する論文"侵略は濡れ衣"(コラム「アンチ自虐史観」参照)を発表し、 更迭されました。いまだに、このようなアナクロニズムが横行することに一抹の危惧と不安を抱きます。

「梶山季之」と私…少し時間が経ちましたが、07年5月11日、梶山季之の命日に「梶山季之と月刊『噂』」(松籟社)が刊行されました。 関わった先輩たちが少なくなるなか、私は美那江夫人の保存していた膨大な資料等により"全貌"を再現する企画に参画しました。
そして、梶山季之の"故郷"である広島で『梶山季之33回忌記念事業 時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す』が開かれ、 私も参加の機会を得ました(07年5月20日)。古い表現ですが、これらは"最後のご奉公"であったといえるかもしれません。
では、シンポジウムの一部、すなわち私の発言部分(「生まれ故郷朝鮮と梶山季之」)を再録します。 上記の原典は昨年11月10日、梶山季之記念事業実行委員会の制作により、中国新聞社から発行されたものです(定価2,100円)。

「父に関する"研究"」…父は満鉄大連図書館での仕事として、同図書館報ともいうべき月報「書香」の編集者として、長く勤めていました。 また、いくつかの寄稿もあり、"書くこと"を楽しんでいたのではないかと思われます。 まず、第1次、第2次にわたる『書香』バックナンバーと父の関連 を掲げましょう。

「まだまだコラム」…「アンチ自虐史観」「女性差別?!」「自殺の原因とその対策とは」 の3本をお届けします。

2008/10/21 アメリカ大統領選は、3回のテレビ討論で、マケインが負け? 小浜市いや、民主党のオバマ氏が、有利だという状況だそうです。 さて、11月末に行われる? わが"2大政党"による選挙の行方はいかがなものでしょうか。

「父に関する"研究"」…いくつか掲出できるものの用意ができました。次回あたりから、再開する予定です。

「プロフィール」…近ごろ、懐旧の念止みがたく…大学1年の夏休み「東北 一周旅行」(Aug.1〜Aug.11 1962) アルバムより を掲出しました。

「まだまだコラム」…「ノーベル賞とわが国の教育」「近くの…」「自己満足の押付け?!」 の3本をお届けします。

2008/10/07 麻生首相の所信表明演説も、もう一つでしたが、"五日天下"の中山成彬先生の確信的"暴言"にも困ったものです。 どうしてこうも、問題発言をして、閣僚の信用を失墜させる御仁が多いのでしょう。 大臣になった途端に罹る"はしか"なのでしょうか。

ドルにも金にも縁のない私には、アメリカ発世界同時多発ならぬ経済恐慌(金融危機)のニュースだけでも、 おどろおどろしく感じられますが、しかし、金融危機を"利用"し解散総選挙回避の口実にする「投げ出さない」首相は選挙をすれば、 わが身の行く末がどうなるのか見通しているのかもしれません。

「父に関する"研究"」…引きつづき、周辺に関する資料整理に追われております。

「まだまだコラム」…「統計調査の現実」「長生きは…」「ゴーヤー その後」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(84)「日記…1975(昭和50)年プラスα」をお送りします。

2008/09/23 継続は力なりといいますが、イチロー(マリナーズ)の8年連続200本安打という記録は大したものであります。 昔、数多くヒットを打つ選手を「安打製造機」などといいましたが、まだまだ記録を更新する可能性が大きいイチローはそれを超えた存在なのでしょうね。

福田投げやり内閣の怪…"第二幕"といいましょうか、汚染米問題で大田総理じゃなかった大田農水相が、 とつぜん辞任しました。そして、総裁の座を"禅譲"された麻生太郎幹事長が、予定通り自民党総裁となりましたが、 これら一連の行事は何とかの"終わりの始まり"ではないでしょうか。

それに連動しているわけではないでしょうが、庶民の世界では子殺しなど幼い命が奪われています。 政治や教育が無力なのか、この国はどこへ行くのでしょうか。

「父に関する"研究"」…相変わらず、周辺に関する資料整理に追われております。

「まだまだコラム」…「終焉?! を迎えるのは新聞だけか」その1〜3 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(83)「"浪人時代"36歳〜40歳」をお送りします。

「書くこと」…前回に続き、「文章を書く、ということ」ほか−日本エディタースクールを中心に−その2 を掲出しました。 実際の講義ばかりか、その準備やアフターケアにも気を抜けない10年でした。

2008/09/09 二代続いて政権を放り出すという、前代未聞?の"怪事"が行われました。 防災の日とつぜん、福田投げやり首相は退陣を表明…。もう自民党ではなく"辞任党"と改名したほうがよいのではないでしょうか。 とはいえ、さらに"虚党"体制で、お坊ちゃん党首を選ぶのでしょうか。この政治空白に、いや北京五輪につづくマスコミの"お祭り騒ぎ"に国民は、 たまったものではありませんね。

今年の"ブラジル移民100周年"にあたり、熊本日日新聞は特集を組みました。 その「移民百年<第4部>」として7月7日から「海を越えた文化」が連載され、24日付で「14 ライフワークの『太平洋小説』/梶山季之の『積乱雲』」が紹介されました。 私もちょっと取材を受けております。
ついで、「夕刊フジ」では物故作家による連載エッセイの再録を行っています(火曜日付)。 6月に梶山の「あたりちらす」S46・7・21〜S47・1・17(153)から4話が掲載されました。 このエッセイは当時、山藤章二さんの"毒舌"イラストともに好評を博していたものです。
また、青年劇場の「族譜」全国公演の10月分のスケジュールが決まったようです。
以上、詳しくは「梶山季之資料館」…トピックスをご覧ください。

「父に関する"研究"」…範囲はだんだん広がり、父に関する他の方の書かれたエッセイがあることも、 かの大学教授から教えられました。これをヒントに、また図書館に参らねばなりません。

「まだまだコラム」…「この子、どこの子?!」「8・8・8の再来」「書くこと…母の場合」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(82)「悩み――全くのところ Oct.19.'61」をお送りします。

2008/08/26 北京オリンピックも、ようやく終わりました。メダルを多くとることだけが、すべてではないと思いますが、 いつものとおり日本代表の力や技術、精神力などが正直に現れるという結果でありました。 これからはアフリカの人を見習って「もったいない」と「がまん」の精神で行きましょう。 そして、コラムは"特集 北京五輪"で。

「梶山季之資料館」…創刊2年目の、若い世代向け日刊「SANKEI EXPRESS」(産経新聞社、40頁建て)紙上で、 梶山季之原作『女の斜塔』の復刻連載が始まりました(8月4日付より月〜金)。 この小説は集英社の月刊「女性明星」(廃刊)に1962・12創刊号から66・03月号まで40回にわたり連載されたもので、 大いに人気を博しました。"マーケッティング・リサーチ小説"の嚆矢ではないでしょうか。 単行本や文庫本にもなっております(〔5〕47・11/女の斜塔〔著者あとがき〕参照)。

『戰線文庫』研究…このたび、私が『戰線文庫』でふれた記述に関し、「戦争と落語−その歪な世界」(柏木 新)という論文 (日本共産党の理論政治誌「前衛」9月号(834)…「特集 侵略戦争と国民動員」所収)で、少し取り上げられていることを、 未知の方からのメール問合せにより知りました。

「父に関する"研究"」…ダジャレではありませんが、目下"遅々(父)として進まず"の状況であります。

「まだまだコラム」…「北京五輪1 競技編」「北京五輪2 報道編」「北京五輪3 国民編」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(81) 前回に続いて、「望のことば+α その2(健午の収録による)」をお送りします。 私もカミさんに負けずに記録しております。そういえば、大学時代の友人は初めての子供の声をテープに収めているということを言っておりました。 理由や動機はともかく、親は何かとわが子のことを記録したくなるものでしょうか。

「書くこと」…出版学校での10年間の講義も、昨年度末で終わりました。どんな状況だったか、 「文章を書く、ということ」ほか−日本エディタースクールを中心に−1 と題して、まとめてみました。 この間、出版業界に関する"職業ガイダンス"を2つの高等学校で行っております。

近況報告…1、ゴーやーのその後:狭いベランダの壁に這わせておりますが、苦心? して互いにからんだりしながら、 毎日、健気に小さな黄色い花をいくつも咲かせております。

2、22日(土)久しぶりに、カミさんと味噌造りをしました。今年2月はじめに仕入れた大豆2キロ、塩1キロ、冷凍保存のこうじ2キロで、5キロの味噌ができるのでしょうか。 これが最後かと思いつつ、半年後が楽しみです。
(前回…07・06・17仕込み/(1)同12・24かき混ぜ、一部取り出す。これまでで一番よい味/(2)08・01・29さらにおいしそう/(3)同03・17/(4)同06・22うまい!! あと1回((5)同08・21)などと、 自己満足の世界?! 秘訣…外気遮断に、二重のラップをしたことでしょうか)

2008/08/12 北京オリンピックが開幕しました。天候も程よく、大した問題も起こらなかったようで、少し時間を取りすぎた開会式でしたが、 私も東洋人だからか中国の文化には感嘆するところもありました。とはいえ、東京→ソウル→北京と来て、 また東京でオリンピックをという発想は、奢りではないでしょうか。

話変わって、毒入り餃子問題では中国に「公表しないでくれと要請された」ため、また米原子力潜水艦の放射能漏れは、 アメリカに慮ってか防衛省は官邸などにすぐに知らせなかったそうで、やはり日本は主権国家であるのをやめたのでしょうか。

「父に関する"研究"」…ほぼ一年前、ある大学教授から、父八五郎の書簡の解読を依頼されて始まった"研究"も、 最初の妻の作品やその子供(わが兄弟)、後妻(わが母)のことなどを調べているうちに、頭の中が混沌としてまいりました。 夏休みではありませんが、ゆっくりやっていこうと思っている次第です。

「まだまだコラム」…「捕らぬタヌキの…」「サギまがい」「子供は、親も先生も選べない」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(80)前回の"白い本"の後半には、長男が生まれて、しばらくしてからの"ことば"が記録されておりました。 当時、勤めていた私のほとんど知らないことばかりですが、子供の成長はわが子に限らず、すばらしいものです。 では、「望のことば その1(さち子の収録による)を掲出しましょう。

2008/07/29 昔、「親の顔が見たい」といえば、親は子供をどう育てたのか、という意味で使われたものですが、 近ごろ"誰でもよかった"通り魔犯人は「親の顔を見たくない」といい、15歳の少女も「うっとうしい」から父親を殺したと言っているようです。 父親受難の時代でしょうか。十数年前、企業面接で「親の顔が見たい」といわれて、ホントに親を連れてきた若者がいたという時代が懐かしいですねえ。

霞が関のお役人による「居酒屋タクシー」問題も、国交省の場合、チケットを停止した1ヶ月間の成果をみると、 タクシー代が9割も減ったそうです。「終電までに帰れるよう、急がない仕事は翌日に回すなど職員の意識が変りつつある」との分析も出した同省ですが、 しばらくすると「遠距離の客が減った、売上げがガタ落ちだ。どうしてくれる?!」と、個人タクシーからの陳情を受けるのでしょうか。

「父に関する"研究"」…次々に広がる調査の範囲は、個人的には面白いのですが、資料の収集となると"公人"でない場合は難しいところがあります。 でも、ここで止まっていては何にもならないとの自覚もしております。

「まだまだコラム」…「エコロジー論議」「テレビの功罪 その1 垂れ流し」「テレビの功罪 その2 地デジ」 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(79) 今でも白紙の"白い本"は売られているようですが、夫婦二人でこの本に書いたのはその走りのころでしょうか。思えば、30数年前のことです。題して(79)「結婚・長女誕生のころ (白い本より)」であります。

2008/07/15 洞爺湖サミットも大騒ぎしたわりに何が成果だったか、アフリカ等の食糧問題を討議するのに、首脳たちは豪華な食事でと外国メディアに皮肉られ、 議長福田首相の"花道"となっただけのようです。さて、話題は北京オリンピックに移り、この国のメディアも国民もまたカラ騒ぎをするのでしょうか。

「梶山季之資料館」…日本経済新聞(08・06・28<土>夕刊)の「文学周辺119」で、梶山季之「黒の試走車」 神奈川・箱根 が取り上げられました。 見出しに「盗むなら盗め……。だったら、こっちも盗み返すだけだ!」とあります。

「出版倫理・青少年問題」…出版界の大先輩布川角左衛門先生は、私が自著に唯一"献辞"を記した方である。 亡くなられた直後に書いた私論<前・出倫協議長 布川先生を偲ぶ>…は、 "私ならば、布川先生をこう偲ぶ"という、未発表のものです。

「書くこと」…「北海道新聞・日曜版〔ほん〕欄「目・耳・口」」≪"幻の"コラム、追加について≫に、さらに、忘れ去られていた一本を追加します。 担当者が「勝手に手を入れる」というので、91年2月6日、自ら"没"にしたものであります。題して『コミック本問題』。 いまや、懐かしい"問題"ではあります。

「父に関する"研究"」…いろいろ広がった調査も一段落ですが、その資料を読むことと文章としてまとめることに、 時間がかかっております。

「まだまだコラム」…「大分教委、だけではない…」「主夫は楽し?!」その1〜3 の4本をお届けします。

《ミニ自分史》…(78)息子は大学4年になり、教育実習もすませたようです。 もし教師になるとすれば、わが父と長兄以来のこととなりますが…。その前、彼が中学に入ったころの話を掲出しましょう。 「授業参観の感想ほか 99・12・20」であります。

2008/07/01 学生時代、祖母の米寿の祝い以来、40数年ぶりに母の故郷、新潟県十日町市を訪ねました。 幼少のころ、渡るのが怖かった信濃川にかかる大橋、また広がる田や畑と森に再会し、懐かしかったですねえ。 ご先祖のことなど、実家の当主にいろいろ伺いました。いずれ、まとめて発表する予定であります。 まずは、列車内に見る若者たちはどこでも変わらない、というご報告を(コラム「中学生事情、ほか」ご参照)。

アメリカの高校での話ですが、学生新聞に星条旗(国旗)を燃やす写真を掲載したため、 州議会でその新聞を廃刊するかどうか論争になったものの、来期も刊行することになったのは、 地元の教育長が発刊継続を求める学生の熱意に応じたからだそうです(東京08・06・12,19夕)。 この"懐の深さ"という点では、どこかの国と大違いですねえ。

前回に続くゴーヤー日記。一日ルスをしただけなのに、その成長は目を見張るばかり……。 とはいえ、日によって、花が咲いたり咲かなかったりに、"ゴ"育ての不安を感じます。 前回に続き、コラム「わが"ゴ"育ての記 中間報告(後篇)」をご笑覧下さい。

「父に関する"研究"」…上記のように、目下、わが母に関わる調査をしております。

「まだまだコラム」…「中学生事情、ほか」「何をいまさら、ケータイ禁止」「わが"ゴ"育ての記 中間報告(後篇)」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(77)考え方が若いころから変わらないのは、どういうことだろうかと自問自答しております。 その一つ、「(77)写真について <1964・11・15>」をお送りします。また、学生時代の「アルバイト」その1、2(ミニ自分史8,9)に関し、思い出したことなどを追記しました。

2008/06/17 前回、「ミャンマーのサイクロン、中国は四川大地震と、近隣諸国での自然災害は他人事ではありません」と書いたばかりですが、 まさか、さっそく広範な地域を襲った岩手・宮城内陸地震が起こるとは…。 /一方、25歳の男による秋葉原の無差別殺傷事件は疎外感やコンプレックス、社会への不満からとか、 それにつけてもナイフの野放しは何ダガーなあ?! というところです(コラム「ナイフの規制」ご参照)。

今、なぜかゴーヤーを育てています。少し前、学友とゴーヤーチャンプルーを食べたからではありません。 コラム「わが"ゴ"育ての記 中間報告(前篇)」をご笑覧下さい。

「父に関する"研究"」…ちかごろ、少し中休みの状態です。こまごまと修正は行っておりますが。

「まだまだコラム」…「ナイフの規制」「居酒屋タクシー」「わが"ゴ"育ての記 中間報告(前篇)」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(76)古く、10代最後のころのことですが、「悩み――全くのところ  Oct.19/20 '61」 をお送りします。

2008/06/03 ミャンマーのサイクロン、中国は四川大地震と、近隣諸国での自然災害は他人事ではありません。 しかし、善意による救援物資など、被災者の元まで届く保証はないようです。国の対応も、被災者の望むものとは程遠く、 これは二次災害、いや人災かもしれません。一方で、アフリカ諸国の問題もあり、横浜で会議が開かれました。 しかし、忘れてならないのは、わが国民の健全な生活を確保することではないでしょうか。

「梶山季之資料館」…論創社より『彫辰捕物帖』の上中下3巻が、この5月から7月下旬にかけて刊行される予定です。 ついで、青年劇場の「族譜」もいよいよ全国公演が始まり、最初は本日(3日)夕方、練馬での東京再々演だそうです。

「父に関する"研究"」…身近なことほど、なおざりにしていることが多く、気がついたときには、聞く相手がいない、 という現実に愕然としております。書き残すことの大切さを改めて感じます。
久しぶりに、滿鐵「讀書會雜誌」の図版を追加しました。早稲田大学中央図書館の所蔵分で、先の神奈川近代文学館のものと併せ、 年ごとに表紙をならべてみました。創刊は大正3年と推測されますが、現在、同8年分まで見つかっておりません。

「プロフィール」…先の*遠敷小から岡崎小へ(一部)にある"絵画"に関して…小学4年の時だったかの写生で、 先生から「松はみんな青い色か」と言われて以来、画才の無いことを悟り、絵に興味もなくなってしまったようです。 ともあれ、今回、その説明を追記しました。

「まだまだコラム」…「自衛隊機で輸送を」「小学生から英語を」その1,2 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(75)「"社長業"失格のてんまつ…」 をお送りします。

2008/05/20 わが街・調布のつづき……。8日(木)午後、深大寺境内での第20回ナンジャモンジャ防災コンサート(東京消防庁音楽隊)を、 初めて聴きに行きました。演奏よりも、聴衆の(座りこんで寝てしまった老婦人など)さまざまな反応を眺めておりました。 その10日後、米軍の不発弾処理のため、退去地域すれすれの我が家で、じっと我慢の半日を過ごしました。 調布市としては、相当な対策費を要したことでしょうから、この後が心配です(コラム「不発爆弾と焼きそば」参照)。

「父に関する"研究"」…父だけでなく、離れ離れの家族が終戦直後、どのような動きをしていたかという問題にも直面しており、 調べることはさらに広がるばかりです。

「プロフィール」…前回の*遠敷小から岡崎小へ(一部)に関連して、そのころの"絵画"を掲出しました。 なお"嘯"の印影は、父が大正11年4月に出版した『満洲より母國へ』の編者名としていた「橋本嘯天」にちなむものと思われます。 残念ながら、印そのものは見当たりません。

「まだまだコラム」…「分からないことがあれば」「不発爆弾と焼きそば」その1,2 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》……(73)しばらくぶりに、義父 小田 悟氏(その6)「"祖母"関係」をお送りします。

2008/05/06 「梶山季之資料館」…梶山季之の33回忌から、間もなく1年を迎えますが、先月26日(土)、 美那江夫人が寄贈した故人の蔵書等を管理する広島大学文書館で、銘版「梶山季之文庫」の除幕式が行われました。

わが街・調布は近ごろ、なにかと新聞をにぎわしております。少し前は、成人式のやり方が優秀だったと調布市が "新成人式研究会"により2年連続の表彰を受けたという"明るい"ニュースがある一方、4月には市内に勤めている資産家の女性が弟とともに事件に巻き込まれ行方不明とか、 市の職員が(継続を断った人)の生活保護費を着服して逮捕されたとか、さらには(60数年前の)米軍の不発弾処理で、 半径500メートル以内の住民が退去させられるという迷惑千万な日は18日(日)に控えているとか。 お口直しに、調布八景の一つ国領神社「千年フジ」をご覧下さい(2日午後撮影)。

「父に関する"研究"」…父自身が以前勤めておりました「読書会雑誌」に寄稿した随筆(エッセイ)2点「心中の蟲」と「作文の境地」を掲出します。 照れ屋の性格からか、いささか韜晦気味の文章に見受けられ、如何ともしがたい感じであります。

「プロフィール」…久しぶりに、幼少のころの"*遠敷小から岡崎小へ(一部)"を追加しました。 恥も外聞も恐れず、小学校低学年時代に書いた作文の掲出であります(いずれ"絵画"も)。 父や母のものを調べているうちに、私自身のものも出てきて、なんだか"胎内回帰"のような心境であります。

「まだまだコラム」…「言葉…」「しつけ…」「格差…」 の3本をお届けします。

2008/04/23 北京オリンピックを前に、各国を回る聖火リレーは、ますます混乱を来たしているようです。 商業主義なのか、国威発揚なのか、ともあれスポーツマンシップとはかけ離れた騒ぎですね。

「父に関する"研究"」…先週、父の33回忌を静かに迎え、この研究を根気よく進めることを誓ったものです。 調べ物のつづきとして、父の最初の妻(アララギ派の歌人)が、少女のころ盛んに投稿していた雑誌「女子文壇」(明治38年1月創刊)にもあたっております。 この雑誌の投稿をきっかけとして、作家になった女性はかなりいるとのことです。最初の妻の作品はカット(イラスト)2点を含め19回も掲載されておりました。

「まだまだコラム」…「入学式の締め出し」「授業料の滞納」「"参加"に異議あり?!」+"付録" の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(73)「上下関係」 をお送りします。

2008/04/08 今月2日、母校の一号館を訪ねようとして、「サクラサク」新入生を迎え、勧誘にしのぎを削る各サークルの新歓(新入生歓迎会)の渦に巻き込まれました。 今年1万3千人が入学したとのことですが、若い人たちの熱気に圧倒されつつ、若き日を思い出したものです(「迎える季節」"新歓"その1、2 参照)。

「父に関する"研究"」…調べ物のつづき。やればやるほど面白くなるのですが、それは深みにはまる、ということでもあります。 そのため、ときどき気分転換に、違ったテーマで調べるのですが、いよいよ"アリ地獄"の状態になっております。 さて、今回は「父と文芸時評(昭和11年9月)」を掲出しました。

「まだまだコラム」…「マニュアルが読めない?!」「迎える季節」"新歓"その1、2 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(72)「文章や文書のまとめ方」 をお送りします。

2008/03/25 世は桜の季節でもありますが、政治は福田首相の指導力不足とかであり、刃物を振り回す青年もあり、 日本国内は相変わらず"物情騒然"という感じもないわけではありません。 目を転ずれば、チベット問題は北京五輪とどう関わるのでしょう。

先週の土曜日、カミさんと久しぶりにお墓参りに行ってきました。暖かい日差しのなか、 広い墓苑には多くの人が来ていたようです。バス会社は臨時便を増発し、切符売りのおじさんたちの頬は桜よりも、 ふくらんでおりました。

この三月、期せずして二つの講師業が終わりを迎えました。一つは10年間つづき、もう一つは6年ばかりのものです。 その感想など、コラム「別れの季節」に少し記しました。ともあれ、私にとって久しぶりに"新しい時代"に入ることになります。 心して日々を送ってまいりましょう。もう一つ関連…《ミニ自分史》(71)「先生も書くべき…」参照。

「父に関する"研究"」…調べ物というのは、どこまでを対象範囲にするかにもよりますが、私の場合、 資料を集めながら、テーマの対象がいくつも進化していきます。同じことは小説家にも言えるかもしれませんが、 いま明治後期に創刊された雑誌『女子文壇』に接しております。なお、今回は「父の執筆など」を掲出します。

「まだまだコラム」…「政治家、外国の場合…」「別れの季節」その1,2 の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(71)「先生も書くべき…」 をお送りします。

2008/03/11 ぶつかり稽古で弱いものいじめをするのは、相手がよけるだろうなんて、相撲の世界ばかりではないようです。 先のイージス艦に限らず、自動操行を手動に切り替えないのは大きな連中ばかり…。 「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」などという時代ではないのに?!

最近の校長先生や、その前の大学学長も何を考えているのか?! 彼らにはセクハラとパワハラの"併合罪"でしょうな。 ところで、ニュアンスはちがい、女性に失礼な表現かもしれないが、かつて「商品に手を出すな」という、 男の"矜持"を示す言葉がありましたが…。

「出版倫理・青少年問題」…書類を整理していて、掲出もれを発見しました。 「「出版倫理」 ある年次報告について (その1)」に、番外編2本を追加しました。 青少年育成国民会議主催の昭和59年度および61年度「青少年と環境に関する懇談会」に関する報告です。

「父に関する"研究"」…今回は「中央報徳会機関誌「斯民〈シミン〉」と父」をお送りします。 これは、二宮尊徳翁を崇敬する方々による雑誌(機関誌・東京)で、大正5(1916)年、28歳の父が初めて"編集"に携わったもののようです。

「まだまだコラム」…「会合・宴会など」「テレビは必要、出版物は…」「梅は咲いたが…」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(70)「仕事と肩書…」 をお送りします。

2008/02/26 衝突するかどうか、自転車に乗っていても分るだろうに。相手がよけるだろうなんて、あまりにもイージーなイージス艦のミス、 彼らにある"国防"の意識はさぞや、オソマツなことでしょうな。

専門職だけでなく、どの業種でもよいという派遣業法の改正(99年12月)は、規制緩和の美名のもと賃金や身分の格差に拍車を駆けております。 そして、派遣大手のGoodwill(善意)の正体はill will(悪意)だったというわけです。悪い冗談ですねえ。

本棚や机の周りで探し物をしていると、20年以上も前に研究しかけた"二・二六事件"関係の資料が出てきました。 そばにはトッキュウこと「徳田球一」関係の資料もほこりをかぶったまま……。もう対応できる体力はありません。 ああ青春は還らない!! そのいきさつは、コラム「2・26の今昔」をご参照ください。

「父に関する"研究"」…"終わりなき世のめでたさよ"ではありませんが、雑誌編集だけでなく"文芸評論"もやったことが判明しました。 昭和11年(国内では2・26事件のあった年)9月、満州日日新聞に5日間の連載でしたが、原稿はまとめて書いていたようです(当時48歳)。 ともあれ、その前に、「父と滿鐵讀書會「讀書會雜誌」について その1」図書館めぐり1,2 をお送りします。

「まだまだコラム」…「職場の悩み、今昔」「2・26の今昔」「ゴミかコレクションか」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(69)「長兄のことなど」 をお送りします。

2008/02/12 中国製の冷凍食品の中毒問題は、長期化するのでしょうか。ともあれ、北京オリンピックも間近となり、 何かと目を離せない"中国"ではあります。一方、日本人にとっては"食"を見直す、いい機会になったのではないでしょうか。

アメリカ大統領予備選は、民主党2候補の争いが熾烈のようですが、日本にとって、どちらが"国益"に叶うのでしょうか?!

「父に関する"研究"」…雑誌の編集者だったことについて、大体の資料集めは終りましたが、欠本があるため、 そこに何かあるのではないかと思うと悩ましい限りであります。ともあれ、満鉄読書会発行「讀者會雑誌」(一部)の画像を加えました。

「まだまだコラム」…「口は禍の門」「"美しい国"大正編?!」「目分量、手加減、いい加減」つづき(味噌・味噌汁 編)の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(68)「電話あれこれ」 をお送りします。

2008/02/03 本日は雪の節分となりましたが、父八五郎の誕生日でもあり、新たなコンテンツ「父と大連・満鐵…」を設けました。
2008/01/29 とつぜん政権を投げ出した安倍前首相は、健康が回復したからか、ミソギが済んだと思ったからか、 これからは"闘う政治家"として活動すると、今月26日地元で言ったそうです。 言葉だけが先行する"自爆する政治家"のほうが、似つかわしいと思うのですが……。

先週末、六本木にできた国立新美術館に初めて行き、知人も出展した「第11回エイズチャリティー美術展」を観てきました(⇒コラム「美術展とロッポンギ」に)。

「父に関する"研究"」…父の誕生日である来月3日に、新たな項目として「父と大連・満鐵…」を立ち上げる予定です。 1888年生まれの父にとって、今年は生誕120年という節目にもあたります。そのためでもありませんが、先日、第12回福井県越前・若狭の物産と観光展で、 小浜名物"焼き鯖"なんぞを買ってしまいました(新宿・京王百貨店)。子供のころ(1947〜52)、一尾5円か10円だったのを丸ごとかじる"おやつ"でしたが、 いまや1,575円(ただし、小ぶりのノルエー産は1,050円)となっております。

「まだまだコラム」…いずれもやや長文ですが、「美術展とロッポンギ」「年代別アンケート3題」「目分量、手加減、いい加減」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(67)「思い出の2月3日」(写真つき) をお送りします。

2008/01/15 元旦からスポーツ番組を見るのは恒例ながら、今年は大学ラグビーと箱根駅伝、そして高校サッカー観戦と、かなりいそがしい日々でした。 近年めずらしく早稲田が活躍するのと、サッカーでは"都立の星"三鷹がベスト8まで進んで、OBのいるわが家では駒沢に市原にと観戦に行っております。

「父に関する"研究"」…大正11(1922)年の著作から、エッセイ的なものを抽出しました。 当時の大連における"世相"について、客観的かつリベラルな表現に接し、また時にシニカルな若き日(34歳)の父を偲んでおります。 ついで、先週は神奈川近代文学館をたずね、編集人であった雑誌に"父"を見出しました(⇒コラムに)。

久しぶりに「書くこと」に若き日の講演「日常文章の作り方」を掲出しました。それなりに勉強していたようです。

「まだまだコラム」…「メール賀状」「"有名人"考」「"父"に出会う」の3本をお届けします。

《ミニ自分史》…(66)「"クレジット"・・・」(1982年2月) をお送りします。

2008/01/01 2008〈平成20〉年…初めて、元日の更新となりました。年頭に当たって、平穏無事を願っていたところ、 朝いちばんの会話は電話での嗄れ声「**さんですか?」に対する、「いえ、ちがいます」でした。 そのあと「ごめんなさい」といわれたのは今年初の謝罪の言葉でした?!

何年も前からの"行事"である元旦に記す色紙の言葉、今年は「これからは 簡素 かつ 濃密に 生きるとしよう」 (今朝もまた白く輝く富士をながめながら 二〇〇八・一・一 八時半 橋本健午)であります。

昨年9月から始まった父に関する"研究"は4か月ばかり過ぎました。職業や居住の変遷ばかりでなく、 関わった雑誌でどのような役割を果たしたかなど、私の疑問や関心を呼び覚まし、知りたいことが多く、 解明することが徐々に増えております。近々、一つの項目(「父と大連・満鉄…」)を設ける予定です。

《コラム&エッセイ》…7年目の今年は「まだまだコラム」として、「つい読んだ気になって」「懐かしい大阪弁」「親の背中」の3本をお届けします。 相変わりませず、よろしくおつき合いのほど、お願い申し上げます。

《ミニ自分史》…(65)「いちばん輝いていたころ」 をお送りします。

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