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仕事(年別)…著作・論文・講演・レクチャアその他
著作・論文・講演・レクチャアその他について、30代より年別のまとめです。
執筆したもの以外は〔 〕内に種別を記載し、
署名は「橋本健午」「本橋 游」「游」「午」で、"無" は無署名の場合です。
2013年(71歳)
- 2月〔執筆〕書評…岡村敬二著『滿洲出版史』吉川弘文館8500+税{2・22「読書人」初めての書評掲載}
2012年(70歳)
- 3月〔執筆〕「田無稲門会OB会だより」…「早稲田学報」4月号
2011年(69歳)
- 6・19〔講演〕3時“演題自由”大宮稲門会見沼会
- 7・1〔パネルディスカッション〕6:30「改正都青少年条例7月施行、何が問題か-権力規制と自主規制のはざまで考える」出版労連第38回出版研究集会(保坂展人世田谷区長・昼間たかし氏と)
- 7月〔編集〕早稲田大学田無寮創寮50年記念文集の制作の“前半”を担当する
2010年(68歳)
- 12月〔コメント〕朝日新聞・国際欄「百年の明日 ニッポンとコリア 隣人として(下)」に「非を認め 書き続けた」(見出し)として梶山季之が紹介され、私の発言(2件・約4行分)あり
2009年(67歳)
- 1月〔発表・発言〕高槻中学校・高槻高等学校「あゆみ」シンポジウム(2009年1月11日 於母校小講堂):メモ…「母校沿革史」検討の参考として(B5判26枚)作成
- 9月〔発表〕高槻中学校・高槻高等学校「あゆみ」シンポジウム(2009年9月13日 於母校会議室):「わが母校の歴史の証言者『学園新聞』解読を担当して」(B5判42枚+22枚・A4判3枚)作成/さらに(9・28)追加B5判61枚
2008年(66歳)
- 7月〔コメント〕「熊本日日新聞」連載「移民百年<第4部>」の「海を越えた文化」…「14 ライフワークの『太平洋小説』/梶山季之の『積乱雲』」(7月24日付)において
- 10月〔コメント〕「夕刊フジ」サラリーマンON OFF欄…「仕事も見た目もスッキリ片付く 思いやりメール」(10月21日付) /「アクセントをつけたタイトルは内容が一目で分かります。相手を惑わせず、一石二鳥です」ほか3本。
2007年(65歳)
- 5月〔参画〕梶山季之資料室・編「梶山季之と月刊『噂』」松籟社(京都)刊行に関し、企画・編集・執筆に関わる(5・11発行)
- 5月〔参加〕シンポジウム「梶山季之をいま見直す」(梶山季之記念事業委員会主催、広島)…「生まれ故郷朝鮮と梶山季之」(5・20広島原爆資料館東館)
- 6月〔執筆〕「作家とその時代研究の一助になれば/梶山季之と月刊『噂』を上梓」(6・4「文化通信」)
- 8月〔コメント〕使える!!シキタリ講座「橋本健午さんに聞くビジネス現場での言葉遣い」(1)〜(4)(「夕刊フジ」8月4,11,18,25発売(土日)号)
- 8月〔インタビュー〕「マンガが戦争を描くとき」〈東北新社ドキュメンタリーチャンネルジャパン〉08・15…CS20:00〜21:54放映ほか//『戰線文庫』に関して
- 9月〔執筆〕「わが師 梶山季之の遺したもの」//特集「いま蘇る梶山季之」09・07週刊読書人
- 10月〔執筆〕11月東京公演『族譜』…『蘇る梶山季之…」//「季刊 青年劇場」No.142(2007・10・10)「待望の再演! 2008年全国公演を計画中!!」
2006年(64歳)
2005年(63歳)
- 1月〔解説〕『赤いダイヤ』(上下)新書版/「パンローリング」社1月5日発行
- 2月〔コメント〕「誤解と偏見の〔オタク迫害〕に異議アリ!」//『SPA!』2月1日号
- 4月〔執筆〕発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷―出版年表―//出版メディアパル4月1日発行
- 4月〔執筆〕歴史に埋もれた『戰線文庫』◇戦時中に発行された旧海軍の月刊誌を研究◇//日本経済新聞4月27日発行(文化欄)
- 5月〔研究発表〕"出版年表"『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷』の作成で留意したこと//日本出版学会2005年度春季研究会(5・14) (『出版学会報』第116号所収)
- 6月〔執筆〕表現の自由」とその限界―『「発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷』を出版して//「総合ジャーナリズム研究」No.193、6月25日発行
- 6月〔コメント〕幻の海軍慰問雑誌『戰線文庫』復刻/小説、漫画……リアルな風俗//読売新聞6月27日夕刊(「文化」欄)
…以下、『戰線文庫』に関する執筆、コメント・インタビュー等の詳細は、「『戰線文庫』研究」の「ウ その他(復刻版に関して)」をご覧下さい。7月18日
- 7月〔執筆〕『出版年表』を編んで、思うこと//「出版クラブだより」No.485、7月1日発行
- 7月〔コメント〕幻の『戰線文庫』(1938〜45年)復刻/「従軍」の全容明らかに//毎日新聞7月1日夕刊(「文化」欄)
- 7月〔コメント〕復刻された海軍慰問誌『戰線文庫』の娯楽度//週刊新潮7月21日号(「TEMPOエンターテインメント」欄)
- 7月〔コメント〕戦時中の娯楽雑誌 復刻/旧海軍が発行『戰線文庫』/恋愛小説・漫画も//朝日新聞7月21日夕刊(第2社会面)
- 7月〔講演〕ノンフィクションと私//(千葉県)白井稲門会平成17年度定期総会7月23日
- 8月〔インタビュー〕「『戰線文庫』について」「FM東京」8月2日午前7時40分ごろから約10分間(「6sense」の「Direct Hit」コーナー)
- 8月〔執筆〕幻の海軍慰問雑誌//文藝春秋9月号(8・10発売)「巻頭随筆」欄
- 8月〔インタビュー〕「『戰線文庫』について」「FMえどがわ」8月18日午後4時ごろから約20分間(「Tokyo Rivers Wide」)
- 9月〔研究発表〕旧海軍省の慰問雑誌『戰線文庫』は、今に何を残したか// 20世紀メディア研究所第26回研究会(9月24日)
- 10月〔名前〕『戰線文庫』復刻(週刊読書人 10月14日号「出版メモ」・・日本経済新聞掲載の拙稿をもとに紹介)
- 10月〔コメント〕作家・梶山季之 高度成長の足跡残す/没後30年 復刊『黒の試走車』//〈大阪〉読売新聞10月27日夕刊(文化欄)
- 11月〔名前〕戦意高揚と娯楽性/旧海軍雑誌 手がかりに 戦前の出版事情講演/新宿/来月7日・日本出版クラブ会館(毎日新聞〈東京〉「聴く」欄(11月24日)
- 12月〔コメント〕旧海軍の外地向け慰問誌/『戰線文庫』 引き継ごう/「生活に触れ、戦争考える糸口に」//東京新聞12月2日「TOKYO発」
- 12月〔講演〕「旧海軍の慰問雑誌から見た戦前の出版事情と、いまの日本」12月7日新宿・日本出版クラブ会館
- 12月〔コメント〕復刻された海軍雑誌//朝日新聞12月17日夕刊コラム「窓 論説委員室から」
2004年(62歳)
2003年(61歳)
- 4月1日〔HP掲載〕戯文「エープリルフール―四月バカ―に関する一考察」
- 4月〜 東急セミナーBE渋谷「文章教室」講座を担当
- 5月〔研究発表〕「総括・戦後出版倫理の変遷について―"悪書・有害図書"と出版界」日本出版学会2003年度春季研究発表会(5・18)(『出版学会報』第110号所収)
- 5月〔執筆〕「『戰線文庫』について」(『日本出版史料 8』日本出版学会・出版教育研究所共編、日本エディタースクール出版部発行)
- 6月〔講師〕明治学院東村山高校で、1年生を対象の"職業理解のための進路ガイダンス"「出版マスコミ」について説明
- 8月6日〔HP掲載〕銃後の"戦場"―野球場はどう利用されたか―〔『戰線文庫』番外編〕
- 10月〔談話〕『ダ・ヴィンチ』2003年11月号の特集1「誰でも作家になれますか?―プロであり続けた流行作家の創作伝説―」で、梶山季之に関して取材(顔写真つき)
「"流行作家"梶山季之について」
- 10月〔講義〕東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科で、「日本における青少年を取りまく種々相について―"悪書・有害図書"問題に関連して―」
- 10月〔執筆〕「『戰線文庫』の"公式"記録と戦時下の出版界」保阪正康責任編集『昭和史講座』第10号記念号(⇒改稿05・09・28)
2002年(60歳)
2001年(59歳)
- 3月〔報告〕「『出版倫理・攻防の半世紀』の連載を終えて―規制立法化問題と青少年非行、そしてメディアの責任―」日本出版学会・法制・出版の自由部会(『出版学会報』第103号所載)
- 3月『会社や職場で必要とされる言葉づかいとマナーが3時間でマスターできる本』明日香出版社
- 4月「有害図書規制 出倫協はいま何をすべきか?」『新文化』4月5日号
- 7月〔講師〕都立農業高校で、2年生を対象の"職業理解ガイダンス"の「出版関連」について説明
- 8月「形だけの"第三者機関"は無意味/出倫協「出版ゾーニング委員会」を検証」『新文化』8月9日号
- 12月「中途半端な歴史教育―もう一つの歴史教科書問題―」保阪正康責任編集『昭和史講座』第7号
- 12月 ホームページ「心―こころ―橋本健午のページ」開設(「からむコラム」「けん語録」連載ほか)
2000年(58歳)
1999年(57歳)
1998年(56歳)
1997年(55歳)
1996年(54歳)
- 1月(財)流通システム開発センターより,共通雑誌コード普及に関し"流通システム化"貢献者表彰("事務局長補佐")
- 3月「第1章 標準化で進む情報化 出版」『月刊バーコード』3月増刊号『情報進歩』(共同執筆),日本工業出版
- 5月〜 キャリアスクール・ファーレ{渋谷}「マスコミ科」専任講師(〜97年3月)
1995年(53歳)
- 3月〔報告〕「雑誌とマルティメディアの状況について」CCM(マルティメディア問題に関する著作権連絡協議会)「権利処理研究会」
- 9月〔報告〕「雑誌,書籍および新聞の権利処理について」CCM「権利処理研究会」
- 9月〜(財)流通システム開発センター「出版バーコード研究委員会」委員(〜96年3月)
- 10月〜12月 総務庁青少年対策本部「コミック・アニメ制作スタッフから見た青少年像調査」研究会委員(代理)
- 10月〜 キャリアスクール・ファーレ{渋谷}「雑誌編集科」専任講師(〜96年4月)
1994年(52歳)
1993年(51歳)
- 2月〔報告〕「雑誌公正取引協議会の現状について」全国公正取引協議会連合会・事務局長会議
- 4月「雑誌公正取引協議会」前史および10年小史の作成
- 8月『実践 短文の書き方』日本能率協会マネジメントセンター{本橋 游}
- 11月〔レクチャア〕「青少年向けコミックをめぐるこれまでの経緯と現状について」茨城県青少年のための環境浄化懇談会
- 12月『文部省認定 漢字能力検定 模擬試験集 わくわく3000漢字マスターコース』(共著)日本マンパワー{本橋 游}
- 12月「共通雑誌コード−その導入から今日まで−」(1982.6〜1993.12)”小史”作成
1992年(50歳)
- 10月〔梶山季之文庫解説〕『人生だあッ』(短編集)集英社版
- 11月「出版倫理 10年史」を作成
1991年(49歳)
1990年(48歳)
- 3月 テキスト1〜3『わくわく3000漢字マスターコース』日本マンパワー{本橋 游}
- 5月「雑誌のクーポン広告」『文化通信』第38回全広連大会特集号
- 12月〔梶山季之文庫解説〕『男を飼う』(蛇と刺青の章)集英社版
- 12月〜〔コラム〕「目・耳・口」北海道新聞日曜版書評欄(本・出版関係)〜91年3月(13回{游})
1989年(47歳)
- 10月{講師}「雑誌におけるクーポン付広告について」(社)日本通信販売協会(勉強会)
- 10‐11月{コメント}」朝日新聞東京本社国際配信部(Asahi News Service)の女性記者から、"女性誌の創刊ブーム"について、コメントを求められた。
掲載されたひとつはTHE STUDENT TIMES(89・10・13、日本語版)で「出版業界の事情にくわしい日本雑誌協会の橋本健午さんは『女性誌は広告が入りやすいからでしょう』と、
このブームの背景を説明する。(中略)橋本さんによると、雑誌に広告が入りやすいということは、広告業界が景気がいいこと、
つまり世の中の景気がいいということだそうだ」とある。その後、Pacific stars & Stripes(89・11・21)にも、10行ほど談話として掲載された。
- 12月〔梶山季之文庫解説〕『彫辰捕物帖』(第四巻)徳間書店版
1988年(46歳)
- 1月〜「{年間史}共通雑誌コード管理センター」『出版年鑑』出版ニュース社(〜95年1月)
- 2月『どんな感字こんな漢字』(共著)評伝社{本橋 游}
- 2月『漢字 面白事典―あなたの漢字博士度チェック―』(共著)日本漢字検定協会{本橋 游}
- 5月 来日中の中国出版代表団と"出版法,報道法"について懇談(書協・雑協事務局,"主任")
- 12月〔梶山季之文庫解説〕『青い旋律』集英社版
1987年(45歳)
- 5月〔梶山季之文庫解説〕『美男奴隷』光文社版
- 11月「雑誌クーポン広告の動き」『しゅっぱんフォーラム』東京出版販売,11月号
- 12月〔レクチャア〕「雑誌業界の現状について」(財)流通システム開発センター(勉強会)
1986年(44歳)
- 1月「編集倫理・年間レポート(86年)」を作成(以後、毎年2月に作成(〜H3年))
- 7月〜(財)流通システム開発センター「共通雑誌コード研究委員会」委員(〜87年3月)
- 8月〜「出版界この一年」『マスコミ倫理』マスコミ倫理懇談会全国協議会(〜95年8月)
- 11月〜{講師}雑誌公正取引協議会・会員社社内研修…ダイヤモンド社・TBSブリタニカ・扶桑社(2回)・日経ホーム出版社・講談社・角川書店・学生援護会・旺文社・小学館・主婦と生活社・光文社(〜97年9月)
1985年(43歳)
1984年(42歳)
- 7月「わかりやすい文章ゼミナール」『自己啓発』No112,日本HR協会{本橋 游}
1983年(41歳)
- 6月〔梶山季之文庫解説〕『かんぷらちんき』徳間書店版
- 6月『らくらく文章ゼミナール』明日香出版社{本橋 游}
- 7月 随想「ハシにも棒にも」『評論』No48,日本経済評論社
- 10月{講演}「日常文章のつくり方」日本損害保険鑑定士協会年次総会(岐阜市){本橋 游}
- 12月〔自費出版〕創作童話『ナナちゃんとクワンちゃんのまいにち』(橋本幸恵8歳)
1982年(40歳)
1981年(39歳)
1980年(38歳)
1979年(37歳)
- 6月『マルコ・ポーロの冒険 上巻 大いなる旅立ち』剄文社エコーPS文庫(NHKテレビ放映中){本橋 游}
(1980年(38歳)にある「『東方見聞録』のマルコ・ポーロが遭難した―「みなさま」のNHK体質を考える―」」をご参照ください)
1976年(34歳)
- 10月 日刊現代(総務部)時代,社内全体の配置換え企画・実施により「社長賞」
1975年(33歳)
1974年(32歳)
- 7月〔座談会〕「流行作家プライバシー全公開・トリックメーカー,速記者らが明かす『名作』『多作』生産の裏側」『サンデー毎日』7月14日号
(『梶山季之』の「マジメ人間」の項に。P34〜38)